駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ディミジャガ』初日雑感

2022年11月13日 | 日記
 宝塚歌劇星組『ディミトリ/JAGUAR BEAT』大劇場公演初日を日帰りで観劇してきました。
 お芝居の原作小説『斜陽の国のルスダン』は、通販で購入して読みました。ラジオドラマは未聴。もともと同人誌で発表されたものだそうで、商業版はB6判ソフトカバーで180ページほどとコンパクト。読みやすく半日ほどで読み終えましたが、作者と駐日ジョージア大使なんかとの鼎談も収録されていて、なかなか勉強になりました。やっぱりまだアメリカ南部の、「我が心のジョージア」のジョージア州の方をつい想起してしまい、ああ旧グルジアの…なんかトルコとかあそこらへんの…?みたいな失礼な、はなはだ心許ない知識しかない私なので。
 歴史的にはルスダンの母親のタマラ女王が、その時代の王国の版図も広く最盛期の王として名高いらしく、それを引き継いだルスダン女王は美貌を謳われはしても評判はあまりよろしくないそうで、それを不思議にかつ不憫に思った作者が資料を集め、多分に想像も含めて書き上げた小説だそうです。王宮にはルーム・セルジュークの王子が人質として来ていて、彼もまたその美貌が有名だったそうで、やがてルスダン女王の王配になるのだが…という史実と、隣国との戦争の歴史との間の、ドラマとロマンを空想で埋めてみた、ということでしょう。それを、ラジオドラマ・ファンの生田先生が取り上げることになった、というのが舞台化の経緯のようです。
 私は、小説はオチが甘いと思いました。ルスダンの視点で描かれているので、その後までもっときちんと知りたかった、総括して終えてほしかったと思ったのです。対ホラズム戦はこれで一応決着としたとして、その後この国はどんなだったのかとか、彼女の息子と甥の王位争いはその後どうなったのかとかまでちゃんと見せてくれないと、決着がついた気がしないじゃん、と思えたのです。なので舞台はそこまでやって、たとえば『ロミジュリ』の天国場面みたいな、ディミトリとルスダンがあの世で再会してスモークの中再度愛を確かめ合って、完…みたいになるのかしらん?とか、うっすら考えつつ、まあまずは観てみましょうよと劇場に出向いたのでした。
(ちなみに舞台は小説のラストをほぼ踏襲していましたが、ディミトリ主人公だとこれは正しいなと感じました。後述)
 で…うーん、生田先生の手腕にちょっと期待しすぎちゃったかな、というのが今の私の感想です。このあとは生徒が演技で埋めてくるとは思うんだけれど、それでも脚本で、つまり台詞でもう一押し丁寧に、状況や各キャラの立場や心理や感情を描写してあげないと、単にあーなってこーなって、ってだけで展開するスペクタクルなだけの話になっちゃって、ドラマとして萌えないし盛り上がらないしなんなら原作を読んでない観客にはこれじゃわからないし全然伝わらないよ、と私はちょっと思っちゃったのです。台詞も歌詞も練れていないし、ポエムも足りなかったし、とにかく脚本がなんかちょっと残念でした。以下、そんな話を覚えている限りねちねちと語りたいと思います。完全ネタバレですし、ご覧になっていない方にはわかりにくい点も多いかと思います。記憶違いも多いことでしょう、すみませんがご留意ください。私が次に観るのはもう月末なのですが、そのとき掌を返していたらそれはそれですみません…イヤもっと良くなる芽はあると思うんですけどね、でも現行の脚本と演出のまんまじゃいくら生徒ががんばったって無理だろうという点も多いと思うぞ…がんばれ生田くん!

