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‟直虎”文学散歩(2) - 掛川文学鑑賞講座

(天白磐座遺跡)

午後、駿河古文書会に出席する。

‟直虎”文学散歩の話を続ける。

直親の墓の見学の後、気賀関所に寄った。関所自体、江戸時代に設けられたものであり、ここで直虎の関連する何を見ればよいのか不明だったが、時間がたくさん取ってあったから、隣の図書館に見るべき展示が何かあったのかもしれない。しかし、あいにく図書館は図書整理か何かで休館であった。気賀関所は何度か来たことがあるが、70歳以上は無料であった。年を取ることの利点をここにも見た。


(渭伊神社の天生杉)

続いて、渭伊神社に向かう。引佐町井伊谷字天白に位置する。往昔より渭伊二十七郷の大産神であった。井伊家の産神としても尊崇されていた。昔は龍潭寺境内にあったというが、南北の兵乱の時、この地に移された。本殿前には御神木「天生杉」が、枯れて倒れた古杉をつっかい棒のようにして立っていた。樹齢は300年位であろうか。

渭伊神社の背後の小山には、天白磐座(いわくら)遺跡があった。こんな巨大な岩々がこの地にどうして存在するのか。古代の人々が神の依代とした気持が、現代でもなお感じられる磐座であった。発掘調査では古墳時代から平安時代まで、連綿と続いた祭祀場であったことが、遺物によって解明されたという。渭伊神社がこの地に遷されたのも納得される。

天白磐座遺跡のあと、井伊谷城跡に向かう。バスを図書館のそばに止め、15分ほどの山登りである。久し振りの山登りに、かなりきつい。途中設けられた2ヶ所の休憩処で休み、息を整えながら行く。2度目の休憩で、この講座の講師の和久田氏と少し話した。お遍路で1500キロ歩いて、その時は毎日この位の山を幾つも越えて来たのだが、久し振りの山登りでけっこうつらいと話す。和久田氏には前に自分のお遍路の本を差し上げてあるのだが、そこへ話題が及ばなかった。忙しくて目を通している暇が無かったのだろうと、少しがっかりした。


(井伊谷城跡)

皆んなあちこちで昼食をとる。自分も和久田氏と同じベンチで持参おにぎりを食べた。井伊谷城跡は前に来た時と何も変わらず、何も無かった。ただ、展望デッキが出来、案内板が新しくなっていた。

参加者の一人が和久田氏に質問をしていた。日常は下の居館に住んでいて、戦時は三岳城を本城としていたとすれば、この井伊谷城はどんな時に使われたのだろうか。少しニュアンスは違うが、そんな質問だったのだろう。なかなか答えにくい問題で、明確な答えは無かった。おそらく、日常、井伊谷城と下の居館は併用されていたのであろう。例えば、プライベートは居館で、公式の時は井伊谷城でというように。まあ、来年の大河ドラマでどう描かれるのか、注目してみよう。(つづく)

読書:「夜行」森見登美彦著
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