私の宝塚歌劇初観劇は1993年6月の花組東京公演『メランコリック・ジゴロ/ラ・ノーバ!』でした。
その後すぐに買った「歌劇」がカナメさんのサヨナラ特集号だったのをよく覚えています。その後月組も観に行くようになりましたが、初めて観たのはユリちゃんの『風共』でした。つまりカナメさんの現役時代には私は間に合っていません。
でもNHKで放送した「サヨナラ涼風真世」を録画したVHSテープは今も実家にありますし(笑。残念ながらもはやビデオデッキがないが)、『PUCK』もそれで見ました。その後一、二度どなたかにお借りしてDVDで見たかな。主題歌集CDに入った「ミッドサマー・イヴ」や「LOVER’S GREEN」はもちろん歌えます。でも物語全般としては薄ぼんやりしか覚えていません。すごく熱心な初演ファンということではない。むしろ後の『LUNA』といい、イケコのオリジナルってけっこう残念だよね…という印象がありました。
それでもやっぱり今回の再演は楽しみで、いそいそと出かけてしまいました。初日と翌日11時の回だけ観て帰京して、あとはまた新公に遠征するだけですが、楽しみです。
なので現時点での日記というか感想を、ちょっとつらつらと。完全ネタバレかつあくまで私見です、ご留意ください。
スカステニュースで音楽が、歌詞はそのまんまなのにメロディが微妙に違っているのは私でもわかって、ちょっと不安に思っていました。プログラムによれば権利関係云々というよりはイケコが新調したがったようにも読めるけれど、なんらかの事情をぼかしてあるのかしら…? やるならもっと完全新曲にしちゃった方がよかったのではないでしょうか。なまじ似ているだけにちょっと気持ち悪く感じられました。でも二度観ただけでもう記憶は塗り替えられがちなんだけれどね…でも初演ファンにはここはしんどいかもしれません。
幕開き、ピンクのドレスのちゃぴハーミアと黄色のドレスのコマヘレンがわちゃわちゃしてて、その少女っぷりが可愛くてきゅん!となってつかまれて、でも歌うメロディが微妙に初演と違っていてアレレレ…となって、となかなか忙しかったです。
ヘレンは確かに知ったかぶりとかしちゃうちょっと困ったお嬢さんで、素直で賢くかつそつがない(笑)ハーミアをライバル視して目の仇にしているのですが、「みなしごのくせに生意気よ!」とかの台詞があってからでないとサー・グレイヴィルの「両親がいないからといってハーミアをいじめてはいかん」みたいな台詞がくるのはおかしいだろう…
それはともかく、毎夏開催される音楽祭に今年もラリーやダニーもやってきて、夏ごとにわちゃわちゃしている幼なじみの子供たち…という様子が語られます。カチャやみやちゃんが半ズボンで登場しただけで笑いが起きるんだからムラ初日ってすごいよなあ。
で、インディアンの扮装してオモチャの機関銃だかパチンコだかを持って乱入してくるいたずら小僧のボビーの珠城さんが似合ってなさすぎてもう可愛くてツラい(笑)。ダニーが観たかったな、新公でもよかったけど。新公はヘレンでもよかったんだけど。まあ一番恐れていたのは新公でパックをやらされることで、似合わないとかいうこと以上にこの人はもうそういうレベルの生徒ではないので新公で老け役に回ったのは正しいことなんだけれど、それで言えば本公演でもう一皮剥けるためにもかつてユリちゃんがそのキャラとノリだけでやってのけた「能天気でオマヌケなところが魅力のボビー」にチャレンジするのも大事な過程なんだけれど、でもショーの「くりすたるず!」