 さて、舞台はいつともつかない、廃墟のようにも見える城塞か城壁のセットが薄暗い中にあるだけで始まります。まず組長のみきちぐが物乞い役として、全体の語り部のような存在として登場するのですが、まずここの台詞が要を得ずポエジーもなくただ長い。もっと工夫してほしいです。小桜ちゃん、ルリハナ、うたち(みんなさらに可愛くなったなー!)の3人が率いるリラの精たちも娘役の出番として貴重ですよ、でもアバンとして長い。だってこのあとすぐお話が始まるんじゃなくて、こっちゃんディミトリがメインになるアバン場面がまだあるじゃん。それは長いよ…彼が1曲歌う、それは主役だしトップスターだし別にいいよ? でもこの歌の歌詞がまた意味がないんですよ、詩も哲学もないの。こっちゃんの歌唱力とドラマチックな楽曲と、何より尺の無駄遣いなの。全然「つかみはオッケー!」ってならないんですよね。それでなんか私はすでに嫌な予感を感じてしまったのでした…
 歌い終えて、こっちゃんが暗転の間に舞台のリラの木の下?に寝転んで、そこにひっとんルスダンが彼を探しにやってきて、お芝居本編が始まります(これは上手いと思いました)。ディミトリはルーム・セルジュークの王子で、ジョージアとの和平の証として、実のところ人質としてこのジョージアの王宮に送られていて、周りの冷ややかな視線を逃れてひとりでいることの多い、憂愁の王子であることが語られます。そう、こっちゃんって稀代のヒーロー役者なんだけれど、実はこういう屈託のあるヒーローもとても上手くこなす演技力があるわけです。
 ディミトリは決してスーパーヒーロー・タイプの主人公ではない。両国の友好の差し障りとなることのないよう、目立たぬよう常に息を潜めていて、このあと戦闘場面などがあるにしてもバリバリ活躍してみせるようなタイプじゃない、主役としてはとても難しい役どころですが、こっちゃんはさすがそれを魅力的に見せる力量がある人なのでした。なのでそれを脚本は全力でサポートしなければならないわけですが、それがまず全然足りていないと感じたのでした。
 ディミトリの歩き方の癖を熟知していて、彼の足跡から彼の居場所をいつでも突き止めてしまう王女ルスダンは、屈託のない明るい少女で、ディミトリに懐いていて、慕っていて、彼を家族のように大事に想っています。それは彼女の兄で現国王のあかちゃんギオルギも同様です。なのでディミトリは控えめにはしていますが、境遇としてはまあまあ恵まれているのでした。それは描けていたと思う、でもここで、たとえば周りの廷臣たちや女官たちを使って、国王一家はディミトリを厚遇しているけれど廷臣たちは所詮彼をスパイだとみなして警戒している、とか、ディミトリとルスダンは仲良しで相思相愛でなんなら幼いながらに良きカップルだけれど、王女は国のために近隣諸国の王や王子に嫁ぐのが定めだし、かわいそうだけれど彼らの恋は実らないだろうと同情し静観している…とかの描写を入れたいです。ルスダンは天真爛漫だけれど、少なくともディミトリの方はそういう事情を十分わかっていて、自分の想いを押さえ込もうとしている…というのがもっとないと、続く展開が効いてこないと思うのです。
 さて、そんなわけでディミトリはギオルギの信任も篤く、彼に呼ばれて席を外す。一方、残ったルスダンはギオルギの「妻」、くらっちバテシバと残されてなんとなく居心地が悪い。史実では彼女はギオルギとの間にすでに男児を産んでいて、これがのちにルスダンの息子と王位争いをすることになるようなのですが、今回の舞台ではこの子供の存在はカットになっていました。それはまあいいんだけれど、地方の農村の人妻だった彼女をギオルギが見初めて宮廷に連れ帰り「妻」に据えた細かい経緯は原作にもなく、ここは補完が欲しかったと思いました。彼女の夫はどうしたのか、たとえばギオルギが殺したのか、とかも知りたいし、それが何年前のことなのかもけっこう重要なことのはずなのです。あと結局正式な結婚をしていないんだけれど、それは何故なんだとかどうなんだ、とかも。そのあたりがいろいろあいまいで、甘いしもったいないです。