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峡中紀行下 11 九月十六日、橡の実、数顆を乞う

(散歩道のカシワバアジサイ )

午前中、原に登って、Oさん、ATさん、AHさんへ「再び」を届ける。いずれも懐かしく、しばらくお話して帰った。(「再び」とは「四国お遍路まんだら再び」の本。読んでみたい方は、御一報下されば進呈します。)

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

(影)已に斜(かたむ)けば、則ち相訣(わか)れて山を下る。行くこと数百歩にして、路の右に分る有り。村に入る小径なる者に似たり。予、以って意と為さず。意に沿いて更に下ること、百歩可(ばか)りにして、行々且(しばらく)天目に走る道を覓(もと)める。樵子の立ちながら語るに逢う。
※ 天目(てんもく)- 天目山栖雲寺。勝頼一族は天目山にこもる道中で自刃。
※ 樵子(しょうし)- きこり。


迺ち、なるは是なることを識るなり。反(そ)れてここに道す。初めは石田径を夾(はさ)むこと、往々にして在るを見る。樵子の、吾を誰かと疑うなり。愈々行けば、愈々邃(ふか)し。またその真諦の語やと疑えども、更に隻影無くば、誰に従うてこれを質(ただ)さん。
※ 嚮(きょう)- ある方向に向かう。向う方向。
※ 真諦(しんたい)- 事物や思想の根本にあるもの。本質をとらえた極致。
※ 隻影(せきえい)- ただ一つの物の影。片影。


大氐八九里の間、左、山に傍(そ)う。迺ち右は山稍(やや)(ひら)けて、これを阻(さえぎ)るに水を以ってす。水左すれば則ち、左擔(肩)の影、鑒(うつ)らむべし。左右遠近のに代わるも、耳を洗う声(音)皆水にして、目を娯(たの)しむるものは、山に非ざること無し。而して後に、その人間の地にあらざることを知るなり。
※ 大氐(たいてい)- 大抵。おおよそ。
※ 迭(てつ)- 入れ替わり。


山間稍(やや)(たい)らかなるものを、屋形平(ひら)と曰う。即ち典厩使君なる者、昔これに居す。皆坦らな処に踞(しゃが)め、憩息す。雨益(ますます)(や)む。頃之(しばらく)して、仰ぎて看れば、雲裂けて処々に青天有り。熱蒸(むせあつく)(たちまち)甚し。皆、袒膞して行く。
※ 袒膞(たんせん)- 肩抜くこと。はだぬぎになること。

枕阪に至る。相伝う古時、龍伯氏の子有り。蓬山(蓬莱山)を踏みて疲れ、芙蓉を茵(しとね)にして臥す。これその枕なり。右に龍門の瀑を瞻(み)る。響き猛きこと甚し。但し、匹練の色、天に懸けずして、諸(これ)を地に布(し)くもの。豈(あに)陵谷(丘や谷)の数、福地も免(まぬが)れざるか。
※ 龍伯(りゅうはく)-「列子」に見える伝説上の大人国の名。その巨人。
※ 匹練(ひつれん)- 一匹の練絹。「匹」は布の長さの単位。一匹は約9.6メートル。「練絹」は精錬した絹。「精錬」は生糸から繊維から夾雑物を除くこと。(滝や湖の表面が練絹に似る形容。)
※ 福地(ふくち)- 神仙の住む所。


更に行きて人家数四、橡の実を上に曝(さら)すを見る。何か為するやと問えば、その味を瀹殺して、作りて餌(しょく)と為るなり。予、憫然として数顆(つぶ)を丐(乞う)てこれを袂(たもと)にす。
※ 箔(はく)- すだれ状のすのこ。
※ 瀹殺 - ひたし殺す。(「その味を瀹殺して」で、渋抜きすること。)
※ 憫然(びんぜん)- あわれむべきさま。

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