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峡中紀行下 13 九月十六日、棲雲寺(続き)

(裏の畑のアマリリス)

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

方丈に入りて苦茗を啜り、僧を喚(よ)びて語す。曰く、機山七世の祖、明庵使君、この寺を造る。山、原(もと)木賊(とくさ)山と名づく。入ること更に深くして、使君疴(病)を養の処有り。寺、壬午の災に罹って、その興復(復興)を為す所の者、大有力の戮助すること有ること莫(な)し。而して、陋撲、見る所の如し。封租四十八貫なるも、今にして、厪々として四石二斗と云う。
※ 苦茗(くめい)- にがい茶。品質の悪い茶。
※ 壬午(じんご)の災 - 天正10年(1582)武田勝頼が自害した天目山の戦いを指す。
※ 戮助(りくじょ)- 力を合わせて助けること。
※ 陋撲(朴)(ろうぼく)- 狭くて飾りけがないこと。
※ 封租(ふうそ)- 古代の貴族に対する封禄制度の1つ。
※ 厪々(きんきん)- 僅かなこと。


所謂(いわゆる)十境なるものを訊(と)えば、業海及び使君の歌詩一版を出して相示し、その字画の漫漶を愬(うった)う。予慨然として、貲を捐して重ねてこれを新たにせんと誓う。僧、合掌して曰う。多少の福田と。予曰う、これ福田の為ならず、また名高の為ならずと。僧、惘然たり。
※ 十境(じゅうきょう)- 美観十景。(八景と同様の趣向)
※ 漫漶(まんかん)-(字や絵が)年を経てかすれたさま。
※ 慨然(がいぜん)- 憤り嘆くさま。嘆き憂えるさま。
※ 貲(たから)を捐(えん)す - 身代(しんだい)を捨てる。
※ 多少の福田 - 「多少」は多いこと。「少」は助字。「福田」は、福徳を生じる物事を田にたとえていう。合せて、「大変有難い」位の意味。
※ 惘然(ぼうぜん)- 「呆然(ぼうぜん)」と同じ。


その十境なるものは、雷斲峡、山神廟、飛猿嶺、梵音洞、金剛窟、忿怒巌、天目井。龍門、對岳、傳燈を合せて十とす。その処を索(さぐ)るに、僧、寺西の長嶺、屏障の如くなるを指す。然して、百千の王孫、相負い、攜(たずさえ)し、累々として樹枝の間に垂れて熙(ひか)るを見るなり。
※ 屏障(へいしょう)- 障壁。
※ 王孫(おうそん)- 猿のこと。


その它(他)の六者を間えば、則ち云う。路甚だ遠く、旦つ荊棘(いばら)衣を鈎(かぎ)かけて行くべからず。予及び省吾と、これを強いれば、迺ち云う。観る可きこと無し。色頗る憚然たり。向行の童、喃々として休まず。将に寺戸を喚び来て、路を芟(から)しむる者の状の若(ごと)し。その農収を妨(さまた)げんことを慮(おもんばか)り、意、廃して止む。
※ 憚然(だんぜん)- 恐れはばかるさま。
※ 向行(こうぎょう)- 先に行く。
※ 喃々(なんなん)- 口数多くしゃべり続けるさま。
※ 寺戸(てらど)- 寺下百姓。
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