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横内川通船一件控え帳 1 - 駿河古文書会

(伏見の一里塚から富士山)

昨日、靜岡で開催された駿河古文書会に出席した。今日と次回の2回に渡り、「横内川通船一件控え帳」を読む。講師のM氏の事前説明によれば、往古、安倍川は、大井川がそうであったように、大きく蛇行して、度々流れを変えていた。一時は賤機山途切れた先で南側が少し高かったため、東へ大きく流れを変え、駿府城の高みの北側を流れて、麻機沼から巴川の方へ流れたこともあったという。

家康が駿府に城を構えて以来、その蛇行した流れに沿って、駿府の城から清水湊まで通船の路を開くことが何度も試みられた。これが出来れば、江戸城と駿府城が水運で繋がることになる。ところが、一体が沼のような場所で、当時の土木技術では工事がうまく出来ずに、何度も挫折していた。天保の通船の試みもその何度目かの話である。以下に、読み下し文で示す。

天保十四卯正月 横内川通船一件控え帳
二月廿六日
一 町御奉行様、御組与力星野様、同心長嶋様、御支配御手代相沢時之進様、御立ち合いにて、御城端水落(みずおち)より上土(あげつち)新田まで、御分見成られ候、右に付、明屋敷四郎兵衛、南安東村与兵衛、並び手前、御案内ながら上土まで御手伝い致し申し候、もっとも下足(洗)、沓谷へも通達致し候に付、下足、彦作様、沓谷、平太郎様、耕地案内仕り候
※ 分見(ぶんけん)- 山野の遠近・高低・距離などを測量すること。

五月十三日 天気
町御奉行様、水落より上土新田まで、御見分これ有り候に付、耕地境いへ罷り出で、御案内致すべく候様、御支配より御沙汰これ有り、御案内致す、この節も心得のため、沓谷村へも申し遣し候処、平太郎様、上土まで御案内致し候、もっとも、御支配相沢時之進様、御付添い成られ候
※ 天気 - 天気の良いこと。

廿四日 曇天
横内川通船一件に付、沓谷村、下足洗村、当村、丹平方へ出会(しゅっかい)致し候、八幡助衛門様へも手紙差し上げ候処、御留主にて御不参に付、与兵衛様方へ手紙遣わし候えども、通船一件の義、申し遣わし候義は見込候義と申し、断りの御返事に御座候

同日御着
御勘定             御普請役
 御組頭 佐藤十兵衛様       大塚准一郎様
御勘定  原田敬右衛門様      渡辺宇一郎様
 〃    玉井倉之助様       新井丈一様
                       石川周蔵様
                   佐藤様手附
                       大嶋藤一郎様  

五月廿五日 天氣
御勘定様、御普請役様方、水落より上土新田まで御見分これ有り候に付、昨夜、紺屋町御役所より廻状到来に付、耕地境へ罷り出で、御案内仕り候、御支配手代相沢時之進様、御付き添い成られ候


まずは何度か御役人方が御見分に来るところから始まる。
(つづく)
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