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上越秋山紀行 下 6 四日目 和山 4

(大きな干柿を作る)

今までは、頂いた渋柿だったが、ここで初めて買ってきた渋柿で干柿を作った。大きな柿で、これだけで1800円した。こんな柿で作られた干柿が、伝説の1個800円の干柿になるのかもしれない。この柿が22個で、今までの合計は330個になった。

「上越秋山紀行 下」の解読を続ける。

また問う、この村端、中津川の辺りに温泉ありと尋ぬるに、この処を四、五十丁も隔て、川端の大樹、原の中にあり。土を掘りて四方に木を畳んだばかり、小屋もなく、湯は澄んで暑いと云うも、湯本まで遠からんと。

この温泉、見ぬ事本意なく、また中年の婦に問う。御老人の、まだ兄は帰らぬと云う、その内室が何れの村より娵(よめ)に参られた。さて広き里にもおまい(お前)の様な顔容優しいはないに、深山育ちの習わせの栖とは云いなから、錦や繡(あや)に纏(まと)い、珠の笄(かんざし)でもさし、軽粉でも化粧したら、王侯の召遣いの上臈御息所にしても恥かしからずと誉めそやしければ、これなる娘は子舅(小姑、こじゅうと)で、私はこの村の一番家持ちから娵に来たりましたと、纔か五軒の二番ではないと云わぬばかりぞ、可笑し。
※ 顔容(がんよう)- 顔かたち。容姿。容貌。
※ 軽粉(けいふん)- おしろい。
※ 上臈(じょうろう)- 上流の婦人。貴婦人。
※ 御息所(みやすどころ)- 天皇の寝所に侍する宮女。


さりながら言葉早く分りて、里めきければ、後に秋山の出湯の湯守に問うに、果して先年、疱瘡のなき里へ出で、福祐の家に両三年、聊(いささ)かの縁を求めて奉公せしは、この女ばかりとなん。その時始めて符合せりと思いぬ。
※ 福祐(ふくゆう)- 富み栄えていること。裕福。

さても老人はそんた衆、静にして行(ゆかず)と云いて、山挊(はたらき)に往きぬ。跡にて四方を詠(なが)めるに、纔かの戸も、皆な大木の一枚皮を、縄を以って蝶違(番)い、剰(あまつさ)え戸鎖もなく、敷ものは土間のうえに破れ筵(むしろ)、百年も旧(ふ)りたるやうなを敷き、桶、木鉢類は見えても、瀬戸類は見えず。膳棚は縄にて釣り下げ、また門口の雪隠を見れば、切筵一枚下りてあるにぞ。
※ 瀬戸(せと)- 瀬戸物。陶磁器の通称。主に畿内以東の地域で用いられる。

  雪隠の 戸は大かたに や(破)れ筵
    くさき
(臭き、草木)の多き さてもかと口

桶屋、去る亥の秋の末、この家に一宿せしに、夜のもの一つとなく、是着替へさへ無ければ、商人と云えども借すもの無き故、終夜、大火の炉辺に背中焙(ほう)じて明かし、族は老人はじめ、里に十倍したる寒さも厭わず、着たる衣類を脱ぎ、隅違えに腹へ懸け、炉に寄り。或は帯解いたる儘で、何所にても寝莞筵(ねござ)様のものもなく、常の筵のうえに、木玉枕して臥せるとの事。稚(おさな)きより、鳥獣の如く養い育てられ、能く土地に馴たる故ならん。
※ 隅違え(すみちがえ)- 方形の隅から隅へわたした線。対角線。

二十年以前までは、この処が秋山の果てにて、これより奥は千万の幽谷に老樹茂りて、人跡を断ちしも、近き頃、川向えに秋山の温泉出来しこの方、漸々独歩の川路開いてありと聞く。やや草臥(くたび)れも直りければ、暇(いとま)申さんとて、短冊五、六枚に画賛添えて出しぬ。
※ 画賛(がさん)- 絵画に添えて書かれる詩・句・文。
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