帝国劇場、2024年9月9日17時45分。
2021年にゆんゆんヴォルフガングで観たときの感想はこちら、14年にヨシオと1936で観たときはこちら、05年にアッキーで観たときはこちら。
毎度、「なんかおもしろさがよくわからない…もういいかな……」と思いつつ新キャストに惹かれて行く、ということを繰り返している気がします。今回はきぃちゃんコンスが観たくて出かけてしまいました。あ、あとしーちゃんのアロイズィアもね!
この日はヴォルフガング/京本大我、ヴァルトシュテッテン男爵夫人/涼風真世、アマデ/白石ひまり。他の主なシングルキャストはコンスタンツェ/真彩希帆、ナンネール/大塚千弘、コロレド大司教/山口祐一郎、レオポルト/市川正親、セシリア・ウェーバー/未来優希、シカネーダー/遠山裕介。
きょもくんは、私にはなんかあまり響きませんでした。あまりいい声だとは思えなかったし、喉か胸で歌っている感じでお腹から声が出ているようには聞こえませんでした。苦しそうということはなく、音程もちゃんとしていて、タッパもあって舞台映えもするし、ちゃんとしたミュージカルスターさんだな、とは思いましたが…演技についてはさらによくわかりませんでした。滑舌とかは普通。ただこの作品は脚本が、芝居が、キャラクターが、ストーリーがアレだと私は思うので…
きぃちゃんはちょいちょいしか出番がない1幕もいつでも可愛いし、「ダンスはやめられない」は絶品でした。これは歴代出色の出来なのでは…ただ、この歌も結局は私には意味がわからないんですよね。そんなにダンスが好きだったなんて初耳だし、あんなに好きだったヴォルフを放ってまで踊りに行くほどのものなのか、と思うし、イヤ作曲に集中したがったヴォルフが追い出したんで行く当てがないってことだろ、とも思うのですがそんな場面はないじゃないですか。だからこの歌の内容自体はわかるんだけど、前後の脈絡がさっぱりわからなくて正直ぽかんとしてしまうんですよ…史実としてはコンスタンツェって悪妻とされているようだけれど、実際のところ、というかこの物語においてはどういう存在なんだ、というのが全然読み取れないのです。あの墓掘りとかはなんなの??
というか、この作品は「物語」になっているのか? 私がそういうものを望みすぎているだけで、この作品の本質は素敵なナンバー、楽曲を並べただけの、もっと哲学的なレビューみたいなものなのか? だから芝居パートが全然なくてお話がワケわからないのか??
天才の孤独を描きたいのか、それを利用しようとする者たちの悪辣さを描きたいのか、普通の情愛が通わなかった家族の悲劇を描きたいのか、芸術とは何かみたいなことを描きたかったのか…私にはさっぱりわからないのでした。
モーツァルトが早世したのは史実だけれど、それをアマデがヴォルフを刺してアマデも死ぬ、って演出にして何を描いているのか、本当に私にはわからないのです。私は天才じゃないので、ヴォルフのことがわかる、とも思えないし、かわいそう、と思うにはなんかアレだし…なので観ていてまあまあ退屈しちゃうし、ぽかんとしたまま終わっちゃうんですよ…
なのにすぐスタオベになる客席に正直退きました…
もうヤダ、もう行かない。今度こそ絶対行かない、まどかコンスとかになっても涙を飲んで行かない。「ダンスは~」だけならライブやコンサートやDSで聞けるかもしれませんしね。それで十分です。それか『ロックオペラ モーツァルト』をブラッシュアップして上演してほしい…
この作品はブロードウェイでもロンドンでもソウルでもこんな感じなの? それともイケコでなくなればもっと違う形になるの? まあ脚本にあまり手を入れるのは契約的にアレなのかもしれませんが、とにかくもっと筋の通ったお話にはできないものなの? そういう作品じゃないんだ、ということなら、やはりnot for meなんだなあぁ…
あと、コロラドとレオポルトはいつ替わるの? さすがにマンネリでは…彼らでなくてはいけない意味はないのでは…
不満ばっか並べてすみません。しーちゃんにお取り次ぎいただいたA席はS席のすぐ後ろで、上手サブセンブロックでしたが壁にはそこまで近くなく、全体が観やすくて快適でした。1万1千円なら「ダンスは~」とアロイズィアを愛でる分に満足してお支払いしますよ…「星金」はもちろんさすがでしたが、二日前に贔屓の熱唱を聞いているのでちょっと別次元でした。てかこの男爵夫人も結局意味がわからない存在ですからね…
あまりいい観客でなくてすみませんでした。この作品が大好き、という方のお気持ちを傷つけましたら、申し訳ございません…
2021年にゆんゆんヴォルフガングで観たときの感想はこちら、14年にヨシオと1936で観たときはこちら、05年にアッキーで観たときはこちら。
毎度、「なんかおもしろさがよくわからない…もういいかな……」と思いつつ新キャストに惹かれて行く、ということを繰り返している気がします。今回はきぃちゃんコンスが観たくて出かけてしまいました。あ、あとしーちゃんのアロイズィアもね!
