平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
峡中紀行中 5 九月十三日、武川十二族
荻生徂徠著の「峡中紀行 中」の解読を続ける。
十三日、宮掖(脇)村を出て、牧原を経(へ)、右に金峰を眺む。艮方なり。北は則ち谷鹿(八ヶ)嶽。西北に行きて山高村に入る。路側数人俯伏する有り。これを訊(たずね)れば、柳沢郷民来りて迎うるなり。大武川を右にして西行す。川、鳳皇山より出て、東南に流れて小武川と合す。東、釜無河に注ぐ。
※ 艮(うしとら)- 丑寅、北東の方角。
※ 俯伏(ふふく)- 頭を下げてうつむくこと。恐れ入ること。
南、青城(木)より、北、慶来(教来石)に至るにて、一帯地を武川と号するは、これに由(より)て得るなり。因って、藩主十二世の祖、源八府君、封ずる十二子を武川の地に分ける事を憶う。その邑所を問えば、則ち云う。三吹、艮(うしとら)に在り。六里にして近し。白須、子(北)に在り。界するに山を以ってす。横手、戌に在り。大武川これを限る。僅か三里許りなるべし。慶来、乾に在り。上下の二邑(むら)有り。上邑は十二、三里、下邑は十五、六里、上慶来に関有り。山口と曰(い)う。迺ち信州接界の処。新奥、宮掖西南の山中に在り。その東北にして馬場あり。東南にして山寺あり。
※ 里(り)- 一里は条里制による一里で、654メートル。
※ 戌(いぬ)- 西から北へ30度の方角。
※ 乾(いぬい)- 戌亥、北西の方角。
各(おのおの)多少の路有り。来たる路由る所の、青城、牧原、宮掖を併せて、皆十二族の姓とし受ける所の者なり。忽ち金峰東に轉ずるを睹(み)れば、則ち府城を出ること、已に五十里、州境の将に窮めんとすなり。
※ 十二族 - 三吹、白須、横手、下慶来、上慶来、山口、新奥、馬場、山寺、青城、牧原、宮掖で12邑。
駒嶽また来たりて轎前に逼(せ)まる。これを望めば山の不毛なるもの三成、焦げた石、畳み起きるものに似たり。巌の稜角、歴々として数うべし。形勢獰然として、これより前(さき)芙蓉峰の笑容、相迓(むかえ)るものに似ず。相伝う、豊聰王畜(か)う所の驪駒はこの溪に飲みて生ずと。山上祠宇有ることなく、山𤢖木客、往々にして逢う。故を以って土人敢て登らず。
※ 三成 - 三、四里四方。一里は654メートル。
※ 畳み起きる - 重ね上げる。
※ 歴々(れきれき)- 物事が一目で見え、明らかにわかるさま。
※ 獰然(どうぜん)- 荒々しいさま。
※ 笑容(しょうよう)- 笑顔。笑み。
※ 豊聰王(とよさとおう)- 聖徳太子のこと。
※ 驪駒(りく)- 黒い馬。くろこま。
※ 祠宇(しう)- やしろ。神社。
※ 山𤢖(やまわろ)- 木曽の深い山中に住む大男で、「やまおとこ」とも呼ばれる。
※ 木客(もっかく)- 山中の怪物。鬼のようなもの。
昔一人有り。贛(おろか)にして勇なり。三日の糧を齋(とき)て、以って絶頂を躡(ふ)むに、一老翁を見る。相責めて曰く、これ上仙の福地、若曹ら渉る処に非ず。その髪を捽(つかん)で、巌下に放てば、則ち恍然として已に己が家屋の山後に在り。
※ 齋(とき)- 食べ物を包む。
※ 上仙(じょうせん)-仙人のうち、一番上位のもの。
※ 福地(ふくち)- 神仙の住む所。
※ 若曹ら(わかぞうら)- 若造ども。
※ 恍然(こうぜん)- 心を奪われてうっとりとしているさま。
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