といい私は悶えた、気恥ずかしかった、痒かった(^^;)。子供に見えない、真面目さが全身からにじみ出てる! いっそ実はけっこう真面目にいろいろ考えているボビーに作っちゃってもよかったんじゃなかろうか、でもそうやって役を自分に近づけてばかりいちゃダメなんだよな、どんな役にもなれなくちゃな…とは思うのですがああイヤしかし。あああ愛が重い。
というわけでハーミアにだけはストーン・ステージに集まり始めた妖精たちが見え…そして、パックが誕生します。
いやあ、初演どおり! ゾクゾクしました。カッコいいまさおが見たい、というファンには物足りないのかもしれませんが、これはまさおのあたり役、はまり役のひとつになるな、と私は思いました。
オベロン様は生まれたばかりのパックに人間の愚かさ浅はかさを見学させるため、人間界に行かせます。でもそこでパックはハーミアと出会う。妖精を見ることができるセカンド・サイト(オタク的にはサード・アイだよね)を持つ人間がまれにいて、ハーミアはそのひとりだったのです。
ちゃぴが激可愛くてまさおが激ラブリーで、ということもありますが、ここのパックとハーミアとの交情の美しさに早くもほろりとしかけましたワタシ。豆の花たち妖精はパックを止めます。人間なんて嘘つきで見栄っぱりでさもしくて卑しい生き物なんだ、すぐ老けちゃうし友達になんかなれない、まして恋なんかしちゃダメ、それは妖精の掟を破ることになる、と。
でもふたりは異質だから、異種だから友達になるんだよね。パックにとって豆の花たちは友達ではなくただの仲間です。自分が見えるただひとりの人間、ハーミアが初めての「友達」。ハーミアにとっても、パックが初めての本当の友達。ラリーやダニーにちやほやされたりしていても、本を読むのが好きなおとなしい彼女は多分周りからちょっと浮いていたのでしょう。そんな自分だからこそ出会えた、自分にしか見えない、特別な相手。ああ泣ける。
でも人間の成長スピードは早く、彼らはあっという間に大人になっていってしまいます。子供の頃の夢を忘れ、あるいは失くしていく。まあダニー、ヘレン、ボビーはそれぞれある意味まんまなんだけれど、ラリーはヴァイオリニストになる夢も指揮者になる夢も捨て、相続税が大変な家屋敷も手放して母校の教師になっています。爵位みたいなものに安穏としていられる時代は終わってきているのです。グレイヴィル邸も例外ではなく、そしてハーミアもまたセカンド・サイトを失っていくのでした。
パックはショックを受け、怒ります。パックがここでハーミアを「おまえ」呼ばわりしたのに私は最初引っかかったのだけれど、パックもまた生まれて一時間とかでも(笑)妖精として成長して大人になってしまったんですよね。人間を見下すようになってしまったのです。
でも夜の森をさまようハーミアはやっぱり美しい。そしてそれは決して外見のことではなくて、心栄えが美しいからで、セカンド・サイトを失ってもパックの記憶はごくうっすらとですが残っている。うまく思い出せないということはわかる、という程度にはパックの存在が心に引っかかっているのです。
だからパックが再び声をかけたときに、反応する。気配を感じる、ぬくもりを感じる。そして再びその声が聞こえるようになり、姿が目に見えるようになる…!
