九州横断の旅も四日目。今日は昨日訪ねきれなかった高千穂の神社をさらに回ります。まずは天孫降臨伝説のある二上神社から。
その前に、国見の丘に立ち寄りましたが、残念ながら雲海は見られず。季節的には10月末あたりから初冬にかけてが見頃だそうです。それを見ると、神々がここに降り立った気分になれることでしょう。

【二上神社詣で】
今回レンタカーで借りた日産キューブにはHDDナビがついていて、かなり高性能な案内をしてくれます。
山の中の二上神社のマークをチェックしてここへガイドしてもらおうとしたところ、さすがのそのナビでも『もう道がありません』と諦めるほどの、集落の中の細い生活道路を縫って神社へと向かいます。
そもそも斜面に広がる集落は、棚田が広がりその分道路は急か細いかのどちらか。そんなめちゃくちゃ細くて急な道を小さな板に書かれた看板を頼りに進むこと20分、ついに二上神社へ到着。
こちらは本来二上神社そのものがご神体なので拝殿もなかったとのことですが、江戸時代に社殿が建てられ今に至っています。

【天孫降臨には二説ある】
実は天孫降臨の場所はどこだったのか、ということには二つの説があります。一つはここ宮崎県の高千穂にある二上山という説で、その根拠は日向國風土記逸文での「天孫降臨」の下り。
そしてもう一つが明日伺うことになる熊本県霧島高原の高千穂峰だというものです。
興味のある方はこちらを参照してください。
→ http://www.komisen.net/tenson.htm
高千穂という地名と言い、どちらも雲海が見事という点で似通っているのですが、この論争には決定打もありません。
神話好きの庶民としては、両方を楽しめるのが良いのかもしれません。
【高千穂神社のパワースポット】
次に向かったのはかつて県内一の社格を頂いたという高千穂神社へ最後のご挨拶。
こちらには神社のよこに「しずめ石」という石があって、これがまた世間では強力なパワースポットとして喧伝されているようで、若い人もお詣りの後にこぞってそれに
触りに来ていました。
どこの神社へ行ってもすれ違う若者達は「パワースポット」と言う声が聞こえてきます。あまり不思議な世界に舞い込まずに、それでも神聖で心が洗われるような場所としてであれば、そういうことがらでも参拝者が増えるというのはよいことなのでしょう。
私には祖先から連綿と続く人々の歴史のパワーが感じられました。

【皇室の祖先鵜戸神宮】
続いては宮崎県を一気に南下して鵜戸神宮へ。
北海道に比べると狭い宮崎県とはいえ、北西の端から東南の端までひた走ると結構な時間がかかります。途中どこにも立ち寄らず、休憩だけをはさんで有料道路も使って走ること4時間、やっとのことで鵜戸神宮に到着です。
この鵜戸神宮とは古事記の中にある物語で、初代神武天皇の父に当たるウガヤフキアエズノミコトが誕生したことにちなむ神社として有名です。
神話では母神のトヨタマビメは海宮で懐妊したのですが、天神の子を海の中で生むわけにはいかないとして、陸に上がってきました。浜辺に産屋を作ろうとしたのですが、茅草がわりの鵜の羽を葺き終らないうちに産気づいてしまったため、「ウガヤフキアエズ(鵜茅葺き合えず)」と名付けられることになった、とされています。
現在の神社は江戸時代の神仏習合の時代に両部神道という真言宗系のお寺として修行の場にもなったとのことですが、現在は皇室に繋がる神社として人々の崇敬を集めています。
本殿は海に面した洞窟の中に造られていてまさに産屋のイメージ。洞窟の中には母親の豊玉姫命が岩に形を変えて残した乳房と言われる乳岩などがあって、神話という物語を現実として伝える人気のパワースポットであったことでしょう。


ここには参道から見下ろす海岸に亀の形をして背中に窪みのある亀石があります。昔は参道からこの亀石の窪みへ向かって銭を投げ、入れば願いが叶うという伝説があります。
ところがいつしかその銭をねらって亀石に飛び移るという危険な行為をする輩が出るようになったとのことで、苦肉の策で「運」と書かれた土の運玉を地元の小学生に作ってもらいそれを売ってこの玉を亀石に投げ入れるというようにして今に至っているとか。
若いギャルたちも喜んで運玉を亀石に投げ入れていましたが、若い人たちも誰に強制されたり薦められたりした訳でもないでしょうに、こういう雰囲気を味わいに来る姿は良いものです。
その前に、国見の丘に立ち寄りましたが、残念ながら雲海は見られず。季節的には10月末あたりから初冬にかけてが見頃だそうです。それを見ると、神々がここに降り立った気分になれることでしょう。

