パルコ劇場、2014年11月7日ソワレ。
とある女流新人文学賞の選考会、審査員はふたり。『源氏物語』で一躍注目を集め、若手女流作家として飛ぶ鳥を落とす勢いの紫式部(長澤まさみ)と、『枕草子』が大ベストセラーになり、エッセイストとして確固たる地位を築いた清少納言(斉藤由貴)だ。ふたりの女としての、作家としての、人生を賭けたブライドのぶつかり合いが始まる…
作・演出/三谷幸喜、美術/堀尾幸男、衣装デザイン/ワダエミ。全一幕。
舞台は選考会前夜のバーで、バーテンは出てきますが台詞がないので、完全にふたり芝居です。
驚いたのは長澤まさみが素晴らしかったこと。正直言ってテレビドラマで見ている分にはまったく感心したことがありませんでした。むしろダイコンだと思っていた。でも恋愛もののテレビドラマが求めるようなヒロイン像にはむしろはまりにくいタイプだったんですね。わかりやすい美人でもないと思うし。こういう癖のある役をやる方が断然魅力的だし、それだけの技量がある女優さんだったのでした。いやあシャッポを脱ぎました(古い)。
しかし始まってしばらくはずっと違和感を持ちながらの観劇でした。というのも、この清少納言と紫式部は、世間的な、一般的なイメージとはキャラクターがどうにも逆に思えたからです。
清少納言の方があっけらかんとした明るい乾いたおばちゃんで、紫式部の方がねちねち粘着質でまわりくどい女っぽい女…というのが普通のイメージではないのかなあ。作品から受ける印象というか通説というか。それこそ酒井順子が語るところの。少なくとも私のイメージはそうです。
となるとからりとしてそうな長澤まさみとうだうだ言うのが上手いに違いない斉藤由貴とじゃ配役が逆じゃん、しかし歳はどうにもならんワケで…とか、けっこうモニョっていたのですよ。
でもだんだん、そもそもこの話は、作家の話を書きたかった作者が、女流作家(プログラムにある英題は「THE AUTHORESSES」)にやらせることにして、そのあと清少納言と紫式部の話にすることを思いついた、という順番で進んだものなので、キャラクター自体はどうでもいいというか後付けなんだな、と思うようになりました。
作者は要するに清少納言というか老作家側のキャラクターに自分の思いを代弁させたいだけでこの芝居を書いているのです。老作家という言い方が悪ければ、盛りをすぎたと言われかねない側というか、追われる側というか、ってことです。実際には誰もそんなこと言っていないのに、当の本人だけが言われているに違いないと被害妄想に陥っているような立場のキャラクター、ってことです。
そしてそれは別にまったく悪いことではありません。そこには確かにドラマがあるし、おもしろいんだからね。ただ勝手に名前を使われた清少納言たちにはちょっと気の毒かな、というくらいでしょうか。だって実際には彼女たちは多分こんなではなかったと思うのですよ。なのに男が想像する女ってこういうのなんだよね、と私は当初やや不愉快に感じたわけですが、違ったこの作者はただ自分を描いているだけなんだと思えてからは割り切れたのでした。ほら、女々しい男って女以下に女っぽいからね。
というワケで、おもしろかったです。
バーのカウンターに佇み待ち合わせ相手を待つ女、そこに現われる待ち合わせ相手の女。客席には背を向けて並んで座って語り合い出し、それでも十分場がもつなたいしたもんだなと思っていたら、場が変わるたびに不思議な音楽が鳴って(インドネシアとかなんかそんな感じの民族音楽的な? だからここはもしかしてラッフルズホテルとかそういう設定なのかしらんとかも思ったり)盆が回り、女ふたりは時にはこちらに向かい、またある時はカウンターを挟んで対峙することもある…おもしろい構造でした。