この日はヴォルフガング/京本大我、ヴァルトシュテッテン男爵夫人/涼風真世、アマデ/白石ひまり。他の主なシングルキャストはコンスタンツェ/真彩希帆、ナンネール/大塚千弘、コロレド大司教/山口祐一郎、レオポルト/市川正親、セシリア・ウェーバー/未来優希、シカネーダー/遠山裕介。
きょもくんは、私にはなんかあまり響きませんでした。あまりいい声だとは思えなかったし、喉か胸で歌っている感じでお腹から声が出ているようには聞こえませんでした。苦しそうということはなく、音程もちゃんとしていて、タッパもあって舞台映えもするし、ちゃんとしたミュージカルスターさんだな、とは思いましたが…演技についてはさらによくわかりませんでした。滑舌とかは普通。ただこの作品は脚本が、芝居が、キャラクターが、ストーリーがアレだと私は思うので…
きぃちゃんはちょいちょいしか出番がない1幕もいつでも可愛いし、「ダンスはやめられない」は絶品でした。これは歴代出色の出来なのでは…ただ、この歌も結局は私には意味がわからないんですよね。そんなにダンスが好きだったなんて初耳だし、あんなに好きだったヴォルフを放ってまで踊りに行くほどのものなのか、と思うし、イヤ作曲に集中したがったヴォルフが追い出したんで行く当てがないってことだろ、とも思うのですがそんな場面はないじゃないですか。だからこの歌の内容自体はわかるんだけど、前後の脈絡がさっぱりわからなくて正直ぽかんとしてしまうんですよ…史実としてはコンスタンツェって悪妻とされているようだけれど、実際のところ、というかこの物語においてはどういう存在なんだ、というのが全然読み取れないのです。あの墓掘りとかはなんなの??
というか、この作品は「物語」になっているのか? 私がそういうものを望みすぎているだけで、この作品の本質は素敵なナンバー、楽曲を並べただけの、もっと哲学的なレビューみたいなものなのか? だから芝居パートが全然なくてお話がワケわからないのか??
天才の孤独を描きたいのか、それを利用しようとする者たちの悪辣さを描きたいのか、普通の情愛が通わなかった家族の悲劇を描きたいのか、芸術とは何かみたいなことを描きたかったのか…私にはさっぱりわからないのでした。
モーツァルトが早世したのは史実だけれど、それをアマデがヴォルフを刺してアマデも死ぬ、って演出にして何を描いているのか、本当に私にはわからないのです。私は天才じゃないので、ヴォルフのことがわかる、とも思えないし、かわいそう、と思うにはなんかアレだし…なので観ていてまあまあ退屈しちゃうし、ぽかんとしたまま終わっちゃうんですよ…
なのにすぐスタオベになる客席に正直退きました…
もうヤダ、もう行かない。今度こそ絶対行かない、まどかコンスとかになっても涙を飲んで行かない。「ダンスは~」だけならライブやコンサートやDSで聞けるかもしれませんしね。それで十分です。それか『ロックオペラ モーツァルト』をブラッシュアップして上演してほしい…
この作品はブロードウェイでもロンドンでもソウルでもこんな感じなの? それともイケコでなくなればもっと違う形になるの? まあ脚本にあまり手を入れるのは契約的にアレなのかもしれませんが、とにかくもっと筋の通ったお話にはできないものなの? そういう作品じゃないんだ、ということなら、やはりnot for meなんだなあぁ…
あと、コロラドとレオポルトはいつ替わるの? さすがにマンネリでは…彼らでなくてはいけない意味はないのでは…
不満ばっか並べてすみません。しーちゃんにお取り次ぎいただいたA席はS席のすぐ後ろで、上手サブセンブロックでしたが壁にはそこまで近くなく、全体が観やすくて快適でした。1万1千円なら「ダンスは~」とアロイズィアを愛でる分に満足してお支払いしますよ…「星金」はもちろんさすがでしたが、二日前に贔屓の熱唱を聞いているのでちょっと別次元でした。てかこの男爵夫人も結局意味がわからない存在ですからね…
あまりいい観客でなくてすみませんでした。この作品が大好き、という方のお気持ちを傷つけましたら、申し訳ございません…
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます