御園座、2022年2月19日11時。
今から4500年前のエジプト。エチオピアとの度重なる戦いに勝利するため、ファラオ(悠真倫)の前で新たな将軍の名が神官たちから告げられようとしていた。若き戦士ラダメス (礼真琴)は自分こそが将軍に選ばれるのではとの期待に胸を躍らせていた。彼はエチオピアに勝利した暁に、密かに恋するアイーダ(舞空瞳)に求愛しようと決心していたのだ。エチオピアの王女だったアイーダは先の戦いの折、ラダメスによって命を救われ、今はエジプトの囚われ人となっていた。アイーダもまた、祖国の敵と知りながらラダメスに心惹かれていたが…
脚本・演出/木村信司、作曲・編曲/甲斐正人、編曲/長谷川雅大。ヴェルディのオペラ『アイーダ』をもとに2003年星組で初演、15年宙組で再演した大作ミュージカルを、ビジュアルを一新して上演。全2幕。
星組初演の感想はこちら、宙組再演の感想はこちら、宙組博多座公演の感想はこちら。
キエフ・オペラ『アイーダ』の感想はこちら、劇団四季『アイーダ』の感想はこちら。
というわけで私はこの作品がわりと嫌いではありません。でももう一生分観たとも思っていて、今回の三演ニュースを聞いてもあまり気分は上がりませんでした。特にこっちゃんにワタルやチエちゃんと同じことばかりやらせるようなことはやめろ、とずっと思っているので。でもコロナ禍で劇団もいろいろと苦しく再演頼りなところはあるんだろうな、とかも考えましたし、衣装もセットも一新するというのは楽しみだなとちょっと思ってしまい(では経済的に苦しいというのはどこ行ったんだって話ですが)、結局はワクテカと開幕を待ちました。初日が延期されてしまい、確保チケットが風前の灯火でしたが、無事に観られてよかったです。久々の名古屋モーニングも楽しみ、平日夕方のガラガラの地下街で手羽先や味噌カツや海老フライなどの名古屋飯も楽しめました。本当ならそのまま伊勢志摩旅行予定だったのですが、それはさすがに断念して日帰りにしたことだけが残念でした。
配役は役替わりにしてくるかと思っていましたが、意外やかりんたんウバルド(極美慎)一択という結果でしたね。それでチケットが売れるんかいな、とか思っていたのですが、御園座公演は御園座ががさっと持っていくのか、綺麗に完売してチケットがない、ないと嘆かれているようです。まあ売れるのは喜ばしいことですね。初日が延期されて公演期間が短くなり、さらにレアチケットとなったことでしょう。生徒さんたちはもっとじっくりがっつり公演したかったことでしょうが、短くも激しく燃えてほしいものです。千秋楽まで、どうぞご安全に…
というわけで何度も言いますがもう一生分観たと思っていた作品でしたが、そしてお衣装(衣装/加藤真美)とセット(装置/稲生英介)がスタイリッシュモダンに新調された以外は台詞も演出も振付も人の出ハケもほぼほぼ同じでフィナーレなんかホント宙組版まんまでイロイロ脳がバグりましたが、それでもやっぱり「こんなに違うのか!」とおもしろく、もう夢中で見入ってしまいました。
セットはイメージや構造を引き継ぎつつ、白黒金に絞って簡素化した感じで、それこそお洒落現代オペラみたいで素敵でした。そしてお衣装は基本的にエジプト勢は白、エチオピア勢は黒という対比。女囚たちが色とりどりのターバンというか、頭布を巻き付けているのがエチゾチックな感じ。アムネリス(有沙瞳)は白に金の飾りがいろいろ足されていて「光ってやがる」感じでした。
こっちゃんラダメスのお衣装が土浦の暴走族のヘッドかな?みたいだったのは…特に戦場場面でケペル(天華えま)たちがマントも着けているのに対してひとりあのまんまだと、将軍に見えないしさすがに違和感がありました。長髪もカッコいいんだけど、頭身バランス的に厳しい気もしましたしね。衣装が軽くなってバリバリ踊れて殺陣もできるようになった、ってのは対こっちゃんとしては正しいと思うのですが…
一方ひっとんアイーダもずっと着た切り雀なのはヒロインとしてやや残念でしたし、材質なのかデザインなのか、いわゆるS字ラインが作りづらい、身体を捻ってしなやかに細く見せて立つことがしづらいお衣装で、結果的になんとなく常に棒立ちに見えたのも残念でした。そしてヘアスタイルのせいもあってこちらは頭身が高く見えすぎました…王女然としていていいっちゃいいんですけれどね。
しかしスゴツヨがボサノバになろうとちゃんと文明批判、バブル批評になっているのがすごいですよね…やはり作品の強度を感じました。
今や懸案のブラックフェイス問題ですが、エジプト勢は男役含めていつもより白め、そしてエチオピア勢は宙組版よりずっと薄い、いわゆるブラウン・フェイスくらいな感じでしたが、要するに濃いと言えば濃い肌色になっていました。これは宝塚歌劇の場合、どう考えたらいいのでしょうか。
そもそも黄色人種メインの女性のみが、主に生まれと違う国や人種や性別に扮する演劇をしている集団です。普段から、というか無国籍のショーでも、娘役はより女性らしく見せるために本来の肌より白く、男役は精悍さを表すために肌色を浅黒く化粧しています。このジェンダー観はどうなんだ、これは性差別ではないのかあるいはルッキズムの問題なのか、という問いもある。『王家』でも神官たちはエジプト人女性より肌色が白いくらいですが、これは神職の記号表象ということなのか、はたまた男性は去勢すると女性より肌色が明るくなるものなのか、もはやリアルがどこにあるのかよくわからない問題です。またタカラジェンヌは普段から金髪気味にしている人が多いですが、肌色と同様に髪の色を本来のものから変えることに関する問いもあります。
黄色人種が人種の演じ分けのために肌を白くしたり黒くしたりすることと、白人が黒塗りして黒人に扮しジョークを言うようなものとは意味が違う、とは言えるのかもしれませんが、本当にそうなのでしょうか。でも演劇とは他者になることだと思うのですが、そこでする扮装はどこまでならどう許容されるのでしょうか。当事者たちが見て不快だ、差別だと思えばそうなのかもしれませんが、当事者たちの感じ方にも差があるでしょうし、理屈としてはどう考えるのが正しいのでしょうか。申し訳ありませんが私は未だ不勉強で、この問題についてどう考えていいのかわからないままでいます。くわしい方、ご教示いただけると嬉しいです。
さて、それらの問題を除けば、役者の個性の違いで役の在り方がいろいろと違って見えて、物語の骨格がより濃く立ち上がり、今日なお訴えるものがある作品に仕上がっていることに胸打たれるのでした。何十回も観ると大味な話だな、もっと歌減らして芝居を増やしてくれよ、とか感じちゃうかと思うのですが、一回かそこらの観劇なら今までの上演との差異を分析したり堪能したりしているうちに、それこそナイルの流れに押し流され巻き込まれるようにして観ているうちに圧倒されて終わって、大満足!みたいになるのでした。
まぁ様ラダメスはやはり優しく賢くスマートで、貴族の子弟で近衛兵とかが似合いそうな、マッチョな仲間たちからはちょっと浮いていてそこにアイーダとの共感が心の隙間に入っていったような、そんな役作りだったと思います。でも今回はキムシンの脳筋指示もあったようで、こっちゃんの絶対王者感がのびのび発揮された熱いラダメスだったと思います。そしてこれまた何十回でも言いますがホントに声がいい。そりゃ領地も広がろうというものです。まぁ様の包容力に対してこっちゃんの牽引力、みたいな対比が思い浮かびました。
対してアイーダは…私はみりおんがわりと苦手だったんですけれど、こうして見ると歌はもちろん芝居も上手かったんだな、としみじみ思ってしまいました。それくらい私にはひっとんアイーダがちょっともの足りなかったのです。『ロミジュリ』のときはもっと歌えていたと思うんだけど、歌もちょっと弱く感じましたし、演技もなんか訴えてくるものがあまりなく感じられてしまいました。
出で立ちの違いもあり、またそもそもふたりが出会い惹かれ合う場面もないせいもあって、ラダメスとアイーダは全然違う言葉をしゃべり違うものを見ているんだな、という印象が強く残りました。第3場の時点でそもそもふたりはそれぞれ自分の恋心は自覚していてもお互いに告白はし合っていない状態なんですけれど、その段階でラダメスのこの物言いや取ろうとする行動はやはり勇み足に見えますし、アイーダも立場として難しいだろうけどもっとちゃんとラダメスと話をしないし誰にとっても良くない方向にしか話は進まないよ、と思えてしまいます。こんなすれ違いで戦争を起こされたらたまったものではないわけで…もちろん実際にはアモナスロ(輝咲玲央)が懲りずに仕掛けてくるから悪いんだけど、でもじゃあそれを止められないまでももっと違う方向に流すことはできなかったのか?と思っちゃうわけです。それを「月満ち」場面だけでひっくり返す、かなり力業の構造になっているんですよねこの物語は…実はそこが厳しい、という問題はあるにせよ、とにかくひっとんにしては珍しく輪郭のぼやけた、意志や主張がはっきりしないヒロイン像に見えて、親兄弟に対する態度もラダメスへの恋心も、私にはなんか今ひとつ薄ぼんやりとしか響いてこなかったのでした…残念。フィナーレのリゾート姿は可愛かったし、ここの歌詞の改変もよかったとは思ったんですけれどね。
でもこの歌詞、エジプト、アフリカだけにせず「♪どんな国もすごくて素敵」としたのはいいんだけれど、ホント言えば国なんかどうでもいいわけです。少なくとも民を大事にしないならそんな国なんかいらないわけです。だからアイーダは国を捨てたんだし、アムネリスはファラオとなる以上は不戦を誓ったわけです。でも男性作家はやはり男だからか、単純に自分と国家を結び付けすぎな気がします。『バロクロ』でもタカヤがツナヨシに民のため、ではなく国のためと言わせてしまったのはそのせいだと思います。でも女は国を無条件に受け入れることなんかしませんよ、その意識にそろそろ男も目覚めるべきですよ。ここはさらに一歩進んで「♪どんな人もすごくて素敵」と歌わせるべきだったのかもしれません。でもそれだとどんな男でもいい、というセクシャルな歌詞に取られちゃうかなあ…難しいなあ……
さて話を戻しまして、この物語の正二番手にして裏主役はやはりアムネリスさまだよなあ、と改めて痛感したくらっちの素晴らしさよ! たとえ番手ごまかしのためだろうとラインナップで下手先頭を張りこっちゃんとお辞儀し合うのは大正解に思えました。歌えるし芝居ができるのも知っていたつもりですが、この人は声が意外に可愛らしいところがチャーミングなんですよね。歌えなくともあたりを払う美貌でいかにもファラオの娘然としていたゆうりちゃんとも、しっかり歌えて美しくしかしどこか固く生真面目そうだったところがまた王女様らしくてよかったしーちゃんとも違っていました。驕り高ぶった横柄で傲慢な王女ではなく、でも美しく豊かに恵まれて育った愛らしさと賢さ、責任感や幸福を追求する主張が見える、素敵な女性像だったと思います。そしてもちろん歌はめっちゃ上手い。三重唱のなんと豊かで美しかったことよ…! 堪能しました。最後にキラキラを抑えた、父のマントを羽織ったファラオ姿で出てくるところも感動的でした。