この件に関しては当人同士の想いがどうだろうと、本来は人妻を拉致ってきた男の方が悪いに決まっているんですが、廷臣たちは女の方を悪女だ淫婦だと忌み嫌い蔑み、結果そんな女に入れ揚げ惑わされている王もだらしがない、と見下して従わないので、王も彼らの尊敬を得られず苦労している、というのが現状なのでしょう。 それでバテシバは、愛しているからこそ彼と別れここを去る、とルスダンに告げる。ギオルギの方も、自分のわがままで彼女に肩身の狭い思いをさせるのはもう限界だ、彼女を自由にしてあげよう、と離別を決心したとディミトリに告げます。ただこのくだりも言葉が足らなくて、ギオルギは廷臣たちの要求に屈して、政治的な立場を守ることを優先してバテシバを手放すようにも見えかねない台詞になっちゃってるんですよ。でもそれじゃダメじゃん。ここのふたりの愛の形の在り方が、「愛しているからこそ別れる、遠くで暮らしてしても愛し合い続ける」というスタイルが、のちのディミトリとルスダンの選択に重なる、という構造になってるんだからさぁ。
 さらにギオルギはディミトリに、ルスダンを好きかと問い、ディミトリは言いよどむんだけどギオルギはお見通しで、しかし高貴の身は義務を伴うのであって、ふたりが結ばれて結婚するなど夢のまた夢、王女は国益のために他国へ嫁ぐのが習い、とディミトリに釘を刺すわけです。ここももっと、しつこいくらいにやっておいた方がいい。ディミトリとしては、わかっていたつもりだけれど改めて言われるとつらい、みたいな感情があるはずだし、でも結婚はさせられないが終生彼女を守り力になってやってくれと言う兄王の信頼はありがたいし嬉しい…というところなはずで、そういうアンビバレンツな状況であることをもっときちんと描いておくべきだと思うのです。今、甘いしぬるい。
 トビリシの町の市にお忍びで出かけるディミトリとルスダン。町は活気にあふれている。物乞いがルスダンに「女王になる」という予言を告げる、けれど彼女はそんな未来などありえないと否定する。兄は健在なのだし、自分はいずれ他国にお嫁に出されるのだから、と…天真爛漫に見えたルスダンもまた、自分の立場を弁えていて、ディミトリとの甘い未来などないと覚悟していた、立派な王女だったのだ…というのはけっこうハッとさせられるしせつないしいい展開なのですが、バテシバの息子の存在をカットしちゃうと、いくらギオルギがまだ若くてこれからちゃんとした王妃を迎えて跡継ぎの王子を作ればいいってったって現時点では王位継承者はルスダンしかいないじゃん、それなのに他国に嫁に出しちゃっていいの?という気はします。普通、甥だの従兄弟だのがわらわらいてあれこれ王位争いになるものなのに、ここの家系は後継者かいなさすぎるのがむしろ問題なのでした。
 オレキザキのチンギス・ハーン率いるモンゴルが攻めてきて、ギオルギ王も自ら出兵します。ディミトリも従軍し戦います。ギオルギは右目がほとんど見えなかったそうですが、ここでありちゃんアヴァクからそれをディミトリに知らせて、王の右目となって彼を守れ、と言わせる改変は上手いなと感心しました。そして、流れとして当然なまでに、ディミトリはギオルギを守り切れず、ギオルギは致命傷を負ってしまう…
 自分の命が長くないと悟ったギオルギは、ルスダンとディミトリを枕元に呼び寄せ、ルスダンの他国への嫁入りは中止だと告げ、代わりにふたりで結婚して、女王と王配として自分のあとを継げと遺言する。ふたりはもちろん取り乱す。結婚できることは嬉しいけれど、それがギオルギの死と引き替えだなんてひどすぎるし、何よりルスダンは兄と違って王になる教育をまったく受けていないのです(この観点、カットされていましたがあった方がいいと思いました。ルスダンが廷臣たちに拒否されたのは女だからというよりは帝王教育を受けていなかったからだと思うので)。ここ、私は原作を読んだときに『ベルばら』のアントワネットとルイ16世の即位のくだりを想起したんですよね。偉大な王の孫息子とその妻として、どちらかというとのんきに暮らしてきたのに、いざ即位と言われて「世界全体がわたしの上におちかかってきそうだ…」って震えた、アレです。そういう盛り上がりがもっと欲しかった。嬉しいけど、怖い。ありがたいけど、困る。そんなジレンマ…
