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駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇雪組『パルムの僧院』

2014年11月02日 | 観劇記/タイトルは行
 宝塚バウホール2014年11月1日マチネ。

 19世紀初頭、イタリアの小国パルムは大公エルネスト4世(一樹千尋)に支配される陰惨な専制君主国家だった。パルムの名家に生まれた美青年ファブリス(彩風咲奈)はナポリの神学校を卒業し、聖職者として新たな一歩を踏み出すべく4年ぶりに故郷に帰ってきた。屋敷に戻ったファブリスを迎えたのは、育ての親である叔母のサンセヴェリーナ公爵夫人ジーナ(大湖せしる)だったが…
 原作/スタンダール、脚本・演出/野口幸作、作曲・編曲/青木朝子、手島恭子。全2幕。

 咲ちゃんのバウ単独初主演作。前回のダブル主演作は映像でしか観ていません。野口先生の第二作で、デビュー作は映像でも観ていません。
 原作は未読、スペインに移して舞台化された『情熱のバルセロナ』は月、雪組版とも映像で観ました。
 いろいろ思うところはありましたが、なかなかおもしろかったです。やはり生の舞台をなるだけ観ない語れないな、と改めて思いました。

 雪組の若手ホープ彩彩コンビの片割れの咲ちゃんですが、私は申し訳ありませんがノー興味。でも新公主演が豊富なだけあってさすがの真ん中力に感心しました。タッパもあるし頭が小さく手足が長くてスタイルが良く、押し出しもあってオーラもあり、ダンスは今回はそんなに踊らなかったけれど歌えるし演技もいい。期待して観に行ったれいこちゃんより現状では一枚も二枚の上だな、と思いました。
 ただ、美貌が足りない…と思ってしまいました。私はファンじゃないしそもそもオペラグラスを使わない派だから別にしても、バウホールの後方席から観ていたら観客がいつ誰にオペラグラスを上げるのかはよくわかるものです。まあ上がらない率ハンパない。華もあるしオーラもあるし真ん中を務めるのを安心して観ていられる、でも「その綺麗なお顔をただただ見つめていないの…!」みたいな気持ちを発動させられていないのですね、残念ながら。
 可愛い顔立ちだとは思うんだけれどなあ、でもファニーフェイス寄りかなあ。お化粧でもう少しどうにかなるものなのかなあ。なんにもできなくても「特技・美貌」ってだけで成立することがあるのが宝塚スターだと個人的には考えているので(またまた個人的な意見ですが、たとえばテルとかチギちゃんとかってこの枠なんじゃないかと思う。少なくともスタートはそうだったと思う、今はただ綺麗なだけでなく芝居心があるな、とは思うのだけれど)、これはなかなかしんどいのかな、と思ったりしました。
 でも若い頃からここまで路線スターとして扱われてきて、今さら単なる実力派スターみたいには使えないだろうし…組替えなどのチャンスがあるとまた化けるのかもしれませんが、良かっただけに心配になりました。
 ヒロインのあんりちゃんも私は妹さんの方がまだ好きかな、という程度で同じくノー興味なのですが(重ね重ねすみません)、同じく場数を踏んでいるだけあってヒロイン力が素晴らしかったです。
 ダブルヒロインの扱いなのであろうせしるは上手かったけれど、『春雷』といいこういう役回りばかりさせられるのならちょっとかわいそうかな、と思いました。少なくとも私は飽きた。ラインナップの咲ちゃんの前はあんりちゃんにしてあげてほしかったな、単に学年を考慮したのだとは思うけれど。
 れいこちゃんには私が期待しすぎたか、かなりいっぱいいっぱいにがんばっている感じが微笑ましくもあり物足りなくもありました。役柄上、低い声で台詞をしゃべるのがけっこうしんどそうに聞こえてしまって…歌は良かったんだけれどなあ。あとこれまた役のためか猫背に作っていて、せっかくのスタイルの良さが見られなかったのが残念でした。でもホント美人だし色黒の肌と髭が似合って色気はあるし、フィナーレの白い変わり燕尾はそら素敵だし、次世代を確実に担うひとりですね。
 期待しすぎたといえばがおりもそうで、特に歌がちょっと残念だったかなあ…的確な演技だったとは思うのですが、もっとやってくれるはずだろうと思って行ってしまいました、すみません。
 その点、ホタテとあすくんはきっちりいい仕事をしていてさすがだなと思いました。
 あとはひとこちゃん! いい役だったし素敵なビジュアルで、こちらもこれから育てがいがありそうな生徒さんですね。楽しみです。
 きゃびぃは役不足で、ももはなちゃんは学年も進んだせいか大きな役で使われるようになって嬉しくて、朝風れいセンパイがあちこちでいい仕事してて、桜路くんも活躍していて、最下の彩みちるちゃんが可愛くて、なかなか隅々まで堪能しました。バウ公演ってやっぱり楽しいですね。