かりんさんウバルドは…健闘していたけど、やはりゆりかちゃんくらい個性を出さないと意外と爪痕が残せない役なのかもしれないな、と思いました。カマンテ(ひろ香祐)、サウフェ(碧海さりお)もそこまでキャラの差が出ていたかなー…それはケペルとメレルカ(天飛華音)も同様。それぞれ振りはまったく同じだったので、私にはあっきーの亡霊がそれぞれに見えて目が曇っていたせいはあるかもしれません。ファラオ暗殺のとき、アモナスロが飛ばせた鳩の羽ばたきの音が私にはちょっと機関銃の銃声にも思えて、ウバルドたちの自爆テロ感がより出て不気味に感じられたりもしました。
女官たちではターニ(瑠璃花夏)がにじょはなちゃんとともに歌手担当にピックアップされていて嬉しかったです。タオル首締めはなくなっていましたね。あとは娘役ちゃんがちょいちょいエジプト兵のバイトをしていたのもツボでした。神官たちも特にしどころはなかったかなあ…
父が死んで、兵たちが割れることを恐れてアムネリスは自分が即位することを選びましたが、父が発狂したときにアイーダはすべてを捨ててラダメスのもとに戻りました。もちろん彼女にはもう継ぐべき国がなかったから、滅ぼされてしまったから、というのはある。でもまだ戦場に嘆き悲しむ女たちが残されていたわけで、彼女たち民に対する責任が本当は王女たる彼女にはあるはずなのです。次の女王になって民たちを守り率いなければならないはずなのに、アイーダはそれを放棄している。でもそもそも男たちが始めた戦争の後始末を背負わされるのが何故いつも女なんだ、という問題はあるわけで、だから愛に生きるこのヒロインの行動はここでは正当化される。しょーもない国なら国ごと要らん、とと言えてしまう。一方でアムネリスはそのまま国を背負わざるをえない。不戦を誓うけれど、自分でも実現は難しいだろうとも思っている。そんな困難な道を、唇を噛みしめ堪え忍びながら進まざるをえない。理不尽だけれど、誰かがやらないといけないことだから。ちゃんとできるなら国はあった方がいいと思えるから。希望を絶やすわけにはいかないから、でないとやがて人類そのものが滅んでしまうから。誰かが泣かなきゃいけないならそんな人類などまるごと滅べ、という考え方もあるけれど、この物語はそれを選ばないので。たとえ今は夢のように思えても、せめて次に泣く人を出さないように…なんでしたっけ、『武蔵野の露と消ゆとも』のキーワード…あれも星組公演でしたね。
やはり国とか平和とかを考えているのはアイーダやアムネリスで、ラダメスはなんかもうちょっと卑近なことしか考えていない単純バカなところがあるヒーローになっちゃっている気もしますが(イヤ一応最期はアムネリスに対していいこと言って去っていくわけですが)、そういう物語だしそもそも世の中そういうものなのかもしれないし、未だ世界平和は達成されていないわけで、全然古びていない物語ではあるのでした。その良さがシンプルに立ち上がっていた再演、新上演だったと思います。
よく考えれば、ラダメスとアイーダがプロローグに乗って現れていた謎のゴンドラがなくなってシンプルになったのも、よかったと思います。それでいうとファラオのゴンドラもなかったわけですが(笑)。くらっちアムネリスの圧巻の「世界に求む」と壮大なコーラスでシメ、というのは本当に感動的に美しかったです。
イヤしかしフィナーレがホントまんまで全部覚えていて、かりんさんの立ち位置がほぼほぼあっきーポジションでもうホント大変でした全私が。マリンリゾート押しのコンセプトもめっちゃおもしろかったし。まぁみりのデュエダンは本当にまろやかでよかったなあ…とかもしみじみ思い出しました。
でもパレードは、せめてトップコンビは、それこそまぁみりの衣装でいいから綺麗なの着て大羽根背負ってほしかったかなあ。名古屋のお客様だって羽根は見たいと思いますよ羽根は…地味で残念でした。エトワールは都優奈ちゃん、歌上手さんですよね! 素晴らしかったです。
珍しく配信を知人と一緒に見る予定なので、ちょっと楽しみにしています!
