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最果ての月山神社に詣でた

(叶崎、白いのが灯台)

民宿叶崎の女将さんは戻っていた娘夫婦と朝5時に出発して行った。親父さんが一人留守番になった。5時過ぎに朝食をとりながらお話をする。女将さんは娘の家に二晩も泊まってお寺めぐりなどをするのだろうという。時々出かけるらしい。その度に御主人は留守番ですかと聞くと、いまさらどこへも行きたいとは思わない。昔は漁業組合の営業のような仕事をしていて、世界のたくさんの港に行ってきた。おそらく魚の買い付けのようなことをしていたのだろう。バブル全盛の頃は釣り客が多くて、叶崎丸を新造したのだが、それを最後にバブルがはじけて、釣り客のほとんど来なくなってしまった。


(通勤途中に猫にえさをやるのが楽しみ)

6時には宿を出た。雨は止んでいたが、叶崎の灯台までは行かず、手前の休憩所まで来て良いにした。休憩所で男性が猫にえさをやっていた。毎日ですかと聞けば、出勤の途中に寄って夕食の残り物などをくれるのが楽しみになっているという。一匹の母猫に子猫が3匹いる。集落から離れた、叶崎灯台手前を住まいに選んだ母猫の気持は、最果てのこの地までお遍路にやってきた自分には解るような気がする。

四国遍路で最果てという言葉の似合うのは月山神社のある辺りである。足摺岬は開けてしまって、最果てのイメージに合わない。月山神社への道は、今まで歩いた遍路道とは全く違う道だろうと、思い込んでいた節がある。しかし、今まで歩いた遍路道とそんなに変るわけが無かった。山道があり、旧林道のような道あり、舗装道路ありで、どこでも見る遍路道である。月山神社も海を背景に潅木の中に吹きさらしの状態で建っているとなぜかイメージしていた。けれども、山の中の奥まったところにあるあたり、よく見るような場所であった。ただ、月山神社に詣でた後、しばらく歩いた遍路道は潅木のトンネルを行き、いますべての植物が新芽をふいて新緑いっぱいであった。その後、一息に下り赤泊海岸に降りたのには驚かされた。後で地図を見るとそんな風には描かれている。

長い長い遍路道で、お遍路にも他の誰にも会わなかった。一人ぼっちで時々雨脚が増す中をひたすら歩いてきた。赤泊の集落に来てようやく村人に会い、折から雨脚が激しくなったので、そばの小屋で村人に断って雨宿りした。雨は長続きしないことが解かっていたので、雨脚がはげしくなるたびに、何度か雨宿りをした。店先であったり、遍路小屋であったり。出発が早かったので時間の余裕があるからそれが出来た。今夜の宿泊のホテルマツヤまであと2km足らずの、道の駅すくもの遍路小屋でおじさんに質問されるのをいいことに、歩き遍路に付いて講釈をたれてしまった。そういえば今日は人と話すことがほとんど無かった。

今、思い出した。国道に出る少し手前のみかん畑にいるおじさんと10メートルほど離れた状態でお話した。その畑のみかんはボンタンで、今は収穫は終わり、いっぱい花をつけている。静岡には三ケ日にみかん農家へ研修で住み込んで、しばらくいたことがある、などと話した。また、そのあとすぐに、在所の兄から電話があり、お袋の百ヶ日で、兄夫婦だけで納骨を済ませてきたという報告があった。電話を切る前に、気をつけてお遍路をするようにいう。特に動物などには。最後の言葉が気になったけれども、間もなく忘れた。

悪天候の割には大濡れしないで一日歩けて、ラッキーだったと思うべきなのだろう。
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