平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
峡中紀行下 3 九月十五日、恵林寺にて機山(信玄)の像に謁す
荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。
機山(信玄)、その先人(神主の先祖)に賜るの書、及びその時の有司(役人)の官券、二道(通)を観る。辞は頗る懇(ねんごろ)なり。省吾を視れば、剣首を撰(そなえ)て倦態有り、迺ち起つ。送りて出づ。
※ 官券(かんけん)- 役人の墨付。
※ 剣首(けんしゅ)- 刀の柄(つか)。
※ 倦態(けんたい)- あきるさま。早くそこを立ちたがっているさま。
華表(鳥居)の北、一石を指す。大きさ五、六尺可(ばか)り、而して謂う、これ郡の鎮め石なり。歳時、祠中に事有れば、輙ち神輿を徙(うつ)して、幣牲を奠する処と。就いて見る傍ら、皺紋を作す。綿絮状の如し。厚さ纔か数寸、その地に入ること、深さ幾百千尺、識ること能わざるなり。
※ 歳時(さいじ)- 一年中のおりおり。
※ 幣牲(へいせい)を奠(てん)する - 供え物やいけにえをお祭りする。
※ 皺紋(しわもん)- しわ模様。
※ 綿絮(めんじょ)- わた。
村を出て、候吏、左方の嶺上に兜山在りと報ず。予が轎処を去ること、里(一里)許り、雲霧封じてその真形を覩(み)ることを得ず。蓋し兜鍪(かぶと)と云うか。更に一、二の小村を過ぐ。又屈曲して田逕を行き、萬力を経、篴水(笛吹川)を渡る。一に子酉川と名づく。府城より北流して東し、而して南西す。十二位(方位)を循行して釜無(川)と合す。但し、戌亥を缼(か)いて周(あまね)からざるが為に故に名づく。その国語、また操音の意有るために、故にまた名づくるか。行哉川、乎川等の邑に、七日市、三日市有り。則ち嶺南玄市の類のみ。
※ 田逕(たみち)- 田の畦道。
※ 循行(じゅんこう)- 巡り行くこと。
※ 操音(そうおん)- 川の水音を操音(音を操る)とみなし、「篴(笛)」及び「子酉」の命名由来を、その音に帰している。「子酉」は小鳥の囀りを示す。
※ 嶺南玄市 - 唐土にあった、一日はさみ立った市。
恵林寺に至り、山門上を顒視す。鐘有り。僧快川入定、大火聚の処なり。機山の像に謁す。相伝う、その時、工弘清なる者、洛より来たる召して、対してこれを為らしむ。既に成りて、酷だ曼荼羅中の不動明王なる者の貌に肖(に)たりなり。遂に命じて、その髻(もとどり)を螺し、その趺を跏す。左手索を操(あやつ)り、右手剣を握る。頭髪を焼きて采色を調えてこれを色どる。今に於いて諦(あきらか)に視る。但し、肉法及び胸膺膊上長毫有り、明王に非ずとするのみ。
※ 顒視(ぎょうし)- 仰ぎ見る。
※ 僧快川(そうかいせん)- 快川紹喜。戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗の僧。信長の甲州征伐時に、焼打ちに合い、「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」の辞世を残して焼死した。
※ 螺(ら)- 渦巻き形に巻く。「螺髪」(仏像の丸まった髪の毛の名称)のこと。
※ 趺を跏す - 結跏趺坐のこと。
※ 索(さく)- 仏像が手にし ているなわ。
※ 采色(さいしょく)- 風采と顔色。
※ 胸膺膊上(きょうようはくじょう)- 胸、肩、腕に。
※ 長毫(ちょうごう)- 長く細い毛。
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