そんな中で歳も経歴も性格も書くものも違う女ふたりがあれこれと語る。だまし合い罵り合いあざけり合い、泣いたり笑ったり叫んだり暴れたりする。すごくよくわかるわー、あるわー、という感じ。それを芸達者な女優ふたりが存分に体現してくれます。キャラクターに似つかわしいお衣装も素晴らしかったです。靴もショールも完璧。
私はもの書きではないけれどもの書きと仕事をしたことがあることから一番おっと思ったのは、清少納言が言う「読者は意外と馬鹿じゃないわよ」というような台詞でした。これは長く仕事をしてきた者でないと言えない。今の紫式部はそう思っていないし、だから言えないセリフだなと思いました。
逆に残念ながら空々しいなと思ったのは、紫式部の「筆が荒れても誰も何も言わない、肌が荒れたらすぐ何か言うくせに」みたいな笑いにいたる一連の台詞かな。美人でスタイルがいいとそういうことばかり褒められて実力を認めてもらえない、ということはあるんだろうと思うし、それに思い悩む美人っていると思うんだけれど、残念ながらそういう美人はこういうことは言わないんだよ。これは美人でない側、そもそも実力についてしかどうこう言われない側が想像で書きがちな台詞だと思う。
私ももちろん美人でない側でだからこそハンパな素人でもこうしてものを書いちゃっているからこそわかるのです。何故ものを書くのかといえば書けるからなんだけれど、何故書けるのかといえば内省的思考があるからで、書くことはそれを単に文字化しているだけなのであり、何故内省的思考が生まれるとかいえば非美人だからなワケですもちろん(わあ断言しちゃったよ)。非美人の偏見かもしらん、すまん。でも女の子が「可愛いわね」って言われてちやほやされて育ったらそれで満足で世界は明るく回り内省なんかするわきゃないじゃん? そういう承認欲求が満たされないから人は内心で考え始める訳で、それが書かれるべき思考となる訳ですよ。少なくとも私はものこごろついて以来「しっかりしているわね」「お勉強ができるんですってね」という形でしか褒められたことがなかったし、だからそこにアイデンティティを確立しようと考えて生きてきましたよ。そしてそういう生き方をしないでいい美人の思考というものは全然理解不能なワケ。
でもだからこそ美人はたとえこういうことで悩んでいてもこういう言葉に変換しないことは絶対にわかります。これは嘘の台詞、残念ながら。
でも逆に言うとここにこそキモがあるんですよね、この芝居は。つまり非美人というか不美人というかもっと言えばブスのルサンチマンより醜男のそれの方が深く強い訳で、ぶっちゃけそこから作られた話ですものねこれは。だから彼には紫式部の台詞はこういうものとしてしか書けなかったのです。
で、結局は話としては結論もオチもないのです。言っても詮無いことを書いてるだけなんですから。でもおもしろいんだからいいのです。
でもだからこそ作品としてのオチは大事で、私は今回は大不満でした。意味がわからない。
ネタバレですが、舞台は、紫式部が小説ではなくエッセイを書こうとしていて日記を書き始めていて、清少納言がそれを盗み読みするところで終わるのですが、私には何が書いてあってそれに対して清少納言がどう反応したのかまったくつかめなかったし、類推もできませんでした。あとで私が「清少納言はなんか怒ってたじゃん、何に何故怒ってたってことなの?」と同行者に聞いたら、相手は「え? なんか笑ってたじゃん」と言ったくらいです。それくらいあいまいな印象しか残さないオチってどうなのよ? そら怒ってあきれて笑っていたかもしれませんが、結局それが何を意味していたのかまったくわからなかったのです。
あえてわからなくさせたかったのなら、清少納言が読み始めたところですぐ暗転させるべだったと思います。なにがしかの反応を見せるところまでやる必要はないし、やったんだったらそれがどういう反応だったのか、反応の意味がわかるようにやってほしかったです。それとも私がわからなかっただけなの???
