駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『ELPIDIO』

2022年11月25日 | 観劇記/タイトルあ行
 KAAT神奈川芸術劇場、2022年11月23日15時半。

 20世紀初頭のマドリード。大航海時代には「太陽の沈まぬ国」と言われるほど隆盛を極めたスペイン帝国も、今や植民地は次々と独立、国内においても分裂が続き、かつての栄光は見る影もなくなっていた。国を憂える男たちが集う酒場に、仲間たちからロレンシオ(鳳月杏)と呼ばれる男の姿があった。死に直面しながらも命を取り留めた過去を持つ彼は、度重なる戦争や民族紛争、軍の制圧によって市井の人々が被る悲哀や怒り、孤独といった感情に寄り添うような詩を紡いでいる。だがある夜、何者かに襲われたロレンシオは、軍の大佐でもあるアルバレス侯爵の館に連れていかれる。侯爵の秘書官ゴメス(輝月ゆうま)と執事アロンソ(蓮つかさ)の目的は、侯爵と瓜ふたつのロレンシオを、怪我をした侯爵の替え玉とすることで…
 作・演出・振付/謝珠栄、作曲・編曲/玉麻尚一、小澤時史、フラメンコ振付・指導/蘭このみ。「希望という名の男」を描くミュージカル・ロマンティコ、全2幕。

 …すみません、一回の観劇だけで語ります。それは私が、今年のラスト遠征とするつもりだったDCのチケットを、幕間にはすでに手放すことを考え始めていて、終演後さくっとお友達に譲り新幹線をキャンセルしたからです。以下はそういう感想の記事です。これから舞台をご覧になる方や配信を楽しみにしていらっしゃる方、萌え萌えで通っている方はご留意ください。

 さて、私は、わりと評判があまり良くないらしい『眩耀の谷』をめっちゃ高く評価しているんですよね。思えばその後再演続きのこっとんコンビのトップお披露目に新作オリジナル当て書き作品が書き下ろされたことがまずよかったと思うし、スーパーヒーローが似合うと思われがちなこっちゃんにまさかの戦わない、逃げるという選択をする主人公を当てたのもよかったと思っているし、物語が争いや戦いをモチーフにする上で避けて通れないと考えられがちな勝つの負けるのといった顛末からまさかの戦わない、争わない、だから負けることもない、という解決策を提示して見せたこの作品って本当に新しいと思いましたし、それを女々しいとか情けないと思わせずに凜々しくやってのけた主人公のこっちゃんの姿に私は本当に唸らされ、今でも高く評価しているのですよ。謝先生は演出や振付はいいけど脚本は…と言われがちだったと思うのですけれど、私は外部の作品もわりとそんなに悪いイメージがなく、この作品も本当に好きだったので、今回も期待していました。
 ただ、「歌劇」とかを読んでも作品のイメージが全然湧かないこと、ナウオンを見ても何がキモの作品かよくわからなかったこと、初日の感想ツイートが軒並み微妙だったことは引っかかっていて、なんとなくそういう覚悟はして劇場へ向かいました。生徒の小芝居を褒めるツイートが目についたり、ツイートに主人公の名前が全然出てこない作品はハズレだ、というのは私調べとして、あります。
 そらそうだ、だってロレンシオですら主人公の名前じゃないんだもん。でもそういうネタバレを避けるため、という配慮ももちろんあるのでしょうが、主人公のことが言及されないのは要するに語ることがないからですよね。本名が明かされるのは最後の最後で、かつ明かされてもなお語るべきことは特にない、という…それまで主人公の真意がずーっと明かされないので、私は『フィレンツェ』以上に「…で、いつおもしろくなるの?」って思いながら観るハメになったわけですが、でもあれは私は二度目は萌え萌えだったので、やはり我慢してちゃんとDCにも行くべきだったのかもしれません。でもまだ新幹線のキャンセル料がかからなかったから…このところ忙しくてノー予定の休日がなかったし、ついサボりたくなって日和ってしまいました。すみません…なので本当は私には語る資格はないのかもしれません。だが語る、ここは私のブログだから(^^;)。