【二上神社詣で】
今回レンタカーで借りた日産キューブにはHDDナビがついていて、かなり高性能な案内をしてくれます。
山の中の二上神社のマークをチェックしてここへガイドしてもらおうとしたところ、さすがのそのナビでも『もう道がありません』と諦めるほどの、集落の中の細い生活道路を縫って神社へと向かいます。
そもそも斜面に広がる集落は、棚田が広がりその分道路は急か細いかのどちらか。そんなめちゃくちゃ細くて急な道を小さな板に書かれた看板を頼りに進むこと20分、ついに二上神社へ到着。
こちらは本来二上神社そのものがご神体なので拝殿もなかったとのことですが、江戸時代に社殿が建てられ今に至っています。

【天孫降臨には二説ある】
実は天孫降臨の場所はどこだったのか、ということには二つの説があります。一つはここ宮崎県の高千穂にある二上山という説で、その根拠は日向國風土記逸文での「天孫降臨」の下り。
そしてもう一つが明日伺うことになる熊本県霧島高原の高千穂峰だというものです。
興味のある方はこちらを参照してください。
→ http://www.komisen.net/tenson.htm
高千穂という地名と言い、どちらも雲海が見事という点で似通っているのですが、この論争には決定打もありません。
神話好きの庶民としては、両方を楽しめるのが良いのかもしれません。
【高千穂神社のパワースポット】
次に向かったのはかつて県内一の社格を頂いたという高千穂神社へ最後のご挨拶。
こちらには神社のよこに「しずめ石」という石があって、これがまた世間では強力なパワースポットとして喧伝されているようで、若い人もお詣りの後にこぞってそれに
触りに来ていました。
どこの神社へ行ってもすれ違う若者達は「パワースポット」と言う声が聞こえてきます。あまり不思議な世界に舞い込まずに、それでも神聖で心が洗われるような場所としてであれば、そういうことがらでも参拝者が増えるというのはよいことなのでしょう。
私には祖先から連綿と続く人々の歴史のパワーが感じられました。

【皇室の祖先鵜戸神宮】
続いては宮崎県を一気に南下して鵜戸神宮へ。
北海道に比べると狭い宮崎県とはいえ、北西の端から東南の端までひた走ると結構な時間がかかります。途中どこにも立ち寄らず、休憩だけをはさんで有料道路も使って走ること4時間、やっとのことで鵜戸神宮に到着です。
この鵜戸神宮とは古事記の中にある物語で、初代神武天皇の父に当たるウガヤフキアエズノミコトが誕生したことにちなむ神社として有名です。
神話では母神のトヨタマビメは海宮で懐妊したのですが、天神の子を海の中で生むわけにはいかないとして、陸に上がってきました。浜辺に産屋を作ろうとしたのですが、茅草がわりの鵜の羽を葺き終らないうちに産気づいてしまったため、「ウガヤフキアエズ(鵜茅葺き合えず)」と名付けられることになった、とされています。
現在の神社は江戸時代の神仏習合の時代に両部神道という真言宗系のお寺として修行の場にもなったとのことですが、現在は皇室に繋がる神社として人々の崇敬を集めています。
本殿は海に面した洞窟の中に造られていてまさに産屋のイメージ。洞窟の中には母親の豊玉姫命が岩に形を変えて残した乳房と言われる乳岩などがあって、神話という物語を現実として伝える人気のパワースポットであったことでしょう。


ここには参道から見下ろす海岸に亀の形をして背中に窪みのある亀石があります。昔は参道からこの亀石の窪みへ向かって銭を投げ、入れば願いが叶うという伝説があります。
ところがいつしかその銭をねらって亀石に飛び移るという危険な行為をする輩が出るようになったとのことで、苦肉の策で「運」と書かれた土の運玉を地元の小学生に作ってもらいそれを売ってこの玉を亀石に投げ入れるというようにして今に至っているとか。
若いギャルたちも喜んで運玉を亀石に投げ入れていましたが、若い人たちも誰に強制されたり薦められたりした訳でもないでしょうに、こういう雰囲気を味わいに来る姿は良いものです。