河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2375- タコpfコン1、上原、プロコvnコン1、大谷、悲愴、シモノフ、モスクワ・フィル、2017.7.3

2017-07-03 23:32:40 | コンサート

2017年7月3日(月) 7:00-9:20pm 東京芸術劇場

ショスタコーヴィッチ ピアノ協奏曲第1番ハ短調 7-8-2+7′
  ピアノ、上原彩子

プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調  10+4+9′
  ヴァイオリン、大谷康子

Int

チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調 悲愴  22-9-9+12′

(encore)
チャイコフスキー 白鳥の湖より  3′

ユーリ・シモノフ 指揮 モスクワフィルハーモニー管弦楽団


指揮者、オーケストラともに聴くのはいつ以来だろう。浮かんでこない。
良好なコンビと理解しました。高性能オケも再認識。

ショスタコーヴィッチのコンチェルトは14型の弦。その弦楽とトランペットが1個のみの編成。第2ヴァイオリンとヴィオラの隙間の一番奥にトランペットが慎ましく配置。ピアノは通常の位置。
低弦の馬力はあるが昔のロシアサウンドのようなものではない。弦は総じて艶があり明るめ。シモノフのもと多彩なニュアンス、折り重なるように鳴っていく流れが美しい弦で、そのなかをピアノが時に軽妙洒脱に進む。上原ピアノはガラスのような具合で、厚めの弦の中をよく動いていく。ソロトランペットはかなり遠慮気味。レントの流れ、終楽章の切れ味、奥ゆかしくも光るトランペット技。
結局、弦とピアノとトランペットの掛け合いの演奏で、本来の曲の名称を思い出すことになった。3者の高技量を存分に楽しめた。シモノフのきっちりとした棒も心地良い。

プログラム前半に別々のソリストによるコンチェルト2曲でなんだか得したような感じ。
2曲目はプロコフィエフ、こちらはヴァイオリンコンチェルト。そうとうにやにっこい曲。終始ピントが定まらないような曲想の中を進んでいく大谷ヴァイオリンはソフトでこのオケの艶やかな光り具合とはちょっと異なる。弦は14型のままブラス、ウィンド、パーカスが入るので結構な埋没プレイ。
終楽章のオケの独特なウィンドの進行は聴きごたえありました。そして空中に吸い込まれるようにヒュ~ドロンと終わるユニークな曲。
オーケストラの適切なコントロールはシモノフのものですね。

後半のチャイコフスキー。これも14型。3曲ともこの型です。
味わいの深い内容でした。鳴らすところは鳴らすけれども、それも含めてシモノフの抜群のコントロールが光る。室内楽的なバランスと透明感で統一されたオーケストラパレット。ブラスセクションの咆哮はその力強さからくる快感、というよりはむしろこのバランスサウンドへの一つのアクセントのように聴こえてくる。
第1楽章結尾の濃厚な味付け。第2楽章の伸ばし切って歌うウィンドのニュアンス。3楽章は端正で力むことの無いマーチが少しずつ加熱。アタッカで終楽章へ。1,2,3楽章の深い演奏を聴いた後だといかにも短すぎる、あっという間に終わってしまう。しりつぼみ感が濃い。

何と言っても印象深いのは、オーケストラメンバー自らが音楽を作っていくその姿勢ですね。集中力は指揮者以上かもしれない。このような演奏に何度が出会ったことがあります。
あまり物言わぬ棒でも雄弁なオーケストラ、阿吽の呼吸を越えたプレイヤーたちからの畏敬の念。枯れた指揮というのはオーケストラ側からのこのような深い理解と積極的な演奏、こういったことなのだろうと痛切に思う。

2階奥3階手前は客の入りが良くなくて閑散としたもの。他のところは相応に埋まってはいたが、ちょっと残念。
オーケストラの実力は国内のオケを軽く蹴散らすようなものだと感じる。もっと来日しないと聴衆は冷たいものです。
素晴らしい演奏会、大きめのざっくりとした一枚もの無料プログラム。折って持ち帰ろうと思ったが、演奏後、やはり、折らずに持ち帰ることにした。
おわり