 ジョージアンダンスは正直私には良さがよくわからなかったけれど、ともあれ華やかな戴冠式と結婚式の一方で、廷臣たちが小娘の王なんて、外国人の王配なんてとケッとなっている様子も描かれ、その差異や温度差の描写は上手いな、と思いました。ことにギオルギ・ラブだったアヴァクにはその傾向が強い。こういうキングメイカーって、キングつまり自分が仕える相手が理想的な君主になってくれなかった場合、めっちゃ暴れますよね。父のひろ香くんイヴァネは王でなく国に仕えるのだ、と息子を戒めますが、アヴァクは承服しかねている。お話のポジションとしては悪役になるキャラクターを、ありちゃんが楽しげにやっていてとても良きでした。
 婚礼の夜の場面もよかったです。初夜を描くとかそういうことではなくて、政治的に必要だったので流されるようにここに至ってしまったけれど、巻き込んでしまってごめんなさい、みたいなことをディミトリにきちんと言うルスダン、というのがとてもいい。その上で改めて、ふたりは愛していると告白し合い、ともに生きていこう、運命を共にしようと誓い合う…美しい。大事な儀式です。
 さて、おそらくはルスダンの父親もそうだったのでしょうが、女王の王配は共同統治者として議会に参加するなどある程度の政治的権限を持たされることが普通だったようで、ルスダンもディミトリに対してそれを要求しますが、廷臣たちは彼が外国人で信用できないから、という理由で拒否します。彼は人質としてこの国に来るときに改宗もしているというのに(なのでディミトリというのは洗礼名だと思うので、幼き日に初対面のルスダンがつけた名前、とする改変はちょっとどうだろう、と私は思いました…あと全体に、宗教の話はもうちょっと踏み込んで描いてもいいのではないかと思いました。後述)、これまた『ベルばら』の「私はいつまで経ってもオーストリアの女なのです」ってヤツです。でも彼はルスダンと廷臣たちとの間に溝を作りたくない、と身を引き、女王の私的な相談役に留まることを選びます。これがこのキャラクターのなかなか特異なところで、つまりこのあとも彼は活躍する場を持ちづらい、全然ヒーロー然としていない主人公なんですよ。でもそれをただの軟弱なヘタレ男、みたいに見せないこっちゃんの演技の絶妙さには唸らされました。こんなに王者然としても、その気になったら軟弱なヘタレの芝居もちゃんとできる人なんですよね。その上でのこのギリギリの按配の演技がいい。それに対してかえってイカイカしちゃう若いルスダン、ってのももっと出てもいいかもしれないくらいです。
 このディミトリの境遇を作るために、はたまたまいけるの出番を作るために、結婚式にディミトリの父エルズルム公が出てきてガハガハしちゃうのを見せるのとかは、すごく上手いと思いました。
 ともあれ日々はなんとか平穏に過ぎ、ふたりの間にはひよりんタマラも生まれて…
 で、せおっちホラズム帝王ジャラルッディーンとぴーナサウィーがばーん!と銀橋から登場します。確かにだいぶ遅い登場ですが、インパクトを作ってもらえていて良きですね。ジャラルッディーンはルスダンに求婚めいた書状を送り、ルスダンは拒絶し、両国は戦争に突入する。エルズルム公はホラズムが台頭してくるならジョージアとの友好関係は破棄していいんじゃね?みたいな日和見をして、息子に帰ってこいとか言ってきたりする。一応、父親としては息子の身が心配で言っているのでしょう。朝水パイセンの間者を庭師として送り込み、ディミトリに接触させる。けれどディミトリは拒否する、だが会話している姿をアヴァクに見られてしまう…このあたりは原作ママではありますが、実によくできていますよね。スリリングです。
 この前だったかな、アヴァクは密偵としてゆりちゃんカティア、さりおセルゲイ天飛ムルマンをスパイとして送り込み、ディミトリを見はらせていたのでした。ユリちゃんはホントこーいう方向性の方がいい娘役さんだと思います、濃い悪女メイクがよかった! でもタマラにはちゃんと優しいのもよかった!