今から4500年前のエジプト。エチオピアとの度重なる戦いに勝利するため、ファラオ(悠真倫)の前で新たな将軍の名が神官たちから告げられようとしていた。若き戦士ラダメス (礼真琴)は自分こそが将軍に選ばれるのではとの期待に胸を躍らせていた。彼はエチオピアに勝利した暁に、密かに恋するアイーダ(舞空瞳)に求愛しようと決心していたのだ。エチオピアの王女だったアイーダは先の戦いの折、ラダメスによって命を救われ、今はエジプトの囚われ人となっていた。アイーダもまた、祖国の敵と知りながらラダメスに心惹かれていたが…
脚本・演出/木村信司、作曲・編曲/甲斐正人、編曲/長谷川雅大。ヴェルディのオペラ『アイーダ』をもとに2003年星組で初演、15年宙組で再演した大作ミュージカルを、ビジュアルを一新して上演。全2幕。
星組初演の感想はこちら、宙組再演の感想はこちら、宙組博多座公演の感想はこちら。
キエフ・オペラ『アイーダ』の感想はこちら、劇団四季『アイーダ』の感想はこちら。
というわけで私はこの作品がわりと嫌いではありません。でももう一生分観たとも思っていて、今回の三演ニュースを聞いてもあまり気分は上がりませんでした。特にこっちゃんにワタルやチエちゃんと同じことばかりやらせるようなことはやめろ、とずっと思っているので。でもコロナ禍で劇団もいろいろと苦しく再演頼りなところはあるんだろうな、とかも考えましたし、衣装もセットも一新するというのは楽しみだなとちょっと思ってしまい(では経済的に苦しいというのはどこ行ったんだって話ですが)、結局はワクテカと開幕を待ちました。初日が延期されてしまい、確保チケットが風前の灯火でしたが、無事に観られてよかったです。久々の名古屋モーニングも楽しみ、平日夕方のガラガラの地下街で手羽先や味噌カツや海老フライなどの名古屋飯も楽しめました。本当ならそのまま伊勢志摩旅行予定だったのですが、それはさすがに断念して日帰りにしたことだけが残念でした。
配役は役替わりにしてくるかと思っていましたが、意外やかりんたんウバルド(極美慎)一択という結果でしたね。それでチケットが売れるんかいな、とか思っていたのですが、御園座公演は御園座ががさっと持っていくのか、綺麗に完売してチケットがない、ないと嘆かれているようです。まあ売れるのは喜ばしいことですね。初日が延期されて公演期間が短くなり、さらにレアチケットとなったことでしょう。生徒さんたちはもっとじっくりがっつり公演したかったことでしょうが、短くも激しく燃えてほしいものです。千秋楽まで、どうぞご安全に…
というわけで何度も言いますがもう一生分観たと思っていた作品でしたが、そしてお衣装(衣装/加藤真美)とセット(装置/稲生英介)がスタイリッシュモダンに新調された以外は台詞も演出も振付も人の出ハケもほぼほぼ同じでフィナーレなんかホント宙組版まんまでイロイロ脳がバグりましたが、それでもやっぱり「こんなに違うのか!」とおもしろく、もう夢中で見入ってしまいました。
セットはイメージや構造を引き継ぎつつ、白黒金に絞って簡素化した感じで、それこそお洒落現代オペラみたいで素敵でした。そしてお衣装は基本的にエジプト勢は白、エチオピア勢は黒という対比。女囚たちが色とりどりのターバンというか、頭布を巻き付けているのがエチゾチックな感じ。アムネリス(有沙瞳)は白に金の飾りがいろいろ足されていて「光ってやがる」感じでした。
こっちゃんラダメスのお衣装が土浦の暴走族のヘッドかな?みたいだったのは…特に戦場場面でケペル(天華えま)たちがマントも着けているのに対してひとりあのまんまだと、将軍に見えないしさすがに違和感がありました。長髪もカッコいいんだけど、頭身バランス的に厳しい気もしましたしね。衣装が軽くなってバリバリ踊れて殺陣もできるようになった、ってのは対こっちゃんとしては正しいと思うのですが…