ところでその前にパックの三色スミレ(さんしょく、かと思っていた)によるいたずら騒ぎがあるわけですが、ボビーがロバに変身させられちゃうところはちゃんと理解されているのかなあ。つまり醜く怖ろしい獣に化かされてしまったのであり、だからクインスたちは怯えて逃げるのであり、だからそんな獣に惚れちゃったタイテーニアをオベロンが嘲笑するのだけれど、下手したらこのロバ、可愛く見えすぎちゃってませんかね? もともと西洋人に比べて日本人の方が獣に対して精神的にハードル低いと思うので(笑)、こういうくだりの瀆神性が伝わってなくて何がどうおかしいのか理解されていないんじゃないのかとついヒヤリとしたりするのでした。
まあそれはいいや、たまきちのロバ耳が可愛いから(オイ)。すーちゃんがいい仕事してるしね。でもここのソロはもう少し短くてもいいかもね、初演は羽根ちゃんのための場面だったろうとは思うので。あとボビーの「ここはどこ? 私は誰?」ってのはあくまで当時のギャグであって、今やただのモノローグ台詞にしか聞こえず、「なんちゃってー」という意味が理解されないのではないでしょうか…
というワケでパックとハーミアです。ふたりは恋に落ち、キスを交わしてしまう。そしてオベロン様の怒りの雷を呼んでしまうのでした。
ここで、パックが妖精の掟を破ったことにもっとすごく怯えて謝り、罪を償おうと必死にならないと演出としてちょっと弱いかな、と思います。だって何がどう罪なの? なんで償わなくちゃなんないの? ってなっちゃいそうだもん。償わなければすべての記憶を失いただの人間として人間界に落とされることになる、という罰の他に、ハーミアに対してもなんらかのペナルティがあるようにしないと、パックが償おうとする流れがわかりづらいかもしれません。まあハーミアの記憶もまた取り上げられる、というのはパックにとっては十分悲しく避けたいことなのでしょうが。
ともあれパックは掟を破った罪を償うため、一番大事なものを封印して一年間、人間界ですごすことになります。パックの一番大事なもの、それはたぐいまれな歌を紡ぐ声でした。
パックは身寄りのない行き倒れとしてボビーに拾われ(ここの「プック」のアイディアは素晴らしいと思う!)、カントリーハウスとして営業を始めていたグレイヴィル邸で働くようになりました。ハーミアは同僚として優しくしてくれますが、パックに関する記憶はオベロン様に取り上げられていて、彼をただの口のきけない気の毒な青年だと思っています。いそいそ働くまさおパックがすごく可愛くてねえ…
ハーミアのそばにいられるのは嬉しい。でも話はできない、自分が誰かもわかってもらえないのは悲しい。人間界はやっぱり騒がしすぎて息苦しい、周りは金儲けの話とかばかりで醜くてしんどい、美しく静かで豊かな森に帰りたい、約束の期限まであと少し…
そしてその間、ダニーは「一生の夢」であるハーミアを手に入れるために姑息な罠を仕掛けているのでした。サー・グレイヴィルが高利貸しへの返済に領地を手放そうとしたとき、ダニーが肩代わりを申し出て、条件としてハーミアとの結婚を求めます。
ラリーとヘレンはふたりの結婚式を邪魔しようとし、ダニーの計画を知ったボビーもまた音楽祭で返済のための寄付を募って計画を阻止しようとします。しかし2014年において「パリからドレスを空輸」にあんなに驚かなくてもいいと思う(^^;)。あとここの「スター誕生!」感はさすがユリちゃんだったと思うので珠城さんもがんばってください。イヤ初日から手拍子入って盛り上がりすごかったけどさ。やっぱり二番手のキャラクターだもんねボビーって。怖いけどそういうことですよ珠城さん!
アクシデントでボビーが潰れ(酔っ払いっぷりが可愛かったなあ、倒れ方がゴーカイでまた可愛かったなあぁ)、パックが禁を破ってボビーの代わりに歌います。ここは完全に初演のままで、もうここから私は爆泣きでした。
ダニーの計画に両親が加担していたことを知ってヘレンは去り、ラリーが追います。パックを思い出したハーミアが落としたヴェールをダニーが拾って握り締め、立ち去ります。パックが歌い、みんなが聴き入り、唱和し、ハーミアは手を伸ばします。