 そのタマラが馬に蹴られそうになるところを命を賭して救う…という形で登場するのが白人奴隷のかりんさんミヘイルなんですが、金髪で白いお衣装というのもあるんですが、なんか扉が開いたら登場しませんでした? すでに記憶があいまいなんですが、それが『ベアベア』のときの登場シーンのようで、スポット当たってるってのもあるんですけどもうまばゆいばかりの輝きで、キター!ってなりましたホントこの人が好きすぎて甘くてすみません。しかし馬とその騒動をあんな映像で見せるくらいなら、全然別のエピソードに改変しちゃってもよかったのでは…? 崖に咲く花を取ろうとしたタマラが転げ落ちるのを身を挺してかばった、でもなんでもいいわけで、実際にやって見せられる行為は他になんでも思いつきそうなものですが…私は正直ちょっと間抜けに感じてしまいました。でも生田先生はお洒落な演出技法だと思っていそうだな、すみません…
 ともあれルスダンは娘の命の恩人だとミヘイルに感謝し、ミヘイルは美しい女王にそんなふうに声をかけられて舞い上がり、そこをアヴァクに利用されるわけですが、プログラムのあらすじにあるほど「ルスダンもまた、この勇敢な奴隷を寵愛するように」ってのはなかったし、なくていいんじゃないのかな…女王が奴隷を寵愛したのは史実のようですが、このくだり、宝塚版ではどうするのかなと思っていたらほぼ原作ママでしたね。ディミトリが母国の間者と話していた、自分との離婚も考えていると聞いたルスダンが、ディミトリの真意はあくまでジョージアとルスダンのためだったにもかかわらず、誤解して裏切られたと絶望し、ひとときの慰めをミヘイルに求めた…というのはわかるんだけど、ホラ宝塚歌劇ファンってこういう点は超潔癖で保守的だからさ。てか初夜場面でも腰掛けるくらいしか使われなかったベッドを、ひっとんとセクシャルなダンスして乗っかり使っちゃうかりんさんったら…!(笑)
 まあおそらく未遂でディミトリに発見されて、ミヘイルはあっという間に切り捨てられちゃうわけですが、それがさらにルスダンを逆上させたのでした。ここ、もうちょっと盛り上げられる気もしましたけどねー…あとここのルスダンの「誰かいませんか」って台詞、ちょっとアレでは? 総じて廷臣たちにも使用人たちにも丁寧な言葉遣いをしている女王ですが、なんかこんなときに…ってちょっと間抜けに感じました。ともあれミヘイルの死体は放置はちょっとだけでちゃんと回収されてよかったです。つい『フィレンツェ』のオテロさんのことを思ってしまったので…
 ところでディミトリが投獄されたのはプログラムによれば王宮の牢獄ではないんですね。言及ありました? のちにトビリシがホラズムの手に落ちたときに、なんでここは平気なの?とか思ったんですよね…でもこの牢獄にジャラルッディーンが自ら乗り込んできちゃうのはよかったです。とてもこのキャラっぽいと思えました。ルスダンに求婚した彼は美しい若者に目がないらしく、ディミトリに対してもまずその美貌を褒め称えますが、ともあれ彼らはある種の奇妙な友情を築いていくのでした。ジャラルッディーンはジョージアの敵ではあっても、人として男として戦士として将軍として、非常に有能で勇敢でおおらかで誠実で気持ちの良いところがあり、憎めない人柄なんでしょうね。だからディミトリも素直に認めたし、ジャラルッディーンの方も単に綺麗なだけの若者とおオモチャ扱いせず、ディミトリの思慮深さや聡明さ、優しさに価値を見出していったのでしょう。別にそうくだくだした描写はないんだけれど、ことせお変換というのもあるし、せおっちはこの役を本当に魅力的に作り上げていると思いました。
