この時期、ほぼ毎週のように妻とフライフィッシングに出かけているのですが、最近は妻の方が大きな魚を釣るようになりました。
先週も川幅が数メートルの優しい川へ入ったのですが、そこはヤマベの生息地。
魚体が10センチにも満たないような小さなヤマベが、この辺りがポイントと思われる場所へキャストすると、実に正直にそのフライに思い切り飛び掛かってきます。
フライへの反応は実によくて楽しくなるのですが、なにしろヤマベはフライに食いついてから「あ、しまった、これは虫ではない」と判断するのが早く、食いついたと思ってから竿を引き上げるのではまず間に合いません。
そんなヤマベを上手に釣り上げるコツは、「ここで出る」と思うこと。
思いもよらずに出るのではなく、「ここで出る」と用意をしているところへ出るのなら反応がほんの一瞬早くなって釣り上げられる確率が上がるのです。
妻も最初はヤマベの素早さに翻弄されていたのですが、半日もやるうちに少しずつ慣れてきて、最後にはちゃんとヤマベを釣り上げました。
おまけに、滝壺で大物が狙えそうな大きなたまりでは私よりも大きな20センチほどのニジマスを釣り上げてご満悦。
しかも「そこにはいないんじゃないの?」と私が言ったポイントへ投げ込んでのヒットなので、なお一層嬉しかったようです。
狙った場所にフライを投げ入れて、それをほんの数十センチでも川の流れ通りにナチュラルな流れに見せて食いつかせ、タイミングを合わせて釣り上げるのですから、まあ一つの形になってきたということでしょう。
何事も数をこなしていれば、見えていなかったものが見えて来るようになるということを目の当たりにした思いです。
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人生も場数を踏んで、自分の振る舞いにどんな反応が返ってくるかを体で覚えることです。
しかしおそらく、ただひたすら誠実に尽くすことが一番間違いがない生き方です。
吉田松陰は「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」と言っています。
まさに生き方の練習を積み重ねてどんなときも誠実に生きるということができるようにすることが人生の練習の成果と言えるでしょう。
その練習も半端な気持ちではなく、全人生を投入するような生き方の練習であるべき。
さて、釣りも人生も練習練習。人生の残り時間はどんどん少なくなっています。