社会人として組織の中にいると、上司として自分の上位に立つ人よりも、自分のほうが人間的に優れていると思うことがあるのだと思います。
しかも周囲もそういうことに気が付いているということもあります。しかし組織の論理というものは、そんな自分の思いとは別に上司を用意するものです。
そんなときに、自分は上位者に対してどのような態度を取るべきか。
先日ご紹介した森信三先生の「修身教授録」にちょうどそんな話題の一節がありました。
森先生の教え子が当時軍隊に入り、その中で「要領の良い、上司におもねるものが重用されるという現実に、私はついていけません」とこぼすのに対して、森先生は「そういうことは軍隊に限らず、世の中全てにあることだと思うよ。しかし世の中のことは上下の秩序があって初めて成り立つことであって、社会上の地位というものは本人の力量以上に社会の約束によって決まることの方が多いということです。だから人間の価値を見るのではなく、やはり結果として今ある地位に対してそれ相応に敬意を払い、正しく素直に使えるという気持ちを忘れてはならないよ」と諭します。
そして森先生はこう言います。
「そもそも人間の値打ちというものは、人物としてはその上位者よりもその人の方が優れているとしても、自分の地位が低ければ、それ相当に相手を立てて尊敬するところに、初めて人間の値打ちがあるのだ」と。
組織の中にいると、自分よりも若い人が上司になることなど当たり前にあることです。
そんなときに、人間というものは実はそうしたことにより初めて人間として鍛えられるものであり、そういう立場の切なさや辛さを知らないような人間は、少々勉強ができたところで実は「おめでたい人間なのだ」というのです。
自分が若くして人の上に立つような立場に立ったりすればなおのこと、その逆に自分をいかに律するかということが大切になります。そして周りの人たちはじっとその振る舞いを見ていることでしょう。
相手の人間性に依らず、部下と言う立場を自覚して、上司をしっかりと支えるということに自らの修養を感じなくてはならん、というのが森先生の言葉。
世の中は自分の考え通りにはいかないものです。それを運命として受け止めたうえで、自分の果たすべき役割を自覚してしっかりとそれを果たす。
それがこの世の中での修養だというのです。本当に深いなあ、と思うとともに、自らの立場をしっかりと自覚しようと思いました。
森信三先生の「修身教授録」。将来教師になろうと思う人は必読ですし、一般の社会人としても人生の羅針盤になりえる本です。
たった一度しかない人生、より良い日々を過ごしたいものです。