 さてしかし、ホントどこからつっこんだらいいものか…てかまさか謝先生が、ちょっと前の景子先生みたいな、ちょっと勉強しただけのことをそのまま作品に書いちゃうような脚本を書くとは思いもよりませんでした。
 スペインって今は一応ひとつの国になっているけれど、地方ごとの特色もいろいろ違うし歴史的にもいろいろあって全然一枚岩じゃない…くらいの知識は私にもあります。だからそんなデリケートなネタを、ちょっと前の時代の設定の話だからって、また本物のスペイン人が観ることはまずない極東の小さなミュージカル劇団の芝居だからって、ちょっと調べた程度で安易に扱っちゃいけない、ということは私にだってわかります。イヤちゃんと調べた、とかくわしい知人が身近にいる、とか先生はおっしゃるのかもしれませんが、狭い見方で部外者がホイホイ扱っていいネタじゃないと思うんですよ。つーかまずネタって言うなって話なんですが。
 どうしてもこういうことがやりたかったのなら、『眩耀』のときのように、せめて架空の国の話にすればよかったのでは? なんか地方の名産の歌とか、「横浜は焼売で大阪はたこ焼き」くらいのノリじゃなかったですか? 横浜と大阪を同列にするのか?とか、お好み焼きじゃないのか?とか、つっこみ出したらキリがないくらい雑じゃなかったですか? でも現地の人はガチで争いなんなら流血になるくらいのネタじゃないですか、これって? また、だから国家としてはまとまりにくい、そもそも個人主義の空気だし…みたいなことも歌ってましたけど、それ、ストーリーに関係ありました? 
 植民地が次々独立していって、スペイン人もいろいろ戦ったのに国土は削られる一方だ、みたいなことも歌ってましたけど、現代に生きる我々観客の目からするとそれって当然では?とかそもそもそこはスペインではなかったのだからして…とか言いたくなるわけでさ(てか大日本帝国の比喩なのか?とか思いますよね…)。そこになんか謎の王政復古があって? でも庶民の暮らしは貧しいままで? それは現代の我々の社会にも似たところがあって世相批評としてアリなのかもしれないけれど、あまりに剥き出しで芸がないし、最終的には民主化運動の物語ではありませんでしたよね、これ? だって主人公はイタリア貴族の妻と結婚して爵位をもらって終わるんだもんね? そら彼ら夫婦はいい人だからノーブレスオブリージュも発揮するし富を社会に還元してくれるのかもしれないけど、でもそれって根本的な解決になってませんよね? 同じく圧政に苦しんでいる我々の救いや希望に、全然なってくれていないんですけど…?
 あと2番手ポジションのあみちゃんセシリオ(彩海せら)は反政府運動なのか革命運動なのかはたまた単なる労組活動なのか、とにかく反権力みたいなことで動いているっぽかったけど、その仲間のフランシスコ(彩音星凪)たちは、もちろん崇高な目的のための活動資金が欲しかったのかもしれないし崇高な目的のためには暗殺やむなし、というやや過激な思想の持ち主だったのかもしれないけど(てか「過激的」って台詞があったけど、そんな日本語あります?)、あまりきちんと描かれることもなく雇われヤクザみたいな荒くれ仕事をする三下扱いになっていたけど、それでいいの? 彼らこそ庶民の立場を代表し最前線で戦う勇者、ヒーローたる立場の者たちだったんじゃないの? こんな雑なテロリスト崩れみたいな描き方をしていいものなの?(あとぺるしゃにもっといい役書いていい仕事させてやってくれよ、というのもある)
 同様に史実としてこのころそういう運動があったのか、はたまたこれも現代世相批評として入れているのかわかりませんが、さちか姐マグダレーナ(白雪さち花)たち女権運動家の描写はあれでいいの? てかこれも話の本筋となんら関係なくない? あと女の権利を主張するのと男を下げるのは同じことじゃないよ? だからマグダレーナがマルコス(千海華蘭)とくっついても別にいいんだけど、でもソレ要ります? あと、しょうもない男たちが結局理解せず冷やかしている、というだけの台詞だとしても、「行かず後家」って台詞、本当に要ります? 百万年ぶりに聞いた気がするんだけど…独身女性が団員を務める宝塚歌劇の舞台において、女性の脚本家が! しかもなんらストーリーに関係ないのに、観客までもがわざわざ聞かせられるんですよこんな言葉を…この絶望たるや!!
 影武者を頼まれて、周りの人にバレそうでドキドキ、みたいなお話は珍しくないし、それがやりたいならそれでお話を作ればいいじゃないですか。みちるはそれはそれはいいヒロイン役者に仕上がっていて、素晴らしかったですよ。パトリシア(彩みちる)という役も、まあやや頭でっかちな貴族のお嬢さんってところはあるけれど、十分魅力的な、おもしろいキャラクターだったと思います。本当の夫とは不仲で、でも影武者をしているロレンシオとは気が合っちゃって…みたいなトキメキ・ラブ・ストーリーを作ればええやん。今までも別れなかったんだからなんらかの事情があったんだろうし、そこで何かせつないドラマを作ればええやん。
