明治座、2023年5月14日11時半(昼の部)、16時(夜の部)。
昼の部は歌舞伎スペクタクル『不死鳥よ波濤を越えて』。作/植田紳爾、演出・振付/藤間勘十郎、演出/市川猿之助。市川猿之助宙乗り相勤め申し候。夜の部は三代猿之助四十八撰の内『御贔屓繋馬』。作/鶴屋南北、脚本/奈河彰輔、脚本・演出/市川猿翁、補綴・演出/石川耕士、演出/市川猿之助。大喜利所作事は『蜘蛛の絲宿直噺』、市川猿之助六役早替りならびに宙乗り相勤め申し候。
昼が、1968年に初めて宙乗りを披露した三代目市川猿之助が、1975年に『ベルサイユのばら』を初演して一大ブームを巻き起こした植田先生に依頼して、1979年に梅田コマ劇場で初演したザッツ・タカラヅカな歌舞伎演目の再演、と聞いてチケットをさくっと取ったのですが、夜は夜でおもしろいよと人づてに聞き、なら同じ日に観てしまうか、とこれまたさくっと追加しました。こういうことには腰が軽い私…明治座の座席にはシートマットみたいな物が置かれていて、とても快適でした。
植Gは(と、これは揶揄半分、純粋な愛着を込めた愛称半分の呼称で以後語らせていただきます)1973年の甲にしき退団公演『この恋は雲の涯まで』で初めて一本ものを手がけたそうで、これはのちにカリンチョさん主演でも再演し、そのときは組回りのころの大空さんも出演していたかと思いますが、源義経が奥州で死なずに大陸に渡って…というようなお話ですね。いわゆるチンギス・ハン伝説みたいな、アレです。その着想を借りて主人公を平知盛(市川猿之助)に移し、歌舞伎として練り上げたのが『不死鳥よ~』だということです。この流れがスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』につながっていったんだそうで、いうなればこれは「スーパー歌舞伎エピソードゼロ」なんだそうです。
音楽は寺田瀧雄。それに今回は玉麻尚一ほかの手が加わっているとのことですが、観てみたら本当に、私たち宝塚ファンの勝手知ったる宝塚レビュー歌舞伎だったのでした。というかザッツ・植田歌舞伎というか。ああコレか、これを私たちは宝塚歌劇でも観せられてきたんだな、とすごくよくわかりました。
プロローグとか、『白鷺の城』が始まるのかと思った、とお友達も言っていましたが、もう進行が、様式美が、スターの出方や周りの出方なんかのコードが完全に宝塚仕様なんです。植Gの演目には柴田先生のそれとはまた違うプロローグがよくつきますが、まさしくソレなんですね。そこからもうおもしろすぎてテンションは爆上がりに上がり、楽しく観てしまいました。
ただ、冷静に考えると、これはあくまで宝塚歌劇で植Gがやっている植田歌舞伎なだけであって、宝塚歌劇ではないんですね。だって宝塚歌劇って、『応天の門』は漫画原作だから別にすると、歴史ものの最新版は『桜嵐記』というところまで進化しているわけですよ(まあ『夢介』も小説原作だから別にしましょうよ、ね…)。あの深遠さ、繊細さ、奥深さや大きさはも植田歌舞伎にはない。植Gは今新作をと言われてもまんまコレをやるでしょう。でもそれじゃもうダメなんですよ、そのことがよくわかりました。
歌舞伎役者が真面目にやっているからおもしろいし、ドラマとしてもエッセンスはあっておもしろいんだけれど、でもお話も構成としても雑だしザルだし穴だらけで、エンタメとしてはギリギリの出来なんじゃないでしょうか。これをおもしろがってくれる人からでないと金は取れないでしょう。
そしてもちろん歌舞伎でも全然ない、と思った。私は古典もほんのちょっとしか観たことがないし、おまえが歌舞伎の何を知っているんだと問われても何も答えられませんが、でもこれは歌舞伎ではない、と私は思った。歌舞伎役者がやっているだけの、なんちゃって時代劇か新派の舞台、ファンタジー歴史ものの舞台であって、もちろんタカラヅカ・レビューでもない。歌舞伎役者がやればなんでも歌舞伎になる、ということはないと思うんですよね、だって今どきテレビドラマやミュージカルに出る歌舞伎役者はたくさんいるんですから。そしてそれはそれぞれちゃんとそのテレビドラマやミュージカルになっている。だからこの作品も歌舞伎ではなく、あくまで植田歌舞伎でしかない。そういうエンタメの一種で、おもしろいけど出来はそんなに良くないぞ、まあ楽しんだけどね、でもいろいろ考えもしたよね、ということです。毎度まだるっこしくて申し訳ございません。