オベロン様との約束を破った。あと少しだったのに、もうこれで森へは帰れなくなった。でも森は残る、美しいままに。僕が育ったあの森を、きみと出会ったあの森を、覚えていて、忘れないで…
ああ、歌い終わりに拍手入れたいなー、その間を取ってから雷鳴、暗転にしてくれないかなー。パックが消えて泣き叫ぶハーミアに拍手を捧げたいわけじゃないんだもん。
エピローグ。ラリーとヘレン、お似合いだよね。スターになっても未だ地元の男子生徒に冷やかされちゃう、そしてそれに屈託なく応えちゃうボビーの変わらなさがまたいい。あんなにみんなが夢中になるハーミアに対して、ボビーはあくまで普通に接している感じがまたいいんだわー。ただ朴念仁だからか、彼もまたセカンド・サイトは持っていなくとも純真な人間だからなのか? だからこそ彼が森でパックを拾えたのかもしれない。そして今回パックを拾うのは欲を捨てたラリーです。あれ? 記憶違いならすみません。
この、記憶を失いただの人間になったパックの冷たい声音が初演から大好きだったのですが、まさおの言い方がカナメさんそっくりでまた良かったわー! 「誰ですか?」なんてつんけん言われて、でもハーミアはひるみません。プックを覚えているから、彼こそがパックだと知っているから。ハーミアは彼を森に連れて行きます。
ストーン・ステージでパックはハーミアを思い出し、その名を呼んで終わり、だったかな…と私は思っていたのですが、そうではありませんでしたね。
パックの記憶は戻りませんでした。そういう奇跡は起きませんでした。
私がこういう異種同士の恋愛もののラストで引っかかるのはいつもこの点でした。タイムスリップで出会ったとか、異世界から来た相手と恋に落ちるとか、そういうファンタジーとかSFのオチのつけ方です。今までの世界、時代、家族や生活を恋のためにすべて捨てられるものだろうか、捨てていいものだろうか。自分を育ててくれたものいっさいから切り離されるということはアイデンティティの喪失に等しいのではないか、それではその人はその人でなくなってしまうのではなかろうか。死んで生まれ変わってまた出会えばいいとか嘘だ、それでは同じ人間ではない。ではどう解決するか? 例えば『スター・レッド』、例えば『天は赤い河のほとり』、例えば『ふしぎ遊戯』、例えば『漂流教室』…いろいろな鮮やかな幕切れがありました。では『PUCK』は?
パックは妖精としての記憶や能力をすべて失い、ただの人間になりました。記憶を失うということはアイデンティティをすべて失うということです。妖精と人間のままでは恋も添い遂げることもままならず大変だったろうけれど、人間同士になれたからって記憶が失われたらそれはもはや別人になってしまったということで、恋も何もあったものじゃないだろう…と当初は思いました。
が、しかし、よく考えたらパックは生まれてたかだか一時間半なのでした(笑)。正確にはブックとして人間界で暮らした一年間もありますが。でも失われたのはたったそれだけの時間分の記憶です。多分それはすぐに埋められる。だってハーミアがそばにいるから。彼らの瞳にはお互いがちゃんと映っているから…
さんさんと日の降り注ぐ岩の上に、ふたりは寄り添って腰掛け、おでこをこつんとくっつけ合わせて微笑み合います。明るい未来が見える、なんて幸福な絵! そして幕はゆっくりと降りるのでした…もう爆泣き。
るうさんとみやちゃんの遊戯室(なんか妖しくヤラしいな)のアドリブとかまさおのウッドペッカーズへのムチャ振りとかまさおとマギーの掛け合いとかはどんどん濃く楽しくなっていくだろうし、ザッツ・ミュージカルとしてのまとまりももっと出てくるだろうし、群集芝居も小芝居が入ってくるだろうし、進化・深化して楽しい舞台に仕上がっていきそうです。いい再演になりそうで嬉しいです。
適材適所でみんな当て書きみたいにいい仕事しているので、あとは珠城さんが開き直ってはっちゃけて二皮くらい剥けてさらうべき場はさらってくれればカンペキなのではないでしょうか。イヤもうできてるのかもしれないけど私は過保護で目が曇っているのでよくわからない(^^;)。ニンじゃないことだけはわかる、でもがむばれ!