 ただジャラルッディーンがディミトリをほとんど同胞のように扱うのって、要するに改宗したといえど彼が元はイスラム教徒で、同じアラーの徒だろ、ってのが大きいんじゃないかと思うんですよね。それくらい宗教って彼らにとっては大きいことなんだと思うんです。ジャラルッディーンはルスダンを娶れたら当然改宗させる気でいたでしょうしね。原作にはそこまで記述がありませんが、ディミトリにしたって改宗はものごころつかない頃のことだったとしてもショックなことで、母国から物理的な距離が離れたことより何より改宗の方が見捨てられた感、隔絶された感がしたんじゃないかなと思うんですよね。現代日本人からしたらわかりづらい感覚ではあるのですが…でも十万人の殉教や踏み絵場面をやるくらいならこの問題から目を背けられないはずで、安易にカットしない方がよかったのではと個人的には思いました。原作には出てこない、ディミトリの本当の名前、母国での呼び名に言及するくらいならなおさらです。
 とにかくホラズムは猛攻しトビリシを陥落させ、ルスダンは都をクタイシに移す。連合軍を結成させても惨敗、そこへジャラルッディーンの使者としてディミトリが現れる…
 ディミトリはルスダンにジャラルッディーンとの結婚を勧めます。彼らの結婚はもう破綻したも同然だし、この結婚で両国が和議に至れるならその方がいい、という判断なのでしょう。けれどそれはジョージアが負けること、ホラズムに取り込まれること、民が改宗させられることを意味する…女王としてルスダンはその提案が呑めない。拒否の回答を持ち帰らせる前に、ディミトリにその後生まれたふたりの息子の姿を見せるルスダン。これはいいシーンですよね、でもまさかミヘイルの子…?とか一瞬でも思わせないようにしてほしいところではありますが。
 ともあれこのルスダンの覚悟を受けて、ディミトリは新たな決心をするわけです。そこも弱いんだよなー、もっとドラマチックな変換なのにー! まずその前の、ジャラルッディーンの妻になってもいいから生きていてほしいと願うところに、愛する女をよその男にくれてやるのかって葛藤があったはずでさ。それでも生きてさえいてくれればいい、ってんで使者の役目を引き受けたわけじゃない。自分が言えばルスダンも聞く気になるかもしれないから、ってさ。でもルスダンは降伏を良しとしなかった、最後まで戦うと言った、なら自分にも出来ることがある…ってんで、ジャラルッディーンの信任を裏切ってホラズムの情報をルスダンに流すことにしたわけです。
 でもここが歌なんですよね、それじゃ彼がその手紙に何を書いたか伝わらないよ…こっちゃんは上手いよ、でも歌われると観客は歌詞を聞くんじゃなくて歌声を聞いちゃうんですよ。そしてここの歌詞は他と同じく特に明瞭な内容ではない。これじゃ弱いんだって! せめてその伝書鳩を受け取ったルスダンに手紙の中身を復唱する台詞をつけないと生田くん!