主人公、トップスターのお役は平知盛、まあ『平家物語』でも人気キャラではあります。知将、悲劇のヒーローのイメージ。それが壇ノ浦で難を逃れて…とは、そりゃ考えたくなるのが人情というものです。それはいい、ただ、いかにもトップスター役にありがちな白いだけの役で、おもしろみがないのが残念でした。四天王たちとか乳母(市川笑三郎)とかヒロインの若狭(市川壱太郎。ちょっともう素晴らしすぎてキュンキュンしちゃいましたよ!)がみんなやたら褒めるし慕うし持ち上げるんだけど、具体的な功績も魅力も展望も何も語られないんですよね。これは単純に脚本の弱点です。真ん中力で猿之助さんが良き恋人、良き主人としてどっしり構えて見せているけれど、でもカバーしきれる穴ではないのです。
生きていたのはめでたいよ、不死鳥のようだよ、再び羽ばたくことを夢見てもいいよ、でも「羽ばたく」って具体的に、ナニ? 大陸に渡って何をどうしたいのか、全然語らないヒーローについていくだなんて、フツー怖くてできません。大丈夫?って部下たちもヒロインのことも観客は疑ってしまう、この構造が何よりの弱点です。
大陸で仲間を募って捲土重来、日本を源氏の手から取り戻す!でもいいし、源氏の手に落ちた日本は捨てて大陸で平氏の国を作る!でもいいし、源平とかで争うのはもうやめて、みんなが幸せになれる国をみんなで作ろう!とかでもいいし、なんならもう名もなき一市民として外国でひっそりささやかな幸せを感じて生きていく!でもいいので、何かしらの具体的な展望を主人公には語ってほしいんですよね。そこに共感するから、部下たちもヒロインも彼を大陸にやろうと必死になるし、自分たちもその夢に協力する、ついていきたい、ってなるんでしょ? そこがぼんやりしたままでどーする、ってことです。
でも猿之助さんは若々しく、てらいなく、それこそ白い役ををやるトップスター然としてただただ真ん中でオーラを発し、愁嘆場では大熱演、さすがでした。プロローグの歌は、まあご愛敬。初演ではクレーンで不死鳥を持ち上げてその上に乗ったというペガ子スタイルだったそうですが、宙乗り設備のある明治座になってからは当人が不死鳥になって悠々飛んでいけることになったそうで、やはり圧巻のラストでした。夜の部の宙乗りは話の序盤に早々にあって、カタルシスに欠けたので、やはりなんでも宙を飛べばいいってもんじゃないよな、とこれまた勉強になったのでした。
ヒロイン、トップ娘役は一幕(上の巻)では知盛の馴染みの白拍子・若狭、二幕(下の巻)では知盛が西域に渡って立ち寄った金王朝の姫・紫蘭の二役で、これがまあ素晴らしく、全娘役ファンがやってもらいたがるようなお役!でした。いうなれば一幕は純粋ヒロイン、二幕は悪女(今で言う悪役令嬢かな?)なんですもの、一粒で二度おいしすぎました!!
若狭は、壇ノ浦のあと流れ流れて船乗り相手の遊女に身を落とすものの、知盛の生存を信じて操を守って待っている、という展開。ここで、もとは白拍子仲間で今は同じく遊女の身という陽炎(市川笑也)というキャラが出てくるんですけれど、これがまた別格娘役に演じさせたいようないいお役で、シビれまくりました。こういうところが意外に上手いのが憎いんだよ植G…!
そこへ助っ人に現れるような形にもなるのが、二番手スターの役どころ、中村隼人の楊乾竜、宗の宰相の息子です。知盛の知己で彼を大陸に逃す手はずをしてくれるナイスガイ、イケメン枠ですカーッコいーい! すらりと背が高くスマートでハンサムで明るいオーラがあって優しそうで、役に求められるところをきっちりやってのけて、四天王に対してはアオレンジャーだし、大立ち廻りの見せ場もあってまあおいしい。惚れてまうやろ!でした。
知盛と若狭は無事再会し、ともに海を渡ろう…となったところで、水軍の兵に女は不浄だから船には乗せられない、とか言われ、モメることになります。まあお話の展開上仕方がないし、当時は確かにそう言われていたんだろうけど、歌舞伎も女性観客が多いと思うのでもう少しフォローせいや植G、とは思いました。またここで知盛が若狭に、先に行くけどすぐ自前の船を仕立てて迎えに戻るから、とか言えばいいのに、そういう具体的なプランを立てることなく「なら俺も残る!」とかしょーもないことを言い出すから(これはお話都合と言えど彼は大器ではないということになってしまうのでやっぱもっとよく考えて植G…)、若狭が知盛を行かせるために身投げすることになるわけで、ああまた物語都合で殺される女を観せられちゃったよ…と暗澹たる思いになりながらも、断崖で慟哭する猿之助さんの熱さにほろりとはさせられてしまうのでした。