新公も楽しみです。ショーは安定の中村Aショーですが、バランスのいい二本立てとしてきちんと集客できるといいなと思います。私もビギナーをたくさんアテンドしたいわ。
かつてファン時代のまさおやみやちゃんがこの作品を愛したように、この作品に出会い宝塚歌劇団入団を目指す少女たちがたくさん現われるといいなと思います。もちろん生徒だけでなく演出家も生まれてほしい。夢が広がるなあ。
そのささやかなお手伝いをすべく、一ファンとして作品を愛しダメを出し劇場に通い続けたいと思うのでした。
その後すぐに買った「歌劇」がカナメさんのサヨナラ特集号だったのをよく覚えています。その後月組も観に行くようになりましたが、初めて観たのはユリちゃんの『風共』でした。つまりカナメさんの現役時代には私は間に合っていません。
でもNHKで放送した「サヨナラ涼風真世」を録画したVHSテープは今も実家にありますし(笑。残念ながらもはやビデオデッキがないが)、『PUCK』もそれで見ました。その後一、二度どなたかにお借りしてDVDで見たかな。主題歌集CDに入った「ミッドサマー・イヴ」や「LOVER’S GREEN」はもちろん歌えます。でも物語全般としては薄ぼんやりしか覚えていません。すごく熱心な初演ファンということではない。むしろ後の『LUNA』といい、イケコのオリジナルってけっこう残念だよね…という印象がありました。
それでもやっぱり今回の再演は楽しみで、いそいそと出かけてしまいました。初日と翌日11時の回だけ観て帰京して、あとはまた新公に遠征するだけですが、楽しみです。
なので現時点での日記というか感想を、ちょっとつらつらと。完全ネタバレかつあくまで私見です、ご留意ください。
スカステニュースで音楽が、歌詞はそのまんまなのにメロディが微妙に違っているのは私でもわかって、ちょっと不安に思っていました。プログラムによれば権利関係云々というよりはイケコが新調したがったようにも読めるけれど、なんらかの事情をぼかしてあるのかしら…? やるならもっと完全新曲にしちゃった方がよかったのではないでしょうか。なまじ似ているだけにちょっと気持ち悪く感じられました。でも二度観ただけでもう記憶は塗り替えられがちなんだけれどね…でも初演ファンにはここはしんどいかもしれません。
幕開き、ピンクのドレスのちゃぴハーミアと黄色のドレスのコマヘレンがわちゃわちゃしてて、その少女っぷりが可愛くてきゅん!となってつかまれて、でも歌うメロディが微妙に初演と違っていてアレレレ…となって、となかなか忙しかったです。
ヘレンは確かに知ったかぶりとかしちゃうちょっと困ったお嬢さんで、素直で賢くかつそつがない(笑)ハーミアをライバル視して目の仇にしているのですが、「みなしごのくせに生意気よ!」とかの台詞があってからでないとサー・グレイヴィルの「両親がいないからといってハーミアをいじめてはいかん」みたいな台詞がくるのはおかしいだろう…
それはともかく、毎夏開催される音楽祭に今年もラリーやダニーもやってきて、夏ごとにわちゃわちゃしている幼なじみの子供たち…という様子が語られます。カチャやみやちゃんが半ズボンで登場しただけで笑いが起きるんだからムラ初日ってすごいよなあ。