 主人が愛人に撃たれて人事不省だからといって、わざわざ影武者を仕立てようとする秘書と執事の真意もよくわかりませんでした。別に風邪で寝込んでいて軍務を休みます、って周りにアナウンスすればいいだけじゃん。そしてどうもこの侯爵はろくな人間じゃなかったような描かれ方だし、秘書も執事も特に尊敬して仕えていたようでもなく、ならそんな主人のためにこんな奔走することもなかったんじゃないの? いかにもお話都合の展開で、何か裏があるのかと思えば何もなく、結局ふたりは侯爵家の仕事を辞めるんだし、ならもっと以前に辞めてたっていいのでは、としか思えませんでした。
 そもそもの構成として、最後に主人公の本名と本当の人となりが明かされる…というのがミソの作品、というつもりだったのかもしれませんが、いくらちなっちゃんがなんでも上手くても、あんなしどころのない長台詞の大芝居、保ちませんよ…てかこういう作品は基本的に主役のファンが観に来るものですが、それでも主人公が魅力的でないと作品そのものにつきあいづらいものです。なのに、途中でロレンシオという名前すら偽名だとわかり、でもその過去は闇の中、彼の真意も何もかも明かされず、ただなんかポエミーなポエムを新聞に投稿しているだけの詩人ですって言われても、そんな主人公像を好きになるのはファンでも至難の業でしょう。キューバ、とだけ言われても、現代日本人の我々にそこから何を連想しろというのでしょう…はあ、スペイン領だったんですか、へえ…で?ってなもんじゃない? そこからなんの想像も共感も親近感も湧かせられないのって、別に私たちの罪じゃなくないですか?(それか、大日本帝国の例で考えるなら、日本に併合されていたころの韓国で育ち、政治の腐敗を見せつけられて絶望し流れ流れている日本人…みたいなのを想像すればいいということですか?)それでこの主人公を好きになれ、興味持て、応援し彼の行動に注視せよ、って言われても、それは無理ゲーというものです。少なくとも私には無理でした。ちなっちゃんがどんなに顔が良くて声が良くてスタイルが良くて脚が3メートルあって笑顔が素敵で歌が上手くても、このノー情報のキャラクターには萌えられない。だからつまらない、しかも話そのものも破綻しているというか意味不平で不発なんだもん、そらつらいですよ…
 なんだかなー、私は『出島』は嫌いじゃなかったんだけど、でもせっかくの主演作としてそのスターの魅力を引き出し倍増しファンを喜ばせ増やしたかというとどうだろう、とも思っていて、『スターダム』といいどうもここまで主演作に恵まれていない気がするのですよちなっちゃん…なんかもっと古典的名作の再演か、文芸原作のクラシカルなものの方が似合うんじゃないの? なんかこの人に自分探しさせちゃうのもうやめてくださいよ先生方…アンタたちの仕事はまずスターを輝かせることであって、ファンに浅薄な思想や好みを押しつけることじゃないんじゃないの?
 まゆぽん、れんこん、からんちゃんにヤス、うーちゃんみーんな無駄遣い。おはねちゃんも蘭世たんも。みんなのせっかくの演技力も華もセンスも、不発でした。でも絶対に投げ出さず、手を抜かず、ちょっとでも良くしようとして舞台に立っているのは観ていればわかる。すごいです、頭が下がります。ホントもったいないお化けが出るよー…
 大団円がそのままフィナーレに、ってのはお洒落ですけど、ストーリーがアレレな上にこのハッピーエンドもかなりアレレなので、盛り上がらないこと甚だしい。最後にしょーもない侯爵の二役をきっちりやってきっちり笑いを取るちなっちゃんだけが見どころだなんて、悲しすぎますよ…

 どうしようホント褒めるところナイ…あ、扇や波のモチーフっぽいセットはとても素敵でした(装置/國包洋子)。何度でも言いますが生徒に罪はなく、あくまで作品の問題です。脚本、演出がダメダメだという話です。
 大好き、激おもしろい、超萌え萌え、という方にはすみません…もしかしたら私の目が何か曇っているのかもしれません。それくらい不安になる程度には、笑いが沸きキャッキャとウケている客席だったとも思っています。イヤみなさんがいいならいいのです、私はダメだったというだけです、ホントすみません…
 次の『応天の門』は原作もあるしそう大ゴケはしないやろ、と思っていますが『ディミトリ』も私にはやや不発に思えただけに油断は出来ません。キャラクターやエピソードは原作漫画にちゃんとあるにしても、どう抜き出してどういうドラマを組むか、が結局のところ勝負ですからね…油断できません。来年はこんなイカイカ怒らせることなく、心平穏な一年を送らせてくれよ、と切に願います…
 DC千秋楽までどうぞご安全に。無事の完走をお祈りしています。













コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« SHOW-ismⅩⅠ『BER... | トップ | 『管理人/THE CARE... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

観劇記/タイトルあ行」カテゴリの最新記事