てか『この恋は~』は映像でしか観ていなくてちゃんとした記憶がないせいもありますが、むしろこの演目は『我が愛は山の彼方に』っぽいな、と思う点も多々ありました。まあ植Gの萌えはそのあたりにあって常に同工異曲で作劇している、というのは別に悪いことではないと思います。というか『我が愛は~』は月全ツ版がなんかヘンな改悪だったけど、いいブラッシュアップをすれば今でも上演に耐えるいい作品になると私は考えています。それこそ宝塚グランドロマン、です。
二幕が華やかな金王朝の王宮の宴から始まるのも、またいかにも宝塚歌劇っぽかったです。年若い王(中村米吉。立役のときと女形のときとちょうど真ん中の少年声を出していて、先日の『応天の門』のからんちゃんを思い出したりもしましたが、ホント良きでした…!)が玉座に着いたばかりで、ふたりの姉姫が紫蘭と蓮花(市川男寅)です。ここは二番手娘役ね、そんで新公ヒロインやるヤツ!(笑)
紫蘭は宰相の武完(下村青。もと劇団四季の方なんですか? まあ歌う歌う、そしてむちゃむちゃ上手い。あたりまえですが)と婚約していますが、それは先王の取り決めたものであるらしく、ラブはない模様。この設定がまたいいのです…! てーかこの武完、黒いお衣装でいかにも悪役然としちゃって、この間の『ディミトリ』のありちゃんアヴァク系なキャラなわけですよ。王女を娶って国ごと乗っ取りたい野心があるワケ。今なら専科特出のまゆぽんとかがめっちゃ上手くやっちゃうような、三番手ががんばるか別格スターがぎらりと爪痕残すか、な役回りです。
乾竜のとりなしもあって王家は知盛一行を歓待しようとしますが、武完が水を差し、そこを紫蘭が救います。紫蘭としてはいけすかない武完がやりたがることの反対をやってやりたかっただけなのかもしれないし、知盛の水も滴るいい男っぷりにちょっと興味を持ったのかもしれない。王女としての矜持のある、聡明で、茶目っ気もある、気が強くてプライドも高い、いいお姫さまなんですよコレが! 知盛の方も、若狭と瓜ふたつの紫蘭に出会ってちょっと動揺する。しかしいざ紫蘭に口説かれると、亡き若狭に愛を誓った身でもあるし、と断って立ち去ってしまう。面目をつぶされた紫蘭は、武完に知盛殺害を命じる…いやーこのくだりのドラマチックさには十分金が払えておつりが来ましたね! ふたりともやってて楽しかったろうなあ、というのが窺えました。おもしろかったし素晴らしかったし濃かったし、悪役ソングもめっちゃよかった。銀橋が欲しかったです…! そうそう、どこか忘れましたがカーテン前芝居があったんですよね、植G…!ってなりました。
さて、ここまでお供についてきた四天王たちは中村福之助、中村歌之介、市川青虎、嘉島典俊。お城の外に幕舎を構えて故郷を思ったりなんたりするのですが、ここでは一幕から変わって西域ふうのお衣装に着替えているのがまたカワイイ。四番手以下くらいの、若手ホープ男役たちがグループ芝居をやらされるあたりですよね、とこれまたニマニマ。
宗と金の思惑や政治や、案じた王も幕舎を訪れること、そこへの武完の襲撃と立ち廻り、からの二番手の腕の中で落命するトップスターまで、もう怒濤のおもろさでたまりませんでした。イヤ恩人に迷惑はかけられない、とか二国を戦争させたいわけじゃない、とかはわかるのですが、そもそもの知盛の目標や展望が明示されてこなかったので、その選択でええんかーい!というつっこみやここまでついてきた部下たちの立場は、とか何より身を賭してまで彼に海を渡らせた若狭の立場は…とついつっこみたくなるので、純粋に泣けないのはたいそう残念でしたけれどね。でもおもしろいはおもしろいのでした。
そして昇天…力技ですが、エンタメなのでした。
そうそう、知盛の仲間で、陽炎の恋人、気の触れた振りをして実は…というこれまたおいしい役どころの通盛(中村鴈治郎)も素晴らしかったです。路線組長とかがやっちゃうヤツね…
あとはフィナーレというか、バレードがあるんですよ! 宙乗りの支度時間を稼ぐためのものだとしても、やはり多幸感が素晴らしかったです。
夜の部は、三代目猿之助が1984年に初演したものをもとにしていて、おなじみの平将門や源頼光が登場する「前太平記」もの。もともとは四世鶴屋南北の『四天王産湯玉川』と『戻橋背御摂』をつなぎ、さらに河竹黙阿弥の舞踊劇『土蜘』を下敷きにした『来宵蜘蛛絲』をつなげた長編だったそうです。今回は平良門(市川猿之助)の蘇生に焦点を当てて改稿しているそうです。
補綴・演出の方のプログラムのコメントによれば、猿翁丈に「筋をひと口で言えるような芝居でないとダメだ」と教えられてきて、「こうしたお芝居は理屈を通すより局面のおもしろさがキモなのですが、あまりに意味不明では興味をつなぎとめられないので」留意し、「将門の息子と純友の娘が許婚で、おたがいに顔は知らないけれど愛し合い、女が男の身替りになりたいと思っている」芝居に仕立てた、ということのようです。