で、インディアンの扮装してオモチャの機関銃だかパチンコだかを持って乱入してくるいたずら小僧のボビーの珠城さんが似合ってなさすぎてもう可愛くてツラい(笑)。ダニーが観たかったな、新公でもよかったけど。新公はヘレンでもよかったんだけど。まあ一番恐れていたのは新公でパックをやらされることで、似合わないとかいうこと以上にこの人はもうそういうレベルの生徒ではないので新公で老け役に回ったのは正しいことなんだけれど、それで言えば本公演でもう一皮剥けるためにもかつてユリちゃんがそのキャラとノリだけでやってのけた「能天気でオマヌケなところが魅力のボビー」にチャレンジするのも大事な過程なんだけれど、でもショーの「くりすたるず!」といい私は悶えた、気恥ずかしかった、痒かった(^^;)。子供に見えない、真面目さが全身からにじみ出てる! いっそ実はけっこう真面目にいろいろ考えているボビーに作っちゃってもよかったんじゃなかろうか、でもそうやって役を自分に近づけてばかりいちゃダメなんだよな、どんな役にもなれなくちゃな…とは思うのですがああイヤしかし。あああ愛が重い。
というわけでハーミアにだけはストーン・ステージに集まり始めた妖精たちが見え…そして、パックが誕生します。
いやあ、初演どおり! ゾクゾクしました。カッコいいまさおが見たい、というファンには物足りないのかもしれませんが、これはまさおのあたり役、はまり役のひとつになるな、と私は思いました。
オベロン様は生まれたばかりのパックに人間の愚かさ浅はかさを見学させるため、人間界に行かせます。でもそこでパックはハーミアと出会う。妖精を見ることができるセカンド・サイト(オタク的にはサード・アイだよね)を持つ人間がまれにいて、ハーミアはそのひとりだったのです。
ちゃぴが激可愛くてまさおが激ラブリーで、ということもありますが、ここのパックとハーミアとの交情の美しさに早くもほろりとしかけましたワタシ。豆の花たち妖精はパックを止めます。人間なんて嘘つきで見栄っぱりでさもしくて卑しい生き物なんだ、すぐ老けちゃうし友達になんかなれない、まして恋なんかしちゃダメ、それは妖精の掟を破ることになる、と。
でもふたりは異質だから、異種だから友達になるんだよね。パックにとって豆の花たちは友達ではなくただの仲間です。自分が見えるただひとりの人間、ハーミアが初めての「友達」。ハーミアにとっても、パックが初めての本当の友達。ラリーやダニーにちやほやされたりしていても、本を読むのが好きなおとなしい彼女は多分周りからちょっと浮いていたのでしょう。そんな自分だからこそ出会えた、自分にしか見えない、特別な相手。ああ泣ける。
でも人間の成長スピードは早く、彼らはあっという間に大人になっていってしまいます。子供の頃の夢を忘れ、あるいは失くしていく。まあダニー、ヘレン、ボビーはそれぞれある意味まんまなんだけれど、ラリーはヴァイオリニストになる夢も指揮者になる夢も捨て、相続税が大変な家屋敷も手放して母校の教師になっています。爵位みたいなものに安穏としていられる時代は終わってきているのです。グレイヴィル邸も例外ではなく、そしてハーミアもまたセカンド・サイトを失っていくのでした。
パックはショックを受け、怒ります。パックがここでハーミアを「おまえ」呼ばわりしたのに私は最初引っかかったのだけれど、パックもまた生まれて一時間とかでも(笑)妖精として成長して大人になってしまったんですよね。人間を見下すようになってしまったのです。
でも夜の森をさまようハーミアはやっぱり美しい。そしてそれは決して外見のことではなくて、心栄えが美しいからで、セカンド・サイトを失ってもパックの記憶はごくうっすらとですが残っている。うまく思い出せないということはわかる、という程度にはパックの存在が心に引っかかっているのです。
だからパックが再び声をかけたときに、反応する。気配を感じる、ぬくもりを感じる。そして再びその声が聞こえるようになり、姿が目に見えるようになる…!
