平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
四国お遍路が世界を救う
「四国お遍路まんだら」の配布が100冊を越えた。すでに読み終えたという人も数人あり、手紙、葉書、電話、メール、ブログのコメントなどで、受領や感想の連絡が来ている。昔は手紙と葉書に限られていた連絡手段だが、ずいぶん多様になったと思う。
故郷の同級生のM氏は高校時代からの基督教の信奉者にもかかわらず、この本を読んでくれて、感想を頂いた。その中で、「お遍路に出かけようという気になかなかなりません」「お遍路というような宗教的行為に対してはつい身構えてしまいます」と語っていた。
弘法大師空海の真言宗では、宗教や宗派に対して全くおおらかで、どんな人も来る人は拒まずという発想が徹底している。弘法大師空海はその生き様を表わす数々の伝説から、真言宗の宗祖という立場を超えて、国民的ヒーローになっている。浄土宗の住職が檀家を引き連れて、バスで四国霊場をお遍路をし、本堂や大師堂の前で声を合わせて「南無阿弥陀仏」と唱和している姿も普通に見かける情景である。青い目の外国人も数多く見られ、最近は韓国からお遍路に来る若者たちも多いと言う。
団塊の世代の歩き遍路の多くはウォーキングの延長と考えてお遍路に来ている。野宿をする若者たちには無銭旅行の一形態である。もちろん強い信仰心から決死の覚悟でお遍路をしている人も少数であるがいる。どんな形態であれ、白衣と金剛杖を突けば、八十八ヶ所のお寺だけでなくて、四国全体でウェルカムである。中でも巡礼の条件が厳しい歩き遍路は、弘法大師の修行に近いとして特別に大切にしてくれる。
この大らかさこそ、21世紀、世界を救うことになるかもしれない。冷戦が終結して、今世界で起きている紛争の多くは宗教戦争だともいえる。同じイスラムのわずかな宗派の違いだけで、血で血を洗う戦いが起きている。すべての宗教、宗派がお互いに他者を認め合うことが出来れば、多くの紛争は無くなるような気がする。
四国八十八ヶ所のお遍路ではその世界がすでに何百年にわたって実現している。世界文化遺産に登録して、世界から多くの若者たちを招き入れ、お遍路を経験させれば、世界の紛争がずいぶん減るように思う。このあたりは、第1144号の遍路大使としての発言である。
女房から「まんだら」とは何かと質問があった。辞書を引けば判ると言った手前、自分で引いて確かめた。(下へ表示)「四国お遍路まんだら」の114ページに書名を決めた由来を書いている。
※ まんだら(曼荼羅)- 密教で、仏の悟りの境地である宇宙の真理を表す方法として、仏・菩薩(ぼさつ)などを体系的に配列して図示したもの。胎蔵界曼荼羅・金剛界曼荼羅・四種曼荼羅などがある。転じて、浄土の姿を図示したものなどにもいう。
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