そう、まあ私もオタクだし、史実としても、あるいは歴史ものの漫画だ小説だドラマだといろいろ見てきているので源平ものも太平記ものも主だったキャラやエピソードはそこそこ知っているつもりではありますが、かつては本当に現在に直結した知識であり常識であり、万人が承知していて、だからこそお芝居でどこかをテキトーに切り出してそこだけ演じても、みんな前後の文脈がわかるし、その場面だけを十分楽しめたのでしょう。
でも、今、そんな観客はもうほぼいない、でしょう。いや古典歌舞伎を観まくっていてめっちゃくわしくなっている見巧者ならまだしも、たいていはその域にはいないだろうし、まして今やよそからちょっとでも新規の客を取りたいわけで、だとしたら歌舞伎にも歴史にもくわしくない人でもわかるキャラクターを立ててストーリーを展開させなければなりません。ここがキモ、なのはいいけど、そこに至る必然とかその後の顛末も大事なのです。私がコクーン歌舞伎とかスーパー歌舞伎の方が古典より観やすく感じるのは、そういう現代的な配慮がなされているからです。
だからこの演目も、古典とはいえだいぶ手は入れられていて、しかしやっぱり古典だなあ、特に昼の部に比べるとやっぱり全然歌舞伎っぽいなあ、そしていい意味でも悪い意味でもやっぱりこうなんだなあ、ということがよくわかって、一日通して観てとても勉強になりました。夜の部も夜の部でおもしろかったし、そのおもしろさは昼夜で違うし、これは好みもあるし何を求めるかにもよりますね。なかなかに甲乙つけがたいのでは、と感じました。別に争うものではないけどさ、どっちが客入りがいいとかあるのかなあ? まあ開演時間の関係もあるからな…
さて、良門は平将門の息子で、滝夜叉姫(市川男寅)の兄です。先月の歌舞伎座の『新・陰陽師』と被ったのはたまたまだったそうですが、それを拾うギャグもありました。猿之助さんって必ずこういうネタを入れますよね…(笑)
それはともかく、いわゆる「だんまり」を私は初めてちゃんと見たかもしれません。ま、ここも、なんで突然ここに桔梗の前(中村米吉。この作品では藤原純友の娘で、『新・陰陽師』の同名のお役とは違うのがまたなんとも…他にもいくらでも名前なんかあるやろ!)が現れるんじゃーい!とはつっこみたいのですが、それが古典歌舞伎だから仕方ない…(笑)
場面変わって大江山、遊郭場面のわりに絵面が寂しいのはなんの都合なんでしょう…それはともかく(コレばっかりやな)、ここで登場する、まだお客も取れない田舎娘の百足のお百(市川團子)がかーわー! 台屋ってナニ?な四郎次(中村隼人)がかっけー!
それでいろいろあって(オイ)、お尋ね者にされている愛しい婚約者の身替わりとして捕まり死ぬことで彼を守ろう、生き延びさせようと男装している…という超絶ヒロイン設定のよねきっつぁんがもう愛らしくいじらしくせつなく泣かせてきて、なのに歌舞伎ってすぐ首を取るしホントもー!って感じで、そして何故か(オイ)良門の忠臣・正頼(中村福之助)が大立ち廻りの見せ場をかっさらい、四郎次は頼光の家臣だわお百は田原藤太(何故田原なんだメジャーなのは俵だろう)の娘・千晴だわで、なんなんだー!のうちに、ま、今回はこのへんで、みたいな幕引き(笑)。これぞ私が思う古典歌舞伎です…
ここの赤いおべべで将門の髑髏を手にした千晴たんが素晴らしきすぎて、うっかり舞台写真を買ってしまったことはナイショです。
ラストは、頼光の家臣たちが蜘蛛の精にたぶらかされて…みたいなのを、猿之助さんが六役早変わりで鮮やかに演じ、あの蜘蛛の糸をぱあっと散らすヤツがふんだんに見られて、これまたではこのへんで!とばかりに幕となる、このランボーさがホント歌舞伎…!と私なんかはマジで思っているので、大満足で楽しく観終えたのでした。いいとこだけバンバン見せるエンタメ、というスタイル、そりゃアリですよね。
しかし渡辺綱が中車パパだったのね、よくわからなかったかも…とりあえず『大江山花伝』も思い出してニマニマしました。こういうふうにつながるわけですし、やはりお勉強も教養も趣味も大事です。人生を豊かにします。次は三越劇場の歌舞伎舞踊が気になっているのですが、でも私は踊りは全然わからいなからなあ…やはりストーリーがないとなあ、いくら團子ちゃんのためでもなあ…でも何かの筋や情景を踊るものなのかしら、ううーむ…
と、沼の淵でうろうろしている今日この頃なのでした。
