平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
夏山の雲の思い出
貸切状態の剣岳山頂、岩にもたれて上空を眺めている。身体は疲れているが、達成感による快さが身体の芯から湧き上がってくる。気持を表すように、梅雨が明けて初めての青空に雲が湧いている。暖かい空気が剣岳に向かって上昇して、剣岳上空で雲が湧く。あたかもさざ波が寄せる静かな海を見ているようだ。雲のさざ波は剣岳の上空を越えると、青空に溶け込むように消えて行った。あの当時、2998メートルだった剣岳の標高は、近年、三等三角点が設置され、人工衛星を使った再調査で、2999メートルとなった。剣岳を愛する人たちにとっては、あと1メートルで3000メートルの山に仲間入り出来たのに、大変残念なことであった。
ブロッケン現象を初めて見たのも、ある年の7月半ばの山行だった。八方尾根から登って、後立山連峰を縦走した時のことである。唐松岳の朝、雲に覆われた尾根上で、東の雲がわずかに割れたその瞬間、朝日が差し込んで西の雲に長く伸びる黒い像と、像の頭部を中心に光輝く輪を見た。西の谷からすぐ目の前に湧き上がる雲に、自分の影が映っているのであるが、昔の人はびっくりしたのだろう。本を読むと、西欧では「ブロッケンの悪魔」と呼んで恐れ、日本では光背を背負った観音様が現れたと手を合わせた。東西の自然に対する見方の違いを知る。その時の縦走はお天気が悪く、鹿島槍の双峰でもブロッケン現象を見た。その後も7月半ばの山行で何度か遭遇し、自分にとってブロッケン現象は特別なことではなかった。
南アルプス千枚岳、前夜、千枚小屋に泊り、暗いうちに出発して、御来光を見ようとしたが、途中で夜が明けてしまった。(この千枚小屋はその後火災で焼失し、再建された小屋が最近また全焼したという。)千枚岳山頂ではすっかり明るくなっていた。東の空にさえぎるものが無く、富士山がしっかりと見える。富士山に掛かって出来た笠雲が、富士山から少し離れた空にぽっかり浮かんでいた。何時間か前に、笠雲が富士山から外れて、そのまま移動したのだろう。不思議な思いで見ていた。
八ヶ岳の赤岳頂上小屋の朝、小屋を一歩出て、硫黄岳方面を見ると、尾根の西側は雲海に覆われ東側が晴れ渡っていた。八ヶ岳の尾根がくっきりと雲を分けていた。硫黄岳か、その向こうだったか、雲海の雲が八ヶ岳の低い部分から溢れるように流れ出し、滝のようになって急斜面を下り、やがて消えていく様をみた。雲の滝だと思った。後にも先にもそんな雲の動きを見たのはその時だけだった。
山へ登って感じるのは、雲をうんと身近に感じることである。雲は友達で、雲が無ければ登山は退屈なものになってしまうと思う。
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