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峡中紀行下 9 九月十六日、後主天目山に向かう

(庭のサフランモドキ)

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

十六日、雨を衝いて東行す。路側の葡萄架、采摘殆んど尽し、蕭然として、復た来たる路に非ずに似たるなり。柏尾山に上る。石磴(石段)、都下の愛宕の高さの如し。寺僧誇りて説く、福原、鎌府、室町、世々覇主の文券(古文書)存す。また巨勢の金岡が画不動、幅の広さ丈二、希代の物なりと。急ぎ行きのため故に、請いて観(み)ず。
※ 采摘(さいてき)- 摘み取り。
※ 蕭然(しょうぜん)- もの寂しいさま。
※ 柏尾山 - 勝沼にある柏尾山大善寺のこと。
※ 巨勢の金岡(こせのかなおか)- 平安初期の宮廷画家。巨勢派の始祖。唐絵(からえ)を描く一方、和様の風景画・風俗画を制作。その画風は「新様」とよばれ、大和絵成立にかかわった最初の画家とされるが、作品は現存しない。
※ 希代(きだい)- 世にもまれなこと。 めったに見られないこと。


村口大橋有り。横吹川なり。陰雨、渓流と勢を助けて、喧豗然たり。物候驟々殊なる。它(他)道を取りて還るかと疑うなり。鶴瀬に至れば、関吏(関所の役人)迎い謁す。店(茶店)のこれ宿すべくを擇(えら)び、一(若党)を留めて、装(荷物)を看せれば、還りて関を出で、橋前より左し、山行一里許りにして、諏訪祠或り。
※ 陰雨(いんう)- しとしとと降りつづく陰気な雨。
※ 喧豗(けんか)- 騒々しい。にぎやかである。
※ 物候(ぶっこう)- 生物の周期性現象と気候との関係。「物候学」で、生物気象学。
※ 驟々(しゅうしゅう)- しばしば。
※ 物候の驟々殊なる - 万物時候のしばしば殊なる。

始めは則ち都道(本街道)と、但し一川を隔つ。行人(道行く人)の語り、駅の歌、往々に相聞え、衣の白、なお弁識すべし。漸く行けば、隔つ所の川も、また山に隔てん。その水声、漸く聞えず、寥寂甚し。
※ 豎(じゅ)-子供。童(わらべ)。「駅豎」で「宿の童僕」の意。
※ 白(そうはく)- 黒白。
※ 弁識(べんしき)- わきまえ知ること。識別。(薄暗さを表現か)
※ 寥寂(りょうせき)- 寂寥。ひっそりとしてもの寂しいさま。


土人指し語りて云う、後主(武田勝頼)の新府を棄て、東に遁るゝや、鶴縣順に違い、迺ち已むことを得ずして、将に天目山を固めんとす。時なお、この路有ること莫(な)し。を冒し、を排して、前山に縁いて、以って進む。郷豪土兵、処々に屯結して逆(敵方)を助け、盗賊、蠭(蜂)の如く生じ、声勢相扇ぐ。将校、扈従の士、日々竃(かまど)を減じ、夫人侍姫(侍女)、荊棘の中に徒跣し、路草これが為に色変わる。父老、その事を目撃するもの、言を伝えて今に至る。なお為に潸然すと。予と省吾、覚えず歔欷これを久しうす。
※ 翳(さしば)-鳥の羽などで扇形につくり、長い柄をつけたもの。貴人の行列などでさしかけ威儀を正した。
※ 薈(かい)- くさむら。
※ 郷豪土兵 - 郷の強者、在所の兵。
※ 屯結(とんけつ)- 集りたむろすること。
※ 扈従(こじゅう)- 貴人に付き従うこと。
※ 徒跣(かちはだし)- はだしで歩くこと。
※ 潸然(さんぜん)- 涙を流すさま。
※ 歔欷(きょき)- すすり泣くこと。
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