昼の部は歌舞伎スペクタクル『不死鳥よ波濤を越えて』。作/植田紳爾、演出・振付/藤間勘十郎、演出/市川猿之助。市川猿之助宙乗り相勤め申し候。夜の部は三代猿之助四十八撰の内『御贔屓繋馬』。作/鶴屋南北、脚本/奈河彰輔、脚本・演出/市川猿翁、補綴・演出/石川耕士、演出/市川猿之助。大喜利所作事は『蜘蛛の絲宿直噺』、市川猿之助六役早替りならびに宙乗り相勤め申し候。
昼が、1968年に初めて宙乗りを披露した三代目市川猿之助が、1975年に『ベルサイユのばら』を初演して一大ブームを巻き起こした植田先生に依頼して、1979年に梅田コマ劇場で初演したザッツ・タカラヅカな歌舞伎演目の再演、と聞いてチケットをさくっと取ったのですが、夜は夜でおもしろいよと人づてに聞き、なら同じ日に観てしまうか、とこれまたさくっと追加しました。こういうことには腰が軽い私…明治座の座席にはシートマットみたいな物が置かれていて、とても快適でした。
植Gは(と、これは揶揄半分、純粋な愛着を込めた愛称半分の呼称で以後語らせていただきます)1973年の甲にしき退団公演『この恋は雲の涯まで』で初めて一本ものを手がけたそうで、これはのちにカリンチョさん主演でも再演し、そのときは組回りのころの大空さんも出演していたかと思いますが、源義経が奥州で死なずに大陸に渡って…というようなお話ですね。いわゆるチンギス・ハン伝説みたいな、アレです。その着想を借りて主人公を平知盛(市川猿之助)に移し、歌舞伎として練り上げたのが『不死鳥よ~』だということです。この流れがスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』につながっていったんだそうで、いうなればこれは「スーパー歌舞伎エピソードゼロ」なんだそうです。
音楽は寺田瀧雄。それに今回は玉麻尚一ほかの手が加わっているとのことですが、観てみたら本当に、私たち宝塚ファンの勝手知ったる宝塚レビュー歌舞伎だったのでした。というかザッツ・植田歌舞伎というか。ああコレか、これを私たちは宝塚歌劇でも観せられてきたんだな、とすごくよくわかりました。
プロローグとか、『白鷺の城』が始まるのかと思った、とお友達も言っていましたが、もう進行が、様式美が、スターの出方や周りの出方なんかのコードが完全に宝塚仕様なんです。植Gの演目には柴田先生のそれとはまた違うプロローグがよくつきますが、まさしくソレなんですね。そこからもうおもしろすぎてテンションは爆上がりに上がり、楽しく観てしまいました。
ただ、冷静に考えると、これはあくまで宝塚歌劇で植Gがやっている植田歌舞伎なだけであって、宝塚歌劇ではないんですね。だって宝塚歌劇って、『応天の門』は漫画原作だから別にすると、歴史ものの最新版は『桜嵐記』というところまで進化しているわけですよ(まあ『夢介』も小説原作だから別にしましょうよ、ね…)。あの深遠さ、繊細さ、奥深さや大きさはも植田歌舞伎にはない。植Gは今新作をと言われてもまんまコレをやるでしょう。でもそれじゃもうダメなんですよ、そのことがよくわかりました。
歌舞伎役者が真面目にやっているからおもしろいし、ドラマとしてもエッセンスはあっておもしろいんだけれど、でもお話も構成としても雑だしザルだし穴だらけで、エンタメとしてはギリギリの出来なんじゃないでしょうか。これをおもしろがってくれる人からでないと金は取れないでしょう。
そしてもちろん歌舞伎でも全然ない、と思った。私は古典もほんのちょっとしか観たことがないし、おまえが歌舞伎の何を知っているんだと問われても何も答えられませんが、でもこれは歌舞伎ではない、と私は思った。歌舞伎役者がやっているだけの、なんちゃって時代劇か新派の舞台、ファンタジー歴史ものの舞台であって、もちろんタカラヅカ・レビューでもない。歌舞伎役者がやればなんでも歌舞伎になる、ということはないと思うんですよね、だって今どきテレビドラマやミュージカルに出る歌舞伎役者はたくさんいるんですから。そしてそれはそれぞれちゃんとそのテレビドラマやミュージカルになっている。だからこの作品も歌舞伎ではなく、あくまで植田歌舞伎でしかない。そういうエンタメの一種で、おもしろいけど出来はそんなに良くないぞ、まあ楽しんだけどね、でもいろいろ考えもしたよね、ということです。毎度まだるっこしくて申し訳ございません。