 さらにこのときのアヴァクの描き方が甘い! まず手紙の内容が真実だって彼がこんなにあっさり信じるわけないじゃん、彼はディミトリを嫌っているし信じていないし裏切り者だと思ってるんだから。でももし真実ならこの情報は有効だ、これでホラズムの隙を突ける、戦いに勝てる。しかしそうなったらホラズムはおかしい、どこかに内通者がいるのではといぶかしむだろう、そしてディミトリに疑いの目を向けるだろう、ディミトリの立場は悪くなるだろう、疑われて罰せられるだろう。それを承知であの男はルスダン女王にこの手紙を寄越したのだ、自分の命を賭して女王とジョージアを救おうとしているのだ…!と「デ・カルチャ!」って(違)なる流れなんじゃん。そのドラマチックさがないよ、一足飛びに進みすぎていて、置いていかれる原作未読の観客が多数出ていましたよー! だいたいホラズムって国名が出てくる回数が少なすぎです。今どことどこが戦っているのか、という状況説明はもっと丁寧にしないと駄目だって!
 ディミトリの情報と、占領されたトビリシ内のジョージアの民たちの呼応もあって、トビリシを取り戻すルスダンたち。その報が遠征先のジャラルッディーンに飛び、それでも彼は簡単にはディミトリを責めない。彼の仕業だという証拠はないし、彼を信頼し愛しているからです。ホントいいんだよねこの人、このせおっち。でもディミトリは毒杯を仰いで、自分がしたことだと告白し、ジャラルッディーンの腕の中で死んでいく…2番手の腕の中で死ぬトップスター、なんてベタベタな構図を、まさか今の星組で観られるとは思いもしませんでしたよ…! これはGJです生田先生!!
 解放の祝祭に湧くトビリシ。ルスダンの元にディミトリの死を知らせる書状が届くが、彼女は読もうとしない。アヴァクは小娘とみなしていたルスダンが仕えるに足る真の女王になったこと、その王配ディミトリが決して裏切り者の外国人などではなかったことをついに認める。ここも上手かった…シビれました。アヴァクが認めた王配の権利をディミトリが手にすることはもはやない、それでも…という…実にせつない…
 ふたりでよく遊んだリラの木の下に立つルスダン。ディミトリの足跡があった気がした、けれど彼はもういない…ルスダンは彼が守ってくれたこの国を守り続けていこう、と決心し、庭を歩み去る。ルスダンが下手花道にハケていくのと入れ替わるようにして、上手花道から現れ銀橋に佇んでいたディミトリが本舞台に出てくる。でもここ、完全なるすれ違いじゃなくて、たとえば『グラホ』の回転扉のアレみたいな、一緒にいるのに目が合っていない、みたいな演出があってもせつなくてよかったのになー、と思いました。
 ともあれこれはディミトリの物語なので、彼の死をもって終わるのは作品として正しく、小説に感じたような物足りなさはこのラストシーンには感じませんでした。最後は幕が下りるのではなく、ディミトリの後ろ姿を残したまま紗幕だけが下りて暗転し、そのあと明るくなるとディミトリは消えていてリラの木がただ紫にけぶるだけ…という、『ホームズ』で味をしめたかな?という演出の終わり方でした。その後幕が下りて終演アナウンス、という形でした。
 まあホント芝居は日々全然変わるものなので、今後の進化・深化に期待しますが…そして私は生田先生に期待しすぎるのはやめねばと思いますが…次の観劇を楽しみに待ちたいと思います。


 さて、ショーはヨシマサ、ショルダータイトルは「メガファンタジー」。「♪マジ!マジ!マジック」みたいな歌詞もありましたが(笑)、幻想とか魔法とかいうより幻覚と言った方がいい、サイケでサイコな、ギラギラのビカビカのゴテゴテのノンストップ・ジェットコースター・ショーでサイコーでした。あと500万回観たいです!(笑)私がこうなるのって珍しいと思うんですよね、むしろ引きそうなものですが…これはもう圧巻でした、だってもう問答無用の突っ走りでしたもん。例によって映像からスタートしますが、カワイイもんでした。なんかさあ、もうさあ…!
 基本的には、ひっとんクリスタル・バードが片翼を奪われ、彼女に惚れたこっちゃんジャガーが取り戻そうとするんだけど…みたいな流れです。で、まあ星々を巡っていくようなのですが、別にSFではない、というかなんというか、なんかもう、もうさあ…!
