1952年、巨大隕石が突如、ワシントンD.C.近海に落下した。衝撃波と津波によりアメリカ東海岸は壊滅する。第二次大戦に従軍した元パイロットで数学の博士号を持つエルマは、夫ナサニエルとともにこの厄災を生き延びた。だがエルマの計算により、隕石落下に起因して環境の激変が起こると判明する。人類が生き残るためには宇宙開発に乗り出さなければならないが…ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞の改変歴史SF。
作者は私と同い歳、1969年生まれ。つまりアポロ11号の着陸船が月面着陸し、アームストロングとオルドリンが人類として初めて月面を歩いた記念すべき年です。その年生まれの作家が、アポロよりずっと早く月そして火星へ人類が達するSFを描く…とてもおもしろかったです。
『火星へ』の解説にあったように、この作品には確かに月そして火星へといった「『地球の滅亡に際した人類の別惑星移住』というスケールの大きな黄金時代のアメリカSF--ここでは1940年代~50年代のSFを指している--」の香りがあります。でも現代の知見から書かれたとてもリアリティのある科学技術描写になっているのと、社会的な考察も深いのが特徴だと思いました。だってまだバリバリの人種差別時代、女性差別時代、精神疾患差別時代の物語なんですよ! こういう視点は同時代的に描かれたアメリカ黄金期の似たタイプの作品にはないものでした。作家は女性だけに、それをとても意識して描いているんだと思います。でもヒロインのエルマをバリバリのフェミニストには描いていなくて、そこはちょっと歯がゆいくらいなんですけれど、それもまたリアリティのうちなのかもしれないなと思いました。
エルマは父親が軍の高官という環境に恵まれた、向学心に溢れた少女だったというだけでなく、真に数学の天才だったのでしょう。当時それは、しかも女児にとって、全然認められづらいことで、エルマは学年をスキップしただけで周囲の男子から多大なストレスをかけられ、スポイルされています。宗教の支えや理解ある夫に出会えたことなどは大きかったでしょうが、ミセスとだけ呼ばれてドクターと訂正しないアメリカ女性なんて!と私は思ったくらいでした。でもエルマの控えめというかあまり自己肯定感が高くない性格を別にしても、当時はまだそれが普通の感覚だったのかもしれません。またエルマは初めて黒人と口を利いたとか黒人の知人ができた、友人ができたなんてことを言っていて、これも読んでいてえええ!と思いましたが、やはり当時わりと普通のことだったのでしょう。女性が広告塔のように扱われること、精神安定剤に頼ることがヤク中かのように忌み嫌われること…みんなみんな当時は普通のことだったのでしょう。サリー・ライドは大変な思いをしたんでしょうね(まして彼女は同性愛者でした…それはまさか名誉男性のようには扱われなかったと思います)、としみじみ思わされました。まだまだいろいろなことが分断される中、それでも必要に応じれば人類は前進できる…というような物語でした。まあどうしても後半はだんだん「そう上手くいくかいな」って気もしましたけどね。エルマの火星行きで子供を持つ可能性がなくなることやナサニエルと離れることでの夫婦の危機(だって浮気フラグありましたよね!? ノー回収なの!?)なんかはもっと大きな今日的な問題な気もしましたが、わりとあっさりめの扱いでした。作者の眼目はそこにはないということなのかなあ…でも夫婦のセックスをとても大事に考え、読者サービスなのかもしれないけれどちょいちょい匂わせラブシーンで章を締めるのは読んでいて微笑ましかったし好感が持てました。
「レディ・アストロノート」シリーズは『火星へ』の間に地球で起きていたことをニコールをヒロインにして描いていくものへ続くそうで、これもまたおもしろい視点の物語になるのでは、と思うと訳出が待たれます。ホント、いろんなタイプのSFがまだまだあるものだなあ、と目を開かされました。
作者は私と同い歳、1969年生まれ。つまりアポロ11号の着陸船が月面着陸し、アームストロングとオルドリンが人類として初めて月面を歩いた記念すべき年です。その年生まれの作家が、アポロよりずっと早く月そして火星へ人類が達するSFを描く…とてもおもしろかったです。
『火星へ』の解説にあったように、この作品には確かに月そして火星へといった「『地球の滅亡に際した人類の別惑星移住』というスケールの大きな黄金時代のアメリカSF--ここでは1940年代~50年代のSFを指している--」の香りがあります。でも現代の知見から書かれたとてもリアリティのある科学技術描写になっているのと、社会的な考察も深いのが特徴だと思いました。だってまだバリバリの人種差別時代、女性差別時代、精神疾患差別時代の物語なんですよ! こういう視点は同時代的に描かれたアメリカ黄金期の似たタイプの作品にはないものでした。作家は女性だけに、それをとても意識して描いているんだと思います。でもヒロインのエルマをバリバリのフェミニストには描いていなくて、そこはちょっと歯がゆいくらいなんですけれど、それもまたリアリティのうちなのかもしれないなと思いました。
エルマは父親が軍の高官という環境に恵まれた、向学心に溢れた少女だったというだけでなく、真に数学の天才だったのでしょう。当時それは、しかも女児にとって、全然認められづらいことで、エルマは学年をスキップしただけで周囲の男子から多大なストレスをかけられ、スポイルされています。宗教の支えや理解ある夫に出会えたことなどは大きかったでしょうが、ミセスとだけ呼ばれてドクターと訂正しないアメリカ女性なんて!と私は思ったくらいでした。でもエルマの控えめというかあまり自己肯定感が高くない性格を別にしても、当時はまだそれが普通の感覚だったのかもしれません。またエルマは初めて黒人と口を利いたとか黒人の知人ができた、友人ができたなんてことを言っていて、これも読んでいてえええ!と思いましたが、やはり当時わりと普通のことだったのでしょう。女性が広告塔のように扱われること、精神安定剤に頼ることがヤク中かのように忌み嫌われること…みんなみんな当時は普通のことだったのでしょう。サリー・ライドは大変な思いをしたんでしょうね(まして彼女は同性愛者でした…それはまさか名誉男性のようには扱われなかったと思います)、としみじみ思わされました。まだまだいろいろなことが分断される中、それでも必要に応じれば人類は前進できる…というような物語でした。まあどうしても後半はだんだん「そう上手くいくかいな」って気もしましたけどね。エルマの火星行きで子供を持つ可能性がなくなることやナサニエルと離れることでの夫婦の危機(だって浮気フラグありましたよね!? ノー回収なの!?)なんかはもっと大きな今日的な問題な気もしましたが、わりとあっさりめの扱いでした。作者の眼目はそこにはないということなのかなあ…でも夫婦のセックスをとても大事に考え、読者サービスなのかもしれないけれどちょいちょい匂わせラブシーンで章を締めるのは読んでいて微笑ましかったし好感が持てました。
「レディ・アストロノート」シリーズは『火星へ』の間に地球で起きていたことをニコールをヒロインにして描いていくものへ続くそうで、これもまたおもしろい視点の物語になるのでは、と思うと訳出が待たれます。ホント、いろんなタイプのSFがまだまだあるものだなあ、と目を開かされました。
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