一方ひっとんアイーダもずっと着た切り雀なのはヒロインとしてやや残念でしたし、材質なのかデザインなのか、いわゆるS字ラインが作りづらい、身体を捻ってしなやかに細く見せて立つことがしづらいお衣装で、結果的になんとなく常に棒立ちに見えたのも残念でした。そしてヘアスタイルのせいもあってこちらは頭身が高く見えすぎました…王女然としていていいっちゃいいんですけれどね。
しかしスゴツヨがボサノバになろうとちゃんと文明批判、バブル批評になっているのがすごいですよね…やはり作品の強度を感じました。
今や懸案のブラックフェイス問題ですが、エジプト勢は男役含めていつもより白め、そしてエチオピア勢は宙組版よりずっと薄い、いわゆるブラウン・フェイスくらいな感じでしたが、要するに濃いと言えば濃い肌色になっていました。これは宝塚歌劇の場合、どう考えたらいいのでしょうか。
そもそも黄色人種メインの女性のみが、主に生まれと違う国や人種や性別に扮する演劇をしている集団です。普段から、というか無国籍のショーでも、娘役はより女性らしく見せるために本来の肌より白く、男役は精悍さを表すために肌色を浅黒く化粧しています。このジェンダー観はどうなんだ、これは性差別ではないのかあるいはルッキズムの問題なのか、という問いもある。『王家』でも神官たちはエジプト人女性より肌色が白いくらいですが、これは神職の記号表象ということなのか、はたまた男性は去勢すると女性より肌色が明るくなるものなのか、もはやリアルがどこにあるのかよくわからない問題です。またタカラジェンヌは普段から金髪気味にしている人が多いですが、肌色と同様に髪の色を本来のものから変えることに関する問いもあります。
黄色人種が人種の演じ分けのために肌を白くしたり黒くしたりすることと、白人が黒塗りして黒人に扮しジョークを言うようなものとは意味が違う、とは言えるのかもしれませんが、本当にそうなのでしょうか。でも演劇とは他者になることだと思うのですが、そこでする扮装はどこまでならどう許容されるのでしょうか。当事者たちが見て不快だ、差別だと思えばそうなのかもしれませんが、当事者たちの感じ方にも差があるでしょうし、理屈としてはどう考えるのが正しいのでしょうか。申し訳ありませんが私は未だ不勉強で、この問題についてどう考えていいのかわからないままでいます。くわしい方、ご教示いただけると嬉しいです。
さて、それらの問題を除けば、役者の個性の違いで役の在り方がいろいろと違って見えて、物語の骨格がより濃く立ち上がり、今日なお訴えるものがある作品に仕上がっていることに胸打たれるのでした。何十回も観ると大味な話だな、もっと歌減らして芝居を増やしてくれよ、とか感じちゃうかと思うのですが、一回かそこらの観劇なら今までの上演との差異を分析したり堪能したりしているうちに、それこそナイルの流れに押し流され巻き込まれるようにして観ているうちに圧倒されて終わって、大満足!みたいになるのでした。
まぁ様ラダメスはやはり優しく賢くスマートで、貴族の子弟で近衛兵とかが似合いそうな、マッチョな仲間たちからはちょっと浮いていてそこにアイーダとの共感が心の隙間に入っていったような、そんな役作りだったと思います。でも今回はキムシンの脳筋指示もあったようで、こっちゃんの絶対王者感がのびのび発揮された熱いラダメスだったと思います。そしてこれまた何十回でも言いますがホントに声がいい。そりゃ領地も広がろうというものです。まぁ様の包容力に対してこっちゃんの牽引力、みたいな対比が思い浮かびました。