 とにかく衣装も電飾もセットもギランギランでビカビカでカラフルでパワフルなんですよ! どんだけ予算注ぎ込んでんねんって感じ。そして緩急も何もない、ずーっと剛速球(笑)。でもまあ見たいスターとか追っかけてるから忙しいし、そもそも舞台にいつもわりと人が多いし、だからとにかくあっちもこっちも見たくて忙しいんだけどだんだんハイになって笑うしかなくなる…みたいな押し流されっぷりなのでした。
 細かくはまた別にゆっくり語りたいなと思うのですが、これまで2番手娘役格をほぼ一手にやってきていたくらっちがちょっと引っ込んでいて、小桜ちゃんがクピドという通し役をやっていて(そしてめっかわだった! ホント可愛くなりましたよねえ!!)、さらにゆりちゃんやルリハナやうたちがちょいちょいいいところをやっていて、鳳花るりなちゃんなんかも歌手起用されていて、娘役起用が下級生に下がってきていたのが印象的でした。逆に男役の路線はまだ微妙なボカし方をしていたので、階段降りであかぴーのあとにかりんさんがくらっちと一緒に降りてきたことやラインナップでせおっちの隣、あかちゃんの内に入ったことにむしろ仰天しましたけどね。あとどこかでさりおと稀惺くんがシンメだったのもとても良き!と思いました。綺麗で華がありますよねえ、期待大。
 プロローグのロケットセンターのうたち、可愛かったなー! マシーンガールもすごくよかった。パラダイスガールとしてメイド服でイチャイチャしてたゆりちゃんとルリハナ、最高! てかここのブラックボーイはさすがにもっと若手でもよくない? 目が足りないんですよ! ここの青いドレスのひっとんもめちゃめちゃよかった。
 ぴーの女豹も綺麗でよかった! このお衣装は私はらいとの記憶が…花組の『CB』か? 中詰めも、かりんさんはくらっちと渡るのにぴーはピンなんだ? そしてあかちゃんは渡らないの!?と思ったらリプライズ場面があったり…ひっとんのダルマは優勝。編み上げブーツの性癖もだよね、と理解。
 からのありちゃんとかりんさんのBL場面ですよ(BL言うな)ごちそうさまでした! いい汗だったなーかりんさん!(笑)イヤありちゃんを誘惑する黒水仙みたいな悪い顔、サイコーでした。
 治安が悪い三角関係と銃とひっとんクリスタの死がトートツにつっこまれ、うたちのカゲソロのもと、ジャガーが翼そのものになってクリスタルバードと再会してデュエダン、美しい…のあと、もう階段出てるし階段飾りみたいな娘役も出てきたしもうパレード…?と思ったら下手スッポンからセリ上がってくるかりんさん、最高です。グラムロックスターってこんなか?と思ったのはナイショだ。そこからのもう一盛り上がりがまたうるさくて、せおっちセンターの娘役群舞にこっちゃんセンターの男役群舞(腕まくり黒燕尾)、ひっとんがガンガン歌う中爆踊りする男役123、というのもよかった! ユウホハルトが朗々と歌いまくるのも良き。
 エトワールは都優奈ちゃん、ダブルトリオは全員男役。せおっちの大羽根はまたもお預けでしたが、なんかもう本当に、本当に…どーしたんだヨシマサなんの薬をキメたんだ、って感じなのですが、最後の咆哮と終演映像のオマケまでついて、ホント体感たっぷり5時間、「まだやんの!?」って思うと次もまためくるめく場面…ってのの連続の、ものすごいショーでした。
 カテコのこっちゃんもやや放心気味でしたもんね…今後はセーブも覚えて、怪我のないよう、でも引き続き元気に公演し続けてもらいたいものです。
 はー、こんな時間だ。ああでも楽しい日帰り遠征でした。これが今年の大劇場公演のシメとは、めでたいものです。どうかご安全に…! それだけを深く熱く願います。



 



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