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花見小路から八坂の塔

(八坂の塔)

(昨日の続き)
祇園散策の最初は花見小路を覗く。このあたりは祇園甲部といわれ、上七軒、島原、祇園、宮川町と並んで、京都の五花街の一つである、とは案内の兄のうんちくである。角に“一力”という料亭が格子と高い塀に囲まれていた。一見さんお断りの格式の高い料亭だと聞く。「花見小路」は電柱がなくなって、きれいな町並みになっている。昼間は観光客が絶えないようだ。少し入ったところに歌舞練場がある。ここでは春には芸妓・舞妓による都おどりが行われる。花見小路を建仁寺の角まで行って四条通りまで戻った。女房は京都のこういう小路には来たことがなく、気に入ったらしく、またゆっくり来てみたいという。

南座を左手に見て賀茂川に出た。南座は暮れの顔見世公演では役者の名前を勘亭流で書いた“まねき”と呼ばれる白木の看板が出てにぎやかだが、今は目立たず、言われなければ通り過ぎるところであった。

賀茂川縁に出たところに、出雲阿国の銅像があった。案内板によれば1603年、出雲阿国は四条河原で「かぶきをどり」を披露。関が原の戦後のすさんだ世にあって、絶大な喝采を浴びたという。歌舞伎の元祖だと云われている。賀茂川の対岸にはずらりと木組みの床が設けられている。夏場に岸の料理屋から料理が供せられ、床の上で涼しさと料理を同時に楽しむことが出来る。

賀茂川から再び東の山際へ戻った。知恩院である。知恩院といえば、法然上人の浄土宗の本山である。故郷の家が檀家であるお寺の本山である。


(知恩院のムクロジ)

東山新門を抜けて参道の両側の築地上には太い樹木が植わっていた。京都にはお寺は多いけれども市街地に巨木が少ないと感じていた。しかし、この辺りには多くの大木があって気持が良い。その一樹に「知恩院のムクロジ」があった。京都市の天然記念物に指定されている。ムクロジは暖帯性の落葉高木で、果皮はサポニンを含み石鹸の代用になり、硬い種子は念珠に加工される。築地が築かれたのが400年前といわれ、樹齢も400年と推定されている。

正面に巨大な三門が迎えてくれたが、知恩院は参詣は4時まで、警備員が早く閉まって申し訳ないと謝っていた。今の時期はまだ明るく確かに早すぎる。残念だが仕方がない。

あとは八坂の塔である。東へシダレザクラで有名な円山公園を横切り、横丁を進み、土塀の美しい小路を行く。振り返ると不思議な塔があった。祇園祭の山鉾をかたどったような塔である。どんないわれがあるのか判らない。上層部分が民家の上に見えるのを目指して狭い路地を入った先に八坂の塔があった。


(小路から八坂の塔)

正式には法観寺五重塔で、室町時代の1440年建立、一辺6.20m、総高36.4mの大きな五重塔で、国の重要文化財に指定されている。西の東大路通から小路を入ってくると細間を埋めるように正面に常に五重塔が建って見える。その道を振り返り振り返りしながら帰った。
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