対してアイーダは…私はみりおんがわりと苦手だったんですけれど、こうして見ると歌はもちろん芝居も上手かったんだな、としみじみ思ってしまいました。それくらい私にはひっとんアイーダがちょっともの足りなかったのです。『ロミジュリ』のときはもっと歌えていたと思うんだけど、歌もちょっと弱く感じましたし、演技もなんか訴えてくるものがあまりなく感じられてしまいました。
出で立ちの違いもあり、またそもそもふたりが出会い惹かれ合う場面もないせいもあって、ラダメスとアイーダは全然違う言葉をしゃべり違うものを見ているんだな、という印象が強く残りました。第3場の時点でそもそもふたりはそれぞれ自分の恋心は自覚していてもお互いに告白はし合っていない状態なんですけれど、その段階でラダメスのこの物言いや取ろうとする行動はやはり勇み足に見えますし、アイーダも立場として難しいだろうけどもっとちゃんとラダメスと話をしないし誰にとっても良くない方向にしか話は進まないよ、と思えてしまいます。こんなすれ違いで戦争を起こされたらたまったものではないわけで…もちろん実際にはアモナスロ(輝咲玲央)が懲りずに仕掛けてくるから悪いんだけど、でもじゃあそれを止められないまでももっと違う方向に流すことはできなかったのか?と思っちゃうわけです。それを「月満ち」場面だけでひっくり返す、かなり力業の構造になっているんですよねこの物語は…実はそこが厳しい、という問題はあるにせよ、とにかくひっとんにしては珍しく輪郭のぼやけた、意志や主張がはっきりしないヒロイン像に見えて、親兄弟に対する態度もラダメスへの恋心も、私にはなんか今ひとつ薄ぼんやりとしか響いてこなかったのでした…残念。フィナーレのリゾート姿は可愛かったし、ここの歌詞の改変もよかったとは思ったんですけれどね。
でもこの歌詞、エジプト、アフリカだけにせず「♪どんな国もすごくて素敵」としたのはいいんだけれど、ホント言えば国なんかどうでもいいわけです。少なくとも民を大事にしないならそんな国なんかいらないわけです。だからアイーダは国を捨てたんだし、アムネリスはファラオとなる以上は不戦を誓ったわけです。でも男性作家はやはり男だからか、単純に自分と国家を結び付けすぎな気がします。『バロクロ』でもタカヤがツナヨシに民のため、ではなく国のためと言わせてしまったのはそのせいだと思います。でも女は国を無条件に受け入れることなんかしませんよ、その意識にそろそろ男も目覚めるべきですよ。ここはさらに一歩進んで「♪どんな人もすごくて素敵」と歌わせるべきだったのかもしれません。でもそれだとどんな男でもいい、というセクシャルな歌詞に取られちゃうかなあ…難しいなあ……
さて話を戻しまして、この物語の正二番手にして裏主役はやはりアムネリスさまだよなあ、と改めて痛感したくらっちの素晴らしさよ! たとえ番手ごまかしのためだろうとラインナップで下手先頭を張りこっちゃんとお辞儀し合うのは大正解に思えました。歌えるし芝居ができるのも知っていたつもりですが、この人は声が意外に可愛らしいところがチャーミングなんですよね。歌えなくともあたりを払う美貌でいかにもファラオの娘然としていたゆうりちゃんとも、しっかり歌えて美しくしかしどこか固く生真面目そうだったところがまた王女様らしくてよかったしーちゃんとも違っていました。驕り高ぶった横柄で傲慢な王女ではなく、でも美しく豊かに恵まれて育った愛らしさと賢さ、責任感や幸福を追求する主張が見える、素敵な女性像だったと思います。そしてもちろん歌はめっちゃ上手い。三重唱のなんと豊かで美しかったことよ…! 堪能しました。最後にキラキラを抑えた、父のマントを羽織ったファラオ姿で出てくるところも感動的でした。
