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穴禅定を体験した

(灌頂の滝)

毎日の行動が取材になり、書きたいと思うことがどんどん溜まっていく。今日も、色々あったが、夜9時過ぎまで、洗濯の乾燥を忘れて、話し込んでいた。それでこれから書き込むわけだが、明日に備えて寝なければならないし、思ったことの何割が書けるだろうか。一方記憶は新しいものが加わると、どんどん薄れてしまう。

しばらく一日遅れで書いていたが、今日からは今日のことを書こうと思う。昨日の話はまたいつか書くこともあるだろう。

今朝、計画を大きく変更して、朝から道草せずに番外の慈眼寺を目指し、穴禅定を済ませ、灌頂の滝を見に行くことにした。宿泊は「ふれあいの里さかもと」である。元小学校の校舎を宿泊施設に改造して、集落で営業している。番外の慈眼寺に来るお遍路さんがターゲットの一つである。明日の天気が良くなさそうとの予報で、それなら今日回ってしまおうと思った。

朝10時半過ぎに「ふれあいの里さかもと」に着いた。かなりの急坂を登って、旧校庭から入る。校舎は比較的新しいものだけれども、外見は全く小学校の校舎である。部屋は2階の保健室「きんかん」の間である。中は完全に和室の部屋に改造されて、8畳と広い。保健室ならゆっくり休めそうだと、フロントの女性に冗談を言う。

不要な荷を出し、ザックをほとんど空にして背負う。軽くて背負った感覚がないほどであった。杖を忘れて出てしまったが、無理に取りに帰らなかった。慈眼寺までの行きの地図はもともとお遍路道だったところで、高さを稼がねばならないところは目一杯急阪だが、ある程度上ると標高線に沿うような平坦な山道になった。標識も目一杯付けられていて、迷うことなく慈眼寺まで行けた。


(穴禅定行場)

勤行を終え、納経所で穴禅定の申し込みをすると、今、10人のグループがそこで昼食を取っていて、さらに20人のツアー客のバスが坂を登ってくる。エンジン音が先ほどから聞こえていると話す。だからどちらかのグループに入って貰うことになる。午前中なら一人でも出来たらしい。一人だと20分か30分で出てこれるが、団体だと2時間掛かるのか3時間掛かるのか予測できない。料金は一人だと3000円、二人だと一人1500円、3人以上は一律1000円となる。グループに女性の先達が一人ずつ付く。

さて自分は10人のグループに入りしんがりを進んだ。現代で言えばケイビング(洞窟探検)である。鍾乳穴を潜って200メートルほど奥まで入るのであるが、途中ギリギリで人が抜けられる程度の部分が4箇所ほどあり、あらかじめ見本の隙間を通れない太い人は外されている。各々がろうそくを一本ずつ持って、腕、足、頭、腹などを先達さんの指示通りに動かせば、抜けられるように出来ている。10人グループは愛媛県西条市の同級会のグループで、年齢が72歳と高い。太目の男性が随分時間が掛かってしまい、途中で出たいと言いだしたほどであったが、先達さんが次々に指示をして、何とかその穴を抜けさせてしまった。

第1の部屋には、鍾乳石の中現われた諸仏の説明がされた。第2の部屋では、弘法大師が太龍を封じ込めて、爪や牙などが鍾乳石になっていると説明があった。第3の最奥の部屋には青年の弘法大師が祀られ、上から滴る水を命の水として、修行をされたと説明した。

帰りは一度経験済みだから、先達から出る指示を後ろへ伝えながら比較的早くに抜けられた。午後3時10分に、一時間半ほど掛かって出てきた。後の20人のツアー客も続いて入っていて、やや広めのところですれ違いになった。

先達の女性に聞くと、1グループ30人くらいなら出来る。1日に5、6回は行うことがある。冬場は凍って危険になるのでやらない、などの情報を得た。

出てきたら、肱から血を流している人も居て、先達さんに消毒をしてもらっていた。「ふれあいの里さかもと」に帰って洗濯した後、自分のズボンにかぎ裂きが出来ていることに気付いた。けっこう過酷だったようである。

「ふれあいの里さかもと」で夕食後、今日が当番という、地元の男性と話をした。母親が86歳まで穴禅定の先達をしていて、今は介護施設だが、ろうそくを持たなくても通ることが出来るほど洞窟に精通していた。今はツアー客など観光色が強くなってしまったが、昔は信仰の一部で、数ある大師像の中で穴禅定の青年大師が最も尊いといわれるほどであった。先達のその男性の母親に洞窟内で天井から滴る聖水をつけた数珠で祈りとともに撫ぜてもらい、様々な病気が平癒したと、全国からその男性の母親を慕う人たちがたくさんいて、引退した今でも、わざわざ入所している介護施設にまでやってくると話す。
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