プログラムで作者は「オチが弱いとか言われるのが、すごく嫌なんです」と語っていますが、すみません弱いというよりワケがわかりませんでした。一観客の私見ですが、中身がおもしろかっただけに残念です。
とある女流新人文学賞の選考会、審査員はふたり。『源氏物語』で一躍注目を集め、若手女流作家として飛ぶ鳥を落とす勢いの紫式部(長澤まさみ)と、『枕草子』が大ベストセラーになり、エッセイストとして確固たる地位を築いた清少納言(斉藤由貴)だ。ふたりの女としての、作家としての、人生を賭けたブライドのぶつかり合いが始まる…
作・演出/三谷幸喜、美術/堀尾幸男、衣装デザイン/ワダエミ。全一幕。
舞台は選考会前夜のバーで、バーテンは出てきますが台詞がないので、完全にふたり芝居です。
驚いたのは長澤まさみが素晴らしかったこと。正直言ってテレビドラマで見ている分にはまったく感心したことがありませんでした。むしろダイコンだと思っていた。でも恋愛もののテレビドラマが求めるようなヒロイン像にはむしろはまりにくいタイプだったんですね。わかりやすい美人でもないと思うし。こういう癖のある役をやる方が断然魅力的だし、それだけの技量がある女優さんだったのでした。いやあシャッポを脱ぎました(古い)。
しかし始まってしばらくはずっと違和感を持ちながらの観劇でした。というのも、この清少納言と紫式部は、世間的な、一般的なイメージとはキャラクターがどうにも逆に思えたからです。
清少納言の方があっけらかんとした明るい乾いたおばちゃんで、紫式部の方がねちねち粘着質でまわりくどい女っぽい女…というのが普通のイメージではないのかなあ。作品から受ける印象というか通説というか。それこそ酒井順子が語るところの。少なくとも私のイメージはそうです。
となるとからりとしてそうな長澤まさみとうだうだ言うのが上手いに違いない斉藤由貴とじゃ配役が逆じゃん、しかし歳はどうにもならんワケで…とか、けっこうモニョっていたのですよ。
でもだんだん、そもそもこの話は、作家の話を書きたかった作者が、女流作家(プログラムにある英題は「THE AUTHORESSES」)にやらせることにして、そのあと清少納言と紫式部の話にすることを思いついた、という順番で進んだものなので、キャラクター自体はどうでもいいというか後付けなんだな、と思うようになりました。
作者は要するに清少納言というか老作家側のキャラクターに自分の思いを代弁させたいだけでこの芝居を書いているのです。老作家という言い方が悪ければ、盛りをすぎたと言われかねない側というか、追われる側というか、ってことです。実際には誰もそんなこと言っていないのに、当の本人だけが言われているに違いないと被害妄想に陥っているような立場のキャラクター、ってことです。
そしてそれは別にまったく悪いことではありません。そこには確かにドラマがあるし、おもしろいんだからね。ただ勝手に名前を使われた清少納言たちにはちょっと気の毒かな、というくらいでしょうか。だって実際には彼女たちは多分こんなではなかったと思うのですよ。なのに男が想像する女ってこういうのなんだよね、と私は当初やや不愉快に感じたわけですが、違ったこの作者はただ自分を描いているだけなんだと思えてからは割り切れたのでした。ほら、女々しい男って女以下に女っぽいからね。
というワケで、おもしろかったです。
バーのカウンターに佇み待ち合わせ相手を待つ女、そこに現われる待ち合わせ相手の女。客席には背を向けて並んで座って語り合い出し、それでも十分場がもつなたいしたもんだなと思っていたら、場が変わるたびに不思議な音楽が鳴って(インドネシアとかなんかそんな感じの民族音楽的な? だからここはもしかしてラッフルズホテルとかそういう設定なのかしらんとかも思ったり)盆が回り、女ふたりは時にはこちらに向かい、またある時はカウンターを挟んで対峙することもある…おもしろい構造でした。
そんな中で歳も経歴も性格も書くものも違う女ふたりがあれこれと語る。だまし合い罵り合いあざけり合い、泣いたり笑ったり叫んだり暴れたりする。すごくよくわかるわー、あるわー、という感じ。それを芸達者な女優ふたりが存分に体現してくれます。キャラクターに似つかわしいお衣装も素晴らしかったです。靴もショールも完璧。