主人公、トップスターのお役は平知盛、まあ『平家物語』でも人気キャラではあります。知将、悲劇のヒーローのイメージ。それが壇ノ浦で難を逃れて…とは、そりゃ考えたくなるのが人情というものです。それはいい、ただ、いかにもトップスター役にありがちな白いだけの役で、おもしろみがないのが残念でした。四天王たちとか乳母(市川笑三郎)とかヒロインの若狭(市川壱太郎。ちょっともう素晴らしすぎてキュンキュンしちゃいましたよ!)がみんなやたら褒めるし慕うし持ち上げるんだけど、具体的な功績も魅力も展望も何も語られないんですよね。これは単純に脚本の弱点です。真ん中力で猿之助さんが良き恋人、良き主人としてどっしり構えて見せているけれど、でもカバーしきれる穴ではないのです。
生きていたのはめでたいよ、不死鳥のようだよ、再び羽ばたくことを夢見てもいいよ、でも「羽ばたく」って具体的に、ナニ? 大陸に渡って何をどうしたいのか、全然語らないヒーローについていくだなんて、フツー怖くてできません。大丈夫?って部下たちもヒロインのことも観客は疑ってしまう、この構造が何よりの弱点です。
大陸で仲間を募って捲土重来、日本を源氏の手から取り戻す!でもいいし、源氏の手に落ちた日本は捨てて大陸で平氏の国を作る!でもいいし、源平とかで争うのはもうやめて、みんなが幸せになれる国をみんなで作ろう!とかでもいいし、なんならもう名もなき一市民として外国でひっそりささやかな幸せを感じて生きていく!でもいいので、何かしらの具体的な展望を主人公には語ってほしいんですよね。そこに共感するから、部下たちもヒロインも彼を大陸にやろうと必死になるし、自分たちもその夢に協力する、ついていきたい、ってなるんでしょ? そこがぼんやりしたままでどーする、ってことです。
でも猿之助さんは若々しく、てらいなく、それこそ白い役ををやるトップスター然としてただただ真ん中でオーラを発し、愁嘆場では大熱演、さすがでした。プロローグの歌は、まあご愛敬。初演ではクレーンで不死鳥を持ち上げてその上に乗ったというペガ子スタイルだったそうですが、宙乗り設備のある明治座になってからは当人が不死鳥になって悠々飛んでいけることになったそうで、やはり圧巻のラストでした。夜の部の宙乗りは話の序盤に早々にあって、カタルシスに欠けたので、やはりなんでも宙を飛べばいいってもんじゃないよな、とこれまた勉強になったのでした。
ヒロイン、トップ娘役は一幕(上の巻)では知盛の馴染みの白拍子・若狭、二幕(下の巻)では知盛が西域に渡って立ち寄った金王朝の姫・紫蘭の二役で、これがまあ素晴らしく、全娘役ファンがやってもらいたがるようなお役!でした。いうなれば一幕は純粋ヒロイン、二幕は悪女(今で言う悪役令嬢かな?)なんですもの、一粒で二度おいしすぎました!!
若狭は、壇ノ浦のあと流れ流れて船乗り相手の遊女に身を落とすものの、知盛の生存を信じて操を守って待っている、という展開。ここで、もとは白拍子仲間で今は同じく遊女の身という陽炎(市川笑也)というキャラが出てくるんですけれど、これがまた別格娘役に演じさせたいようないいお役で、シビれまくりました。こういうところが意外に上手いのが憎いんだよ植G…!
そこへ助っ人に現れるような形にもなるのが、二番手スターの役どころ、中村隼人の楊乾竜、宗の宰相の息子です。知盛の知己で彼を大陸に逃す手はずをしてくれるナイスガイ、イケメン枠ですカーッコいーい! すらりと背が高くスマートでハンサムで明るいオーラがあって優しそうで、役に求められるところをきっちりやってのけて、四天王に対してはアオレンジャーだし、大立ち廻りの見せ場もあってまあおいしい。惚れてまうやろ!でした。
知盛と若狭は無事再会し、ともに海を渡ろう…となったところで、水軍の兵に女は不浄だから船には乗せられない、とか言われ、モメることになります。まあお話の展開上仕方がないし、当時は確かにそう言われていたんだろうけど、歌舞伎も女性観客が多いと思うのでもう少しフォローせいや植G、とは思いました。またここで知盛が若狭に、先に行くけどすぐ自前の船を仕立てて迎えに戻るから、とか言えばいいのに、そういう具体的なプランを立てることなく「なら俺も残る!」とかしょーもないことを言い出すから(これはお話都合と言えど彼は大器ではないということになってしまうのでやっぱもっとよく考えて植G…)、若狭が知盛を行かせるために身投げすることになるわけで、ああまた物語都合で殺される女を観せられちゃったよ…と暗澹たる思いになりながらも、断崖で慟哭する猿之助さんの熱さにほろりとはさせられてしまうのでした。
