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駿河土産 16 幕初、万事手軽い事、浄慶の漬物の事

(畑のガクアジサイ)

畑のガクアジサイは庭のものより色が鮮やかである。ただ、梅雨に入ってから雨がほとんど降らず、アジサイもやや乾き気味である。

駿河土産の解読を続ける。

(20)幕初、万事手軽い事
一 権現様御代の義は申すに及ばず、台徳院様御代の頃までは、世上ともに万事手軽き義どもにこれ有り。公儀の御規式なども、急度相定まりたる御様子もこれ有りたると申すには御座なく候となり。
※ 規式(きしき)- 定まった作法・方式。きまり。

権現様、伏見の城に御座遊ばされ候節、松平新太郎六才に成られ候時、初めて御目見仰せ付けられ候節、白き御小袖に御頭巾を為召させられ、御脇差をも御指し遊ばされざる御様子、置かせられあれば、武蔵守が子か、丈夫なる生れ付きにて一段の事と有る上意にこれ有り候となり。
※ 松平新太郎 - 池田光政(いけだみつまさ)は、播磨姫路藩第3代藩主、因幡鳥取藩主、備前岡山藩初代藩主。岡山藩池田宗家3代。池田輝政の嫡孫。

その後、秀忠様御代となり、新太郎成人にて江戸へ下り、初めて御目見え申し上げられ候節、織田常真は大あぐらをかき、上座にて碁を見物致し居られ候。御座敷にて御目見え仰せ付けられ候節、新太郎そこへはいりや。伯耆は雲国の由、聞き及びたるがそうでおじゃるか。勝手へ行きて食(じき)を喰いやれ。大炊同道せよ、との上意に御座候となり。
※ 織田常真(おだじょうしん)- 織田信雄(おだのぶかつ)。安土桃山・江戸初期の武将。信長の次男。秀吉と小牧・長久手で戦ったが、その後に和睦。大坂の陣では徳川家康に味方し、大和国宇陀郡松山に五万石を与えられた。
※ 大炊 - 大炊頭(おおいのかみ)。土井利勝(どいとしかつ)。秀忠の側近。後に老中。


御勝手へ立ち、御料理を給わり申さる時、一座の衆十三人有り。上座は織田常真、その次の坐へ、大炊頭差図にて着座致され候となり。その節の御料理、蕪(かぶ)汁に、おろし大根の鱠(なます)、あらめの煎り物、干し魚の焼き物にてこれ有り候となり。


(22)浄慶の漬物の事
一 権現様、駿府に御座遊ばされ候節、御奥方の着き女中、寄り集り居られ、あの浄慶坊程にくき事はこれ無しと、口々そしりしを御聞き遊ばされ、年寄女中衆召させられ、浄慶が事を何故あのごとくには、何(いずれ)も憎み候や、と御尋ね遊ばされ候へば、いや別の事にても御座なく、何(いずれ)も申し候は、浅漬けの香の物、余りに塩からく御座候て、何(いずれ)もたえ兼ね候に付、今少し塩をひかえて漬け候様に、申し付け給わり候様にと、浄慶方へ度々頼み遣り候ても、今に塩からく候に付いての事に御座候、と申し上げ候えば、御聞け遊ばされ、それは何(いずれ)も腹立ち致す、もっともなり。塩からくこれ無き様に言い付けてとらすべきぞ、と有る仰せにて、

その後、御表に於いて浄慶を召させられ、右の段、仰せ付けられ候えば、淨慶は御側へはいより、何事やらん、密かに申し上げ候を、御笑い成られながら、御聞け遊ばされ候となり。

その節、御前に於いて見及び申されたる御近習衆、不審に存じて、浄慶に逢い、其元は何事を密かに申し上げられ候やとの尋ねに付、浄慶答え候は、いや別に替わりたる義にてもこれ無く、各(おのおの)中も御聞け成られ候ごとく、大根の香物の儀を上意に付、唯今の通り、からく仕り給わさせて候さへ、大分に入れ申す事に候。女中どもの好みのごとくの塩かげんに致し給わさせ候わば、何程入れ申すべくも計り難く候に付、左様には成り申さずと、御前様には御聞け遊ばされざる分にて、御座成られたるが能く御座候と申し上げ候、との浄慶申し分にこれ有り候となり。

松下浄慶はその節、御台所頭などにてもこれ有り候や。今以って駿府御
城中に浄慶藏、浄慶門などと申してこれ有り候なり。


この逸話は少し理解しがたいので、説明を加える。女中衆は「塩からい」から塩を減らすようにというのを、浄慶は「大根がらい」から辛味を消すには塩の量をどれだけ増やせばよいのか判らないという。浄慶は、「からい」の意味を、わざとか知らないが、取り違えたのである。

少し話が外れるが、自分の故郷では「辛い」といえば、塩辛いことを意味していた。昔は家庭料理に唐辛子など使わなかったから、それで事足りた。静岡へ来て、「辛い」とは唐辛子などの辛味のことで、塩の辛さには「塩辛い」と必ず「塩」を付けないと通じないことを知った。
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