私はもの書きではないけれどもの書きと仕事をしたことがあることから一番おっと思ったのは、清少納言が言う「読者は意外と馬鹿じゃないわよ」というような台詞でした。これは長く仕事をしてきた者でないと言えない。今の紫式部はそう思っていないし、だから言えないセリフだなと思いました。
逆に残念ながら空々しいなと思ったのは、紫式部の「筆が荒れても誰も何も言わない、肌が荒れたらすぐ何か言うくせに」みたいな笑いにいたる一連の台詞かな。美人でスタイルがいいとそういうことばかり褒められて実力を認めてもらえない、ということはあるんだろうと思うし、それに思い悩む美人っていると思うんだけれど、残念ながらそういう美人はこういうことは言わないんだよ。これは美人でない側、そもそも実力についてしかどうこう言われない側が想像で書きがちな台詞だと思う。
私ももちろん美人でない側でだからこそハンパな素人でもこうしてものを書いちゃっているからこそわかるのです。何故ものを書くのかといえば書けるからなんだけれど、何故書けるのかといえば内省的思考があるからで、書くことはそれを単に文字化しているだけなのであり、何故内省的思考が生まれるとかいえば非美人だからなワケですもちろん(わあ断言しちゃったよ)。非美人の偏見かもしらん、すまん。でも女の子が「可愛いわね」って言われてちやほやされて育ったらそれで満足で世界は明るく回り内省なんかするわきゃないじゃん? そういう承認欲求が満たされないから人は内心で考え始める訳で、それが書かれるべき思考となる訳ですよ。少なくとも私はものこごろついて以来「しっかりしているわね」「お勉強ができるんですってね」という形でしか褒められたことがなかったし、だからそこにアイデンティティを確立しようと考えて生きてきましたよ。そしてそういう生き方をしないでいい美人の思考というものは全然理解不能なワケ。
でもだからこそ美人はたとえこういうことで悩んでいてもこういう言葉に変換しないことは絶対にわかります。これは嘘の台詞、残念ながら。
でも逆に言うとここにこそキモがあるんですよね、この芝居は。つまり非美人というか不美人というかもっと言えばブスのルサンチマンより醜男のそれの方が深く強い訳で、ぶっちゃけそこから作られた話ですものねこれは。だから彼には紫式部の台詞はこういうものとしてしか書けなかったのです。
で、結局は話としては結論もオチもないのです。言っても詮無いことを書いてるだけなんですから。でもおもしろいんだからいいのです。
でもだからこそ作品としてのオチは大事で、私は今回は大不満でした。意味がわからない。
ネタバレですが、舞台は、紫式部が小説ではなくエッセイを書こうとしていて日記を書き始めていて、清少納言がそれを盗み読みするところで終わるのですが、私には何が書いてあってそれに対して清少納言がどう反応したのかまったくつかめなかったし、類推もできませんでした。あとで私が「清少納言はなんか怒ってたじゃん、何に何故怒ってたってことなの?」と同行者に聞いたら、相手は「え? なんか笑ってたじゃん」と言ったくらいです。それくらいあいまいな印象しか残さないオチってどうなのよ? そら怒ってあきれて笑っていたかもしれませんが、結局それが何を意味していたのかまったくわからなかったのです。
あえてわからなくさせたかったのなら、清少納言が読み始めたところですぐ暗転させるべだったと思います。なにがしかの反応を見せるところまでやる必要はないし、やったんだったらそれがどういう反応だったのか、反応の意味がわかるようにやってほしかったです。それとも私がわからなかっただけなの???
プログラムで作者は「オチが弱いとか言われるのが、すごく嫌なんです」と語っていますが、すみません弱いというよりワケがわかりませんでした。一観客の私見ですが、中身がおもしろかっただけに残念です。
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