かりんさんウバルドは…健闘していたけど、やはりゆりかちゃんくらい個性を出さないと意外と爪痕が残せない役なのかもしれないな、と思いました。カマンテ(ひろ香祐)、サウフェ(碧海さりお)もそこまでキャラの差が出ていたかなー…それはケペルとメレルカ(天飛華音)も同様。それぞれ振りはまったく同じだったので、私にはあっきーの亡霊がそれぞれに見えて目が曇っていたせいはあるかもしれません。ファラオ暗殺のとき、アモナスロが飛ばせた鳩の羽ばたきの音が私にはちょっと機関銃の銃声にも思えて、ウバルドたちの自爆テロ感がより出て不気味に感じられたりもしました。
女官たちではターニ(瑠璃花夏)がにじょはなちゃんとともに歌手担当にピックアップされていて嬉しかったです。タオル首締めはなくなっていましたね。あとは娘役ちゃんがちょいちょいエジプト兵のバイトをしていたのもツボでした。神官たちも特にしどころはなかったかなあ…
父が死んで、兵たちが割れることを恐れてアムネリスは自分が即位することを選びましたが、父が発狂したときにアイーダはすべてを捨ててラダメスのもとに戻りました。もちろん彼女にはもう継ぐべき国がなかったから、滅ぼされてしまったから、というのはある。でもまだ戦場に嘆き悲しむ女たちが残されていたわけで、彼女たち民に対する責任が本当は王女たる彼女にはあるはずなのです。次の女王になって民たちを守り率いなければならないはずなのに、アイーダはそれを放棄している。でもそもそも男たちが始めた戦争の後始末を背負わされるのが何故いつも女なんだ、という問題はあるわけで、だから愛に生きるこのヒロインの行動はここでは正当化される。しょーもない国なら国ごと要らん、とと言えてしまう。一方でアムネリスはそのまま国を背負わざるをえない。不戦を誓うけれど、自分でも実現は難しいだろうとも思っている。そんな困難な道を、唇を噛みしめ堪え忍びながら進まざるをえない。理不尽だけれど、誰かがやらないといけないことだから。ちゃんとできるなら国はあった方がいいと思えるから。希望を絶やすわけにはいかないから、でないとやがて人類そのものが滅んでしまうから。誰かが泣かなきゃいけないならそんな人類などまるごと滅べ、という考え方もあるけれど、この物語はそれを選ばないので。たとえ今は夢のように思えても、せめて次に泣く人を出さないように…なんでしたっけ、『武蔵野の露と消ゆとも』のキーワード…あれも星組公演でしたね。
やはり国とか平和とかを考えているのはアイーダやアムネリスで、ラダメスはなんかもうちょっと卑近なことしか考えていない単純バカなところがあるヒーローになっちゃっている気もしますが(イヤ一応最期はアムネリスに対していいこと言って去っていくわけですが)、そういう物語だしそもそも世の中そういうものなのかもしれないし、未だ世界平和は達成されていないわけで、全然古びていない物語ではあるのでした。その良さがシンプルに立ち上がっていた再演、新上演だったと思います。
よく考えれば、ラダメスとアイーダがプロローグに乗って現れていた謎のゴンドラがなくなってシンプルになったのも、よかったと思います。それでいうとファラオのゴンドラもなかったわけですが(笑)。くらっちアムネリスの圧巻の「世界に求む」と壮大なコーラスでシメ、というのは本当に感動的に美しかったです。
イヤしかしフィナーレがホントまんまで全部覚えていて、かりんさんの立ち位置がほぼほぼあっきーポジションでもうホント大変でした全私が。マリンリゾート押しのコンセプトもめっちゃおもしろかったし。まぁみりのデュエダンは本当にまろやかでよかったなあ…とかもしみじみ思い出しました。
でもパレードは、せめてトップコンビは、それこそまぁみりの衣装でいいから綺麗なの着て大羽根背負ってほしかったかなあ。名古屋のお客様だって羽根は見たいと思いますよ羽根は…地味で残念でした。エトワールは都優奈ちゃん、歌上手さんですよね! 素晴らしかったです。
珍しく配信を知人と一緒に見る予定なので、ちょっと楽しみにしています!