駒子の備忘録

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フォースター『モーリス』(光文社古典新訳文庫)

2018年06月25日 | 乱読記/書名ま行
 凡庸な少年時代から、モーリスは自分の願望を知ってはいた。ケンブリッジ大学の学舎で知的なクライヴと懇意になり、戯れに体が触れ合ううち、彼の愛は燃え上がる。クライヴもまた愛の言葉を口にするが…欲望のままに生きることが許されない時代に生きる、青年の苦悩と選択を描く。

 映画に関しては大昔に見たことがある…気でいたのですがあのポスタービジュアル以上のイメージが浮かばず、話もまったく覚えていないので、単に知識として存在を踏まえているだけにすぎないのかもしれません。30年ぶりの新訳が出たということなので原作小説をきちんと読んでみようかな、と手に取ってみたのですが、こんな話だったんだ!?という新鮮な驚きに打たれ、また著者はしがきや解説、訳者あとがきなどによる丁寧な経緯説明からいろいろ勉強できました。
 この小説の執筆が1913年から14年にかけてなされていたにもかかわらず、同性愛がイギリスの法律では1967年まで犯罪とされていたために、フォースターの死後の1971年まで刊行されなかったこと、1987年製作のアメリカ映画が興行的に成功したのちに日本でも広く知られるようになったこと…100年かけてやっとここまで、とも思い、またまだまたやっとここなのかとも、どちらの感慨も受けました。
 いいなと思ったのはこれがハッピーエンドの物語で、フォースター自身もそこはこだわって書いていたと知れたことです。こうしたジャンルの作品はどうしても悲劇的な結末に終わるものが多く、それは神から下される罰みたいなイメージからどうしても逃れがたいから故なのかもしれませんが、近年になってやっとそうでもないもの、異性愛となんら違いのないひとつの恋愛の帰結として幸せな結末を描かれるものが現れてきたことを寿ぐ言説を私は最近よく見ていましたが(もしかしたら『おっさんずラブ』もそこに当てはまるのかもしれません)、こうしたものが以前からちゃんと存在していたのだ、同性愛が口にするのも憚れるほどの罪とされていた時代においてもこうした結末の物語が書かれていたのだと思うと、なんだか勇気が湧いてくるように気がするのでした。
 内容自体は、古いというか、くだくだしいというか、不明瞭でわかりづらいというかで、萌え萌えで読めるBLっぽい読みやすさやわかりやすいストーリー展開みたいなものはなく、かといってものすごく文学的で哲学的で高尚だということでもありません。著者が、作中人物に自身を投影しないようにと努めるあまりに、キャラクターが変に露悪的だったり愚鈍に描かれていたりして好感度が低くなってしまっているのももったいない気がしました。でも作品の成り立ちとしては仕方がないところもあるのでしょうし、終盤の鮮やかさは胸がすくようでした。これは映画化なりなんなり、誰かが手を入れて蘇らせたくなるよな、と思いました。
 訳注はちょっとうるさいなと感じました。でも『インドへの道』も読んでみたいなと思わせられました。また別種の差別問題に直面させられるかもしれませんけれどね。

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