ところでその前にパックの三色スミレ(さんしょく、かと思っていた)によるいたずら騒ぎがあるわけですが、ボビーがロバに変身させられちゃうところはちゃんと理解されているのかなあ。つまり醜く怖ろしい獣に化かされてしまったのであり、だからクインスたちは怯えて逃げるのであり、だからそんな獣に惚れちゃったタイテーニアをオベロンが嘲笑するのだけれど、下手したらこのロバ、可愛く見えすぎちゃってませんかね? もともと西洋人に比べて日本人の方が獣に対して精神的にハードル低いと思うので(笑)、こういうくだりの瀆神性が伝わってなくて何がどうおかしいのか理解されていないんじゃないのかとついヒヤリとしたりするのでした。
まあそれはいいや、たまきちのロバ耳が可愛いから(オイ)。すーちゃんがいい仕事してるしね。でもここのソロはもう少し短くてもいいかもね、初演は羽根ちゃんのための場面だったろうとは思うので。あとボビーの「ここはどこ? 私は誰?」ってのはあくまで当時のギャグであって、今やただのモノローグ台詞にしか聞こえず、「なんちゃってー」という意味が理解されないのではないでしょうか…
というワケでパックとハーミアです。ふたりは恋に落ち、キスを交わしてしまう。そしてオベロン様の怒りの雷を呼んでしまうのでした。
ここで、パックが妖精の掟を破ったことにもっとすごく怯えて謝り、罪を償おうと必死にならないと演出としてちょっと弱いかな、と思います。だって何がどう罪なの? なんで償わなくちゃなんないの? ってなっちゃいそうだもん。償わなければすべての記憶を失いただの人間として人間界に落とされることになる、という罰の他に、ハーミアに対してもなんらかのペナルティがあるようにしないと、パックが償おうとする流れがわかりづらいかもしれません。まあハーミアの記憶もまた取り上げられる、というのはパックにとっては十分悲しく避けたいことなのでしょうが。
ともあれパックは掟を破った罪を償うため、一番大事なものを封印して一年間、人間界ですごすことになります。パックの一番大事なもの、それはたぐいまれな歌を紡ぐ声でした。
パックは身寄りのない行き倒れとしてボビーに拾われ(ここの「プック」のアイディアは素晴らしいと思う!)、カントリーハウスとして営業を始めていたグレイヴィル邸で働くようになりました。ハーミアは同僚として優しくしてくれますが、パックに関する記憶はオベロン様に取り上げられていて、彼をただの口のきけない気の毒な青年だと思っています。いそいそ働くまさおパックがすごく可愛くてねえ…
ハーミアのそばにいられるのは嬉しい。でも話はできない、自分が誰かもわかってもらえないのは悲しい。人間界はやっぱり騒がしすぎて息苦しい、周りは金儲けの話とかばかりで醜くてしんどい、美しく静かで豊かな森に帰りたい、約束の期限まであと少し…
そしてその間、ダニーは「一生の夢」であるハーミアを手に入れるために姑息な罠を仕掛けているのでした。サー・グレイヴィルが高利貸しへの返済に領地を手放そうとしたとき、ダニーが肩代わりを申し出て、条件としてハーミアとの結婚を求めます。
ラリーとヘレンはふたりの結婚式を邪魔しようとし、ダニーの計画を知ったボビーもまた音楽祭で返済のための寄付を募って計画を阻止しようとします。しかし2014年において「パリからドレスを空輸」にあんなに驚かなくてもいいと思う(^^;)。あとここの「スター誕生!」感はさすがユリちゃんだったと思うので珠城さんもがんばってください。イヤ初日から手拍子入って盛り上がりすごかったけどさ。やっぱり二番手のキャラクターだもんねボビーって。怖いけどそういうことですよ珠城さん!
アクシデントでボビーが潰れ(酔っ払いっぷりが可愛かったなあ、倒れ方がゴーカイでまた可愛かったなあぁ)、パックが禁を破ってボビーの代わりに歌います。ここは完全に初演のままで、もうここから私は爆泣きでした。
ダニーの計画に両親が加担していたことを知ってヘレンは去り、ラリーが追います。パックを思い出したハーミアが落としたヴェールをダニーが拾って握り締め、立ち去ります。パックが歌い、みんなが聴き入り、唱和し、ハーミアは手を伸ばします。
オベロン様との約束を破った。あと少しだったのに、もうこれで森へは帰れなくなった。でも森は残る、美しいままに。僕が育ったあの森を、きみと出会ったあの森を、覚えていて、忘れないで…
ああ、歌い終わりに拍手入れたいなー、その間を取ってから雷鳴、暗転にしてくれないかなー。パックが消えて泣き叫ぶハーミアに拍手を捧げたいわけじゃないんだもん。
