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「六根清浄」の声が山中に響く(昨日)

(50人の団体でにぎわう長戸庵)

昨夜のことから書こう。ブログを見たら、3年前のお遍路で知り合った松山の「豆名人」さんからコメントがあった。「4/8日曜日は安芸市・山登家旅館に泊まります。できれば電話してほしいですが・・・」との内容であった。奇しくも、「豆名人」さんもお遍路中であった。さっそく山登家旅館の電話番号を確かめて、電話しようとして、はたと気付いた。「豆名人」さんの苗字が思い浮かばない。自分で付けたあだ名だけで認識していて、本名は名簿を見ないと思い出せない。名簿は持ってきていない。

宿へ電話して、松山の方が泊まっていないかと聞く。言葉が終わらないうちに、今、皆んなであなたがどこにいるか探していたところだという。「豆名人」さんと電話が繋がり話した。お遍路に出ることはブログで知っていたが、どこにいるかわからないまま、友達に頼んで、豆名人の名前で、ブログにコメントを書き込んで貰ったという話であった。まだかなり先の話だが、松山に来たら電話をくれるようにと話して電話を終えた。

昨日は朝8時ころから焼山寺に向けて登りだした。登りは前回よりもつらく感じた。焼山寺宿坊に予約をしておいて正解だったと思う。結局到着が3時近くなり前回よりも30分ほど余分にかかった。端山休憩所で男性が一人居て、話すと広島から来る団体50名が来るので待っているという。中に知り合いがいるので、会う約束をしている。50人の団体に追いつかれたら大変だと思ったが、結局、追いつかれ、抜きつ抜かれつの流れとなった。後ろから若い先達が発する「六根清浄」の声が山中に響く。後ろまで迫ってくると、抵抗しないで抜かせるしかない。しかし、長戸庵、柳水庵、浄蓮庵などの休憩所ではゆっくり休むので、追い付き追い越すことが出来る。そして、彼らより何とか少しばかり早く着いた。

焼山寺の宿坊は予約通りに入れた。誰かが良く予約が取れたねぇ。あんたは運が良いと話していた言葉が気になっていたけれども、問題なかった。焼山寺は前に丸一日を要する山を控えているので、現在地を聞いて無理と判断し断るケースが多いのだろう。


(焼山寺奥の院)

荷を置いてお参りしてから、計画通り奥の院に出かけた。宿坊では登るに一時間ほど掛かると言い、売店では往復で一時間だと聞いたが、往復で一時間少々掛かった。途中からやせ尾根に出て、慎重に登った。そこに至るまでの参道脇には、幹周囲が4メートルを越しそうな巨杉が10数本次々に現われ、見ものであった。それだけでも登った価値がある。本日は一日晴天に恵まれた。

宿坊は男三人の相部屋で、食事を部屋まで運んでくれて、ゆっくり話しながら夕食をした。自分より三つ年上の方は亡くなった叔父さんの遺言で代参で来たという。だから、「代参」さんと名付ける。もう一人の若い無精ひげの男性は、妹を昨年亡くし、周りの人には内緒で出かけてきた。閏年は逆打ちが良いと聞いて、最初のお遍路ながら逆打ちと決めてやってきた。もう少しで結願である。今朝、出かける前に焼山寺境内でスケッチをしていた。まだ未熟でというものの、何々、上手なものだと思った。だから「画伯」の名を送る。

二人とも山歩きの経験が豊富で、「画伯」は百名山も登頂を果たしているという。話の中で、「代参」さんが「四国遍路ひとり歩き同行二人」の本を一番で買って来なかったという。道路地図のコピーを持っているが、それではお遍路には役立たない。ぜひ購入するようにと二人で勧めた。「代参」さんと話している間に、「画伯」が本をめくって一生懸命に調べている。そして徳島市内の遍路道にある瀬戸内仏具店にその本が置いてあることを見つけ出した。結局、明後日、「代参」さんはそこで本を求めることにした。一安心である。

その瀬戸内仏具店は、今夜の宿坊の建治寺の奥さんの話では瀬戸内寂聴さんの実家だと聞いた。それも含めて、今日の話は明日にする。今夜はそういうわけで、建治寺宿坊に泊まっている。宿泊は自分ひとりである。
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