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今、考えている その3

(昨日の夕陽)

幾つかの動物は予知能力を持っているといわれている。地震の前にナマズが異常な動きをし、ニワトリが騒ぎ、動物園は大騒ぎになる。沈む船が出港する前にネズミが姿を消す。ゴキブリさえ居なくなるという。蜂は洪水のある年には高いところに巣作りする。動物の世界には予知能力があるとしか思えないたくさんの現象がある。

人間も原始の頃には第六感という感覚を持っていた。第六感は感覚器官を持たない感覚で、脳が感覚器官を経ないで直接感じる感覚なのだろう。原始の頃には森の木々、動物たちとも感じ合い、響きあっていた。あるいは過去や未来の時間軸すら越えて感じ取っていた。人間の脳の大量の未使用領域こそ、第六感のために発達した部分なのではなかろうか。

人間に知恵が付いて、言葉を発明し、言葉によって覚えることが加速度的に増えて、科学的という名の下に第六感を自ら否定して、第六感を忘れてしまった。第六感の活躍した分野は、神話や伝説の中に象徴的に残っている。その世界では、森は精霊で溢れ、暗闇を妖怪が闊歩している。

生まれたばかりの赤子は多分そんな原始の能力を持っている。しかし知恵を付けるにつれて失って行く。子供の頃に神童と言われたが、二十歳過ぎれば唯の人と言われるのも、知恵が付いて失うものが多いことを示しているのであろう。

時として、そういう能力を失わずに残している人がいる。霊能力者や超能力者の一部はそういった人である。一部と言ったのはこの世界に“にせ”と名の付く人々がたくさんいるからである。悪貨は良貨を駆逐すると言うが、にせ者の横行がそういう能力を胡散臭くしている。

テレビではそんな人々を何の批判も無く、垂れ流している。その結果、さらに胡散臭くなる。しかし、テレビを見ていて、やらせが無いという前提ではあるが、本物の能力だと思えるケースも多々ある。大槻教授のように科学的に証明できないもの、すべてを否定するのは大いに無理がある。
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