エピローグ。ラリーとヘレン、お似合いだよね。スターになっても未だ地元の男子生徒に冷やかされちゃう、そしてそれに屈託なく応えちゃうボビーの変わらなさがまたいい。あんなにみんなが夢中になるハーミアに対して、ボビーはあくまで普通に接している感じがまたいいんだわー。ただ朴念仁だからか、彼もまたセカンド・サイトは持っていなくとも純真な人間だからなのか? だからこそ彼が森でパックを拾えたのかもしれない。そして今回パックを拾うのは欲を捨てたラリーです。あれ? 記憶違いならすみません。
この、記憶を失いただの人間になったパックの冷たい声音が初演から大好きだったのですが、まさおの言い方がカナメさんそっくりでまた良かったわー! 「誰ですか?」なんてつんけん言われて、でもハーミアはひるみません。プックを覚えているから、彼こそがパックだと知っているから。ハーミアは彼を森に連れて行きます。
ストーン・ステージでパックはハーミアを思い出し、その名を呼んで終わり、だったかな…と私は思っていたのですが、そうではありませんでしたね。
パックの記憶は戻りませんでした。そういう奇跡は起きませんでした。
私がこういう異種同士の恋愛もののラストで引っかかるのはいつもこの点でした。タイムスリップで出会ったとか、異世界から来た相手と恋に落ちるとか、そういうファンタジーとかSFのオチのつけ方です。今までの世界、時代、家族や生活を恋のためにすべて捨てられるものだろうか、捨てていいものだろうか。自分を育ててくれたものいっさいから切り離されるということはアイデンティティの喪失に等しいのではないか、それではその人はその人でなくなってしまうのではなかろうか。死んで生まれ変わってまた出会えばいいとか嘘だ、それでは同じ人間ではない。ではどう解決するか? 例えば『スター・レッド』、例えば『天は赤い河のほとり』、例えば『ふしぎ遊戯』、例えば『漂流教室』…いろいろな鮮やかな幕切れがありました。では『PUCK』は?
パックは妖精としての記憶や能力をすべて失い、ただの人間になりました。記憶を失うということはアイデンティティをすべて失うということです。妖精と人間のままでは恋も添い遂げることもままならず大変だったろうけれど、人間同士になれたからって記憶が失われたらそれはもはや別人になってしまったということで、恋も何もあったものじゃないだろう…と当初は思いました。
が、しかし、よく考えたらパックは生まれてたかだか一時間半なのでした(笑)。正確にはブックとして人間界で暮らした一年間もありますが。でも失われたのはたったそれだけの時間分の記憶です。多分それはすぐに埋められる。だってハーミアがそばにいるから。彼らの瞳にはお互いがちゃんと映っているから…
さんさんと日の降り注ぐ岩の上に、ふたりは寄り添って腰掛け、おでこをこつんとくっつけ合わせて微笑み合います。明るい未来が見える、なんて幸福な絵! そして幕はゆっくりと降りるのでした…もう爆泣き。
るうさんとみやちゃんの遊戯室(なんか妖しくヤラしいな)のアドリブとかまさおのウッドペッカーズへのムチャ振りとかまさおとマギーの掛け合いとかはどんどん濃く楽しくなっていくだろうし、ザッツ・ミュージカルとしてのまとまりももっと出てくるだろうし、群集芝居も小芝居が入ってくるだろうし、進化・深化して楽しい舞台に仕上がっていきそうです。いい再演になりそうで嬉しいです。
適材適所でみんな当て書きみたいにいい仕事しているので、あとは珠城さんが開き直ってはっちゃけて二皮くらい剥けてさらうべき場はさらってくれればカンペキなのではないでしょうか。イヤもうできてるのかもしれないけど私は過保護で目が曇っているのでよくわからない(^^;)。ニンじゃないことだけはわかる、でもがむばれ!
新公も楽しみです。ショーは安定の中村Aショーですが、バランスのいい二本立てとしてきちんと集客できるといいなと思います。私もビギナーをたくさんアテンドしたいわ。
かつてファン時代のまさおやみやちゃんがこの作品を愛したように、この作品に出会い宝塚歌劇団入団を目指す少女たちがたくさん現われるといいなと思います。もちろん生徒だけでなく演出家も生まれてほしい。夢が広がるなあ。
そのささやかなお手伝いをすべく、一ファンとして作品を愛しダメを出し劇場に通い続けたいと思うのでした。
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