平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
やをかの日記 1 自序
「駿河土産」を読み終えて、次に解読する本は「やをかの日記」と決めた。静岡県立中央図書館の貴重書画像データベースの中に、「やをかの日記」の影字が公開されていた。富士登山の歌日記で、ごく短いものである。世界遺産になって、注目されていることもあり、興味を引かれた。江戸時代、庶民の富士登山は想像以上に盛んであったと聞いているが、その記録に接するのは初めてである。富士登山は自分も四回経験している。現代とは、登山スタイルも随分違っているのだろうと思いながら読んでみた。
「やをかの日記」は旅の途中の滞在先で思い立ち、登頂して戻るまでの八日間の記録である。著者の岩雲花香(いわくもはなか)は江戸末期の国学者で歌人。若くして遊学の旅に出て、諸国を廻り、行く先々で国学者、歌人、文人らと交流した。その後、江戸に出て平田篤胤の門人となった人である。「やをかの日記」の天保二年(1792)では39歳であった。
それでは、「やをかの日記」の解読を始めよう。かな表記が多くて、しかも変体仮名が多種多用されて、慣れるまでは解読に結構時間が掛かった。日本語は適当に漢字が混ざっている方が、はるかに読み易いと改めて実感した。
やをか(八日)の日記
(富士の挿絵中の和歌)
この方を 見ても知るべし 富士の峰(ね)の
世に類いなく 高き心は 花香
八日記自序
五月の望の日に、伊豆の国の田方の郡(こおり)の、多田の泰明の翁を訪(とぶら)い来たれば、翁の言えらく、我はもや、高くかしこき富士の峰(ね)に、再び登りし昔、思おゆ。岩雲花香主はもや、我家(わぎえ)に遊びいて、ここより富士の山に、い行き、帰りねと、富士の峰のねもころに癒えるまにまにいて、
※ 望(もち)- 各月の15日。
※ 多田 - 現、伊豆の国市韮山多田。
※ 泰明の翁 - (不詳)
※ ねもころ - ねんごろ(懇ろ)。
※ 癒える(いえる)-(こゝでは)雪が解けること。
※ まにまに - ~のまゝに。
六月の望の日の朝、翁の家着ける利貞と、その家なる只年と連れて、行き交いせし間のことをも、歌をも、雪の玉水、みずから(自ら)端書して、記の名をば、行き交いせし日数(ひかず)にて、八日記とおわせつ。
時は天保二年(とせ)という年の六月の廿日(はつか)余り二日(ふつか)の日の夕べ。かくいうは阿波国人。
※ 利貞 -(不詳)同好の士と思われる。途中歌あり。
※ 只年 - 泰明翁の息子であろうか。供として同行。
※ 雪の玉水 - 木の枝などに積もった雪がとけてしたたるしずくを、玉に見立てていう語。ここでは「みずから」の縁語として挿入したものであろう。
山深み 春とも知らぬ 松の戸に
たえだえかかる 雪の玉水 式子内親王(新古今集)
※ 端書(はしがき)- 書物や文章の序文。まえがき。
※ 阿波国人 - 岩雲花香は徳島県阿波市阿波町岩津の生れ。
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