てか『この恋は~』は映像でしか観ていなくてちゃんとした記憶がないせいもありますが、むしろこの演目は『我が愛は山の彼方に』っぽいな、と思う点も多々ありました。まあ植Gの萌えはそのあたりにあって常に同工異曲で作劇している、というのは別に悪いことではないと思います。というか『我が愛は~』は月全ツ版がなんかヘンな改悪だったけど、いいブラッシュアップをすれば今でも上演に耐えるいい作品になると私は考えています。それこそ宝塚グランドロマン、です。
二幕が華やかな金王朝の王宮の宴から始まるのも、またいかにも宝塚歌劇っぽかったです。年若い王(中村米吉。立役のときと女形のときとちょうど真ん中の少年声を出していて、先日の『応天の門』のからんちゃんを思い出したりもしましたが、ホント良きでした…!)が玉座に着いたばかりで、ふたりの姉姫が紫蘭と蓮花(市川男寅)です。ここは二番手娘役ね、そんで新公ヒロインやるヤツ!(笑)
紫蘭は宰相の武完(下村青。もと劇団四季の方なんですか? まあ歌う歌う、そしてむちゃむちゃ上手い。あたりまえですが)と婚約していますが、それは先王の取り決めたものであるらしく、ラブはない模様。この設定がまたいいのです…! てーかこの武完、黒いお衣装でいかにも悪役然としちゃって、この間の『ディミトリ』のありちゃんアヴァク系なキャラなわけですよ。王女を娶って国ごと乗っ取りたい野心があるワケ。今なら専科特出のまゆぽんとかがめっちゃ上手くやっちゃうような、三番手ががんばるか別格スターがぎらりと爪痕残すか、な役回りです。
乾竜のとりなしもあって王家は知盛一行を歓待しようとしますが、武完が水を差し、そこを紫蘭が救います。紫蘭としてはいけすかない武完がやりたがることの反対をやってやりたかっただけなのかもしれないし、知盛の水も滴るいい男っぷりにちょっと興味を持ったのかもしれない。王女としての矜持のある、聡明で、茶目っ気もある、気が強くてプライドも高い、いいお姫さまなんですよコレが! 知盛の方も、若狭と瓜ふたつの紫蘭に出会ってちょっと動揺する。しかしいざ紫蘭に口説かれると、亡き若狭に愛を誓った身でもあるし、と断って立ち去ってしまう。面目をつぶされた紫蘭は、武完に知盛殺害を命じる…いやーこのくだりのドラマチックさには十分金が払えておつりが来ましたね! ふたりともやってて楽しかったろうなあ、というのが窺えました。おもしろかったし素晴らしかったし濃かったし、悪役ソングもめっちゃよかった。銀橋が欲しかったです…! そうそう、どこか忘れましたがカーテン前芝居があったんですよね、植G…!ってなりました。
さて、ここまでお供についてきた四天王たちは中村福之助、中村歌之介、市川青虎、嘉島典俊。お城の外に幕舎を構えて故郷を思ったりなんたりするのですが、ここでは一幕から変わって西域ふうのお衣装に着替えているのがまたカワイイ。四番手以下くらいの、若手ホープ男役たちがグループ芝居をやらされるあたりですよね、とこれまたニマニマ。
宗と金の思惑や政治や、案じた王も幕舎を訪れること、そこへの武完の襲撃と立ち廻り、からの二番手の腕の中で落命するトップスターまで、もう怒濤のおもろさでたまりませんでした。イヤ恩人に迷惑はかけられない、とか二国を戦争させたいわけじゃない、とかはわかるのですが、そもそもの知盛の目標や展望が明示されてこなかったので、その選択でええんかーい!というつっこみやここまでついてきた部下たちの立場は、とか何より身を賭してまで彼に海を渡らせた若狭の立場は…とついつっこみたくなるので、純粋に泣けないのはたいそう残念でしたけれどね。でもおもしろいはおもしろいのでした。
そして昇天…力技ですが、エンタメなのでした。
そうそう、知盛の仲間で、陽炎の恋人、気の触れた振りをして実は…というこれまたおいしい役どころの通盛(中村鴈治郎)も素晴らしかったです。路線組長とかがやっちゃうヤツね…
あとはフィナーレというか、バレードがあるんですよ! 宙乗りの支度時間を稼ぐためのものだとしても、やはり多幸感が素晴らしかったです。
夜の部は、三代目猿之助が1984年に初演したものをもとにしていて、おなじみの平将門や源頼光が登場する「前太平記」もの。もともとは四世鶴屋南北の『四天王産湯玉川』と『戻橋背御摂』をつなぎ、さらに河竹黙阿弥の舞踊劇『土蜘』を下敷きにした『来宵蜘蛛絲』をつなげた長編だったそうです。今回は平良門(市川猿之助)の蘇生に焦点を当てて改稿しているそうです。
補綴・演出の方のプログラムのコメントによれば、猿翁丈に「筋をひと口で言えるような芝居でないとダメだ」と教えられてきて、「こうしたお芝居は理屈を通すより局面のおもしろさがキモなのですが、あまりに意味不明では興味をつなぎとめられないので」留意し、「将門の息子と純友の娘が許婚で、おたがいに顔は知らないけれど愛し合い、女が男の身替りになりたいと思っている」芝居に仕立てた、ということのようです。