 さて、では脚本についてです。ちょっと説明台詞が多いけれど、無難な進め方はまずは及第点かなと思いましたし、宝塚ミュージカルのお作法というか様式美にちょっと忠実すぎたような構成も下手に破綻されるよりいいと私は評価したく思います。
 ただ、やはりこのかなり難しい主人公像の造詣に関しては、成功しているとは言いがたいかな、と思いました。
 プログラムによれば主人公のファブリスは「幸福の追求に命を賭ける情熱的な美青年」とありますが、まず彼が何をもってして「幸福」と考えているのかがよくわからないんですね。父や兄には疎まれたようですが、叔母に愛されてまっすぐ育った天真爛漫な青年…のような描写があったかと思えば、留学先で神学校に通いながらも社交界で恋愛遊戯も経験してきたようなことも語られる。本当の愛を知らない、みたいな自覚はあるようですが、では彼が考える「本当の愛」ってなんなのか? 愛に飢えているのか、遊び人で愛を軽んじているのか、彼の愛に対する考え方やスタンスがよくわからないのは愛を描くのを基本とする宝塚歌劇においては問題です。
 男性作家は男性であるがゆえにそのあたりをあいまいに考えがち、と言うか考えないですませがちなことが多い気がしますが、宝塚歌劇と女性観客にとっては最重要課題と言っても過言ではない問題なのでここ試験に出ますよ野口くん。
 ファブリスが求めている愛とはどんなものなのか、それを明示してから話を進めてくれないと、叔母に迫られてやることやっといて、「でもなんか違う気がする、でもそうは言えないからよそに女作ろう」とかアホちゃうか、ってなっちゃうでしょ。マリエッタ(桃花ひな)に対しては同情でも遊びでも正義感でもいいと思うけれど、ジーナに対しては何がどう違ったのか観客にある程度ちゃんと説明する必要がありますよ。で、投獄されたら近くにクレリア(星乃あんり)がいるから「ラッキー、これが真実の愛だ!」ってますますアホみたいでしょ? そもそもひとめ惚れ程度にしか見えてないし、真実の恋を育むような時間も交流もないんだからさ。
 でもそこにそれがあるように見えないと、話が進まないでしょ? 今それを咲ちゃんの真ん中力とあんりちゃんのヒロイン力で無理矢理作り出してみせているんですよ、でもそれじゃつらい。
 ファブリスが求めているものを物語としてなるだけ冒頭にきちんと明示して、でもジーナにはそれが与えられなくて、でもジーナはファブリスが好きで、なのにファブリスはクレリアと恋に落ちてしまう…っていう流れを脚本として作れないといけません。観客は主人公を見て彼を愛するヒロインたちに感情移入して物語を追うのだから、主人公が素敵に見えなかったりヒロインに共感できなかったり登場人物たちがただのアホに見えたりしちゃ駄目なのです。そこには細心の注意が必要なのです。愛によって愚かになっているのはいいのよ、ちゃんとその愛が描けていればね。
 後半は私はクレリアの誓いにこそ意味があると思っていて、だから私は原作を未読なのですがこれはカトリック文学として意味がある作品なのではないかと思っているのですよ。そしてこういう宗教問題は上手く描かないとわかりづらいし納得いきづらいしカタルシスがないことこの上ないのです。このあたりも今回の脚本はかなり物足りないと私は思いました。
 クレリアは愛するファブリスの命を助けるために手を尽くし、神様に「彼の命が助かるのなら私はこの先彼に会えなくてもいい」と祈りました。正確には、「この先彼の顔をもう見られなくてもいいから彼の命を助けてください」と祈った、というか、「彼を助けてくれれば彼の顔は今後二度と見ません」と誓ったというか。キリスト教の祈りって我々あいまいな日本国民が八百万の神に捧げるあいまいな祈りとか感謝とかと違って、ほとんど契約なんですよね。天国に行けるかどうかを賭けた魂の契約。果たされたら守らなくてはならない。
 このあたりの重さ、厳しさを上手くきちんと描いておかないと、その後のクレリアの行動が意味不明になってしまうんですよ。そこが甘かったと思う。フェランテ(月城かなと)がいつ命を賭けて救い出そうとするほどファブリスの親友になったのか描写がない、なんて問題より大きい。私はここには友情よりも大義を見て勝手に補完しました。同様に、何かを犠牲にして愛する人のために何かを贖う、というのはキリスト教徒でなくともわかる感覚で十分補完可能だったのですが、でもとにかくこの作品はこのせつなさとロマンティシズムを見せるべき作品だったと思うのですよね。
 クレリアは再びファブリスとあいまみえる機会を犠牲にして彼の命を救い(実際に救出したのは革命を扇動したフェランテであっても、彼女にとっては神のみわざということなのです)、だました父への贖罪も兼ねて父の言うとおりクレサンジ公爵(永久輝せあ)と結婚した。ファブリスにはそれは理解はできるけれど感情的にはやはり納得がいかない。だから神職についてもしつこく手紙を書き続けてしまう。クレリアも、顔を見ないと誓ったから暗闇の中でなら、と密会を重ねてしまう。けれど夫の子供を身ごもって、この関係を終わりにしようと決心する。ファブリスは失意のうちに暮らし、投獄中に損ねた健康が悪化して落命する…神の愛によって精神的に救われた、みたいなのはわかりづらいので、これでいいと思うんですよね。
 来た見た勝った、じゃないけれど、生きた愛した愛された、見ようによっては若さに任せて暴走し滅んだようにしか見えなくても、そこには確かに真実の愛とそれを求める生き様があったのだ…という物語。その美しさと悲しさに観客が涙する物語。クレリアは夫とあたたかい家庭を築くだろうし、ジーナはずっと待っていてくれたモスカ伯爵(香綾しずる)と再婚してパルムを出る。その幸せを祈る物語。
 そういう、もっと綺麗で泣けてカタルシスのある感動的なラストに着地する方法があったと思うんだけれどなあ…そうはちょっとなっていなかったように見えたので、そこがもったいなかったです。
 要再提出だな野口くん。イヤ期待していますよ!
 毎度エラそうな感想ブログですみません…







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