平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
駿河土産 13 京都大仏殿建立の事
今日は梅雨を忘れさせるような快晴の一日であった。午後、駿河古文書講座で静岡へ行く。
駿河土産の解読を続ける。
(15)京都大仏殿建立の事
一 京都大仏殿炎上以後、秀頼卿の母儀、淀殿より、江戸御台様へ、御内々を以って御頼み候は、京都大仏殿本尊ばかりの儀は、秀頼より再興あられ候儀にて、既にその沙汰に及ばれ候所に、請負候鋳物師(いもじ)どもの不調法を以って、鋳形より出火致し、以前より有り来たる殿閣ともに、焼失に及び候に付、秀頼の建立には成り兼ね候間、関東より御合力に及ばれたき由にて、江戸表に於いても、かれこれと御相談などこれ有り、
※ 江戸御台様 - 御台(御台所)は将軍の妻。秀忠の妻、江(ごう)は淀殿の妹であった。
※ 合力(ごうりき)- 金銭や物品を与えて助けること。
幸いその節御用の儀に付、本多佐渡守、駿府へ相越され候に付、大御所様の御聞けにも達せられ候様にとこれ有り、駿府に於いて御用の序(ついで)に、佐渡守、右の趣を申し上げられ候えば、権現様仰せられ候は、淀殿義は女儀にもこれ有り、将軍にも未だ年若き事なり。その方などの能き年にて、左様なる筋なき義を我らへ聞かせ候とあるは、沙汰の限りたる義なりとの仰せにて、
※ 女儀(にょぎ)- 女性のことを丁寧にいう語。
※ 沙汰の限り(さたのかぎり)- 是非を論じる範囲をこえていること。論外。また、言語道断。もってのほか。
流石(さすが)の佐渡守も大いに当惑致し居られ候処に、重ねて仰せられ候は、その方どもも、とくと了簡致して見よ。南都の大仏の事は、聖武天皇の勅願を以って、本尊、堂ともに建立あられたるとの儀なり。然る所に源平の取合の節、平中将重衡、兵火を放ちて堂を焼失に及ぶとなる。然るに於いては、時の天下取りの義なれば、右大将頼朝より建立致すべき義なるを、俊乗坊と西行法師と心を合わせ、諸国を勧進して建立を遂げたるなり。聖武帝勅願の大仏殿をさえ、頼朝は構い申されずと見えたり。
※ 平中将重衡(たいらのちゅうじょうしげひら)- 平安時代末期の平家の武将・公卿。平清盛の五男。南都焼討を行って東大寺大仏や興福寺を焼亡させた。
※ 俊乗坊(しゅんじょうぼう)- 重源(ちょうげん)。平安時代末期から鎌倉時代)の日本の僧。東大寺大勧進職として、源平の争乱で焼失した東大寺の復興を果たした。
ましてや、京都の大仏と有るは、太閤秀吉の物数多(あまた)を以って建立致し置かれたる儀なれば、親父の志を相立て、秀頼の建立申さるべくは格別、将軍より構いて申さる事にはあらずと、その方、江戸へ帰り候わば、将軍へ申し達すべしと上意にて、
同じく仰せ出され候は、大仏の事ばかりに限らず、すべて日本国中は、古来よりの由緒有る堂社仏閣というは、数限りもこれ無き義なり。その由緒をさえ云い立てれは、悉く取り上げ、修覆建立など申し付けずしては叶わず、と云う事にては有るべからず。幾重にも用捨、勘弁の有るべき義なり。ましてや大小によらず、寺社などを新たに建立などと有る義は、必ず以って無用の事成るべしと、将軍へ申し達し、年寄どもへも能々申し聞け候様にと、上意遊ばされ候となり。
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