そう、まあ私もオタクだし、史実としても、あるいは歴史ものの漫画だ小説だドラマだといろいろ見てきているので源平ものも太平記ものも主だったキャラやエピソードはそこそこ知っているつもりではありますが、かつては本当に現在に直結した知識であり常識であり、万人が承知していて、だからこそお芝居でどこかをテキトーに切り出してそこだけ演じても、みんな前後の文脈がわかるし、その場面だけを十分楽しめたのでしょう。
でも、今、そんな観客はもうほぼいない、でしょう。いや古典歌舞伎を観まくっていてめっちゃくわしくなっている見巧者ならまだしも、たいていはその域にはいないだろうし、まして今やよそからちょっとでも新規の客を取りたいわけで、だとしたら歌舞伎にも歴史にもくわしくない人でもわかるキャラクターを立ててストーリーを展開させなければなりません。ここがキモ、なのはいいけど、そこに至る必然とかその後の顛末も大事なのです。私がコクーン歌舞伎とかスーパー歌舞伎の方が古典より観やすく感じるのは、そういう現代的な配慮がなされているからです。
だからこの演目も、古典とはいえだいぶ手は入れられていて、しかしやっぱり古典だなあ、特に昼の部に比べるとやっぱり全然歌舞伎っぽいなあ、そしていい意味でも悪い意味でもやっぱりこうなんだなあ、ということがよくわかって、一日通して観てとても勉強になりました。夜の部も夜の部でおもしろかったし、そのおもしろさは昼夜で違うし、これは好みもあるし何を求めるかにもよりますね。なかなかに甲乙つけがたいのでは、と感じました。別に争うものではないけどさ、どっちが客入りがいいとかあるのかなあ? まあ開演時間の関係もあるからな…
さて、良門は平将門の息子で、滝夜叉姫(市川男寅)の兄です。先月の歌舞伎座の『新・陰陽師』と被ったのはたまたまだったそうですが、それを拾うギャグもありました。猿之助さんって必ずこういうネタを入れますよね…(笑)
それはともかく、いわゆる「だんまり」を私は初めてちゃんと見たかもしれません。ま、ここも、なんで突然ここに桔梗の前(中村米吉。この作品では藤原純友の娘で、『新・陰陽師』の同名のお役とは違うのがまたなんとも…他にもいくらでも名前なんかあるやろ!)が現れるんじゃーい!とはつっこみたいのですが、それが古典歌舞伎だから仕方ない…(笑)
場面変わって大江山、遊郭場面のわりに絵面が寂しいのはなんの都合なんでしょう…それはともかく(コレばっかりやな)、ここで登場する、まだお客も取れない田舎娘の百足のお百(市川團子)がかーわー! 台屋ってナニ?な四郎次(中村隼人)がかっけー!
それでいろいろあって(オイ)、お尋ね者にされている愛しい婚約者の身替わりとして捕まり死ぬことで彼を守ろう、生き延びさせようと男装している…という超絶ヒロイン設定のよねきっつぁんがもう愛らしくいじらしくせつなく泣かせてきて、なのに歌舞伎ってすぐ首を取るしホントもー!って感じで、そして何故か(オイ)良門の忠臣・正頼(中村福之助)が大立ち廻りの見せ場をかっさらい、四郎次は頼光の家臣だわお百は田原藤太(何故田原なんだメジャーなのは俵だろう)の娘・千晴だわで、なんなんだー!のうちに、ま、今回はこのへんで、みたいな幕引き(笑)。これぞ私が思う古典歌舞伎です…
ここの赤いおべべで将門の髑髏を手にした千晴たんが素晴らしきすぎて、うっかり舞台写真を買ってしまったことはナイショです。
ラストは、頼光の家臣たちが蜘蛛の精にたぶらかされて…みたいなのを、猿之助さんが六役早変わりで鮮やかに演じ、あの蜘蛛の糸をぱあっと散らすヤツがふんだんに見られて、これまたではこのへんで!とばかりに幕となる、このランボーさがホント歌舞伎…!と私なんかはマジで思っているので、大満足で楽しく観終えたのでした。いいとこだけバンバン見せるエンタメ、というスタイル、そりゃアリですよね。
しかし渡辺綱が中車パパだったのね、よくわからなかったかも…とりあえず『大江山花伝』も思い出してニマニマしました。こういうふうにつながるわけですし、やはりお勉強も教養も趣味も大事です。人生を豊かにします。次は三越劇場の歌舞伎舞踊が気になっているのですが、でも私は踊りは全然わからいなからなあ…やはりストーリーがないとなあ、いくら團子ちゃんのためでもなあ…でも何かの筋や情景を踊るものなのかしら、ううーむ…
と、沼の淵でうろうろしている今日この頃なのでした。
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