2374- ノルマ、藤原歌劇&日生劇場、2017.7.2

2017-07-02 22:13:31 | オペラ

2017年7月2日(日) 2:00-5:00pm 日生劇場

JOF プレゼンツ
ベッリーニ 作曲
粟国淳 プロダクション、ニュー
ノルマ

キャスト(in order of appearance)
1.オロヴェーゾ、田中大揮(Bs)
2-1.フラーヴィオ、小笠原一規(T)
2-2.ポッリオーネ、藤田卓也(T)
3.アダルジーザ、米谷朋子(Ms)
4.ノルマ、小川里美(S)
5.クロディルデ、但馬由香(Ms)
5.子供(黙役)

合唱、藤原歌劇団合唱部、びわ湖ホール声楽アンサンブル

フランチェスコ・ランツィッロッタ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

(duration)
序曲 6′
第1幕 74′
Int
第2幕 60′


デヴィーアの2公演の合い間に国内組による当公演が1回。それ相応なレベル内容になるものと期待していたが、残念。
先般の蝶々夫人で良かったのが印象的なタイトルロール、ノルマは難曲過ぎたのだろうか。頂点が全くきまらない。ベルカントの世界はまるで見えない。
細くてキーンな声質は、むしろアダルジーザと逆配役のほうが良かったのではないか。としてもこの女声2名のデュエットでもソロでも、どっちにしろそうとうきびしいもの。
ポッリオーネは歌いっぱなしという感じでちょっと雑。

全体にリハ不足なのか技量不足なのか問題公演でした。
演出はニューという事だが真ん中に置かれたデカい筒のようなものが開いたり閉じたり、中が回ったりという動きのみ。目新しさはない。
それから、千円プログラムにご本人の演出ノートという記事掲載があるが、読むと、当公演の演出については一滴も書いていない。
おわり


2373- モーツァルト28、シューベルト8、ワイケルト、新日フィル、2017.7.1

2017-07-01 23:46:43 | コンサート

2017年7月1日(土) 2:00pm オーチャードホール

モーツァルト 交響曲第28番ハ長調K.200  7-7-4-6′
Int
シューベルト 交響曲第8番ハ長調D944  13-13-10-12′

(encore)
シューベルト ロザムンデ間奏曲第3番  6′

ラルフ・ワイケルト 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


押しも押されもせぬ名指揮者と思う。
一昨年2015年同フィル客演でブラ1、ヒンデミット、ウェーバー、その前の年、新国立でドンジョを振ったのは聴いた。今日はハ長調2曲。
上岡が音楽監督になってからかみてに位置するようになったベース、今日は何故か昔通りのしもてサイドに配置。スミトリでこの配置で聴くとベースサウンドは完全にかみてから聴こえてきたものだが、今日はホールも違うし、中央奥から聴こえてくる。

ワイケルトは上岡同様オペラ振りの強み感じますね。総合芸術をやり尽くした連中の余裕の音楽造り。オペラやり尽くし後のセルはクリーヴランドへ、ショルティはシカゴへ、上岡もこの列に入ってくると思う。バレンボイム、カラヤンのようにずっと両刀使いの人もいる。オペラで一財産(一時代)築いた指揮者連のオーケストラル・コンサート、いいもんです。総合芸術用の全てのセンサーがナチュラル・オンになっていて演奏にゆとりがあります。豪放磊落のアウトライン、指揮者が揃えば緻密さはオーケストラの方から自然にだしてくれる。これらがハイブリッドしたときノリノリの素晴らしい妙技を味わうことが出来る。雰囲気は絶好調時のレヴァインの対極、メータのような一見大振り実は微に入り細に入り、振り姿もどことなくメータに似ていなくもない。顔つきはメータとハンス・シュミット・イッセルシュテットのハイブリッド。などと妄想しながらコンサートを楽しむ。

モーツァルトはワイケルト提供によるスコアでの演奏。ob2、hrn2、tp2、ティンパニ、弦5部。詳しいところは不勉強でわかりませんが相応な意図があるのでしょうね。
新日フィルの花曇りサウンドが少し趣向を変えサラサラと流れていく。シックでエネルギッシュなモーツァルト。素晴らしい進行と形式感。躍動する様式美。3拍子、2拍子の楽章進行が快感。ビューティフルな演奏。

後半のシューベルトはさらに前進。導入部、提示部1,2主題、等速の2拍子振り。速めの進行は切れ味よくて純米大吟醸のごときサラリとした飲み口。すじ雲のような天空流れる演奏は鮮やか。空気がうまい。
終楽章アレグロもこの第1楽章と同一テンポ、明るく飛び跳ねるような演奏は水際立って快活。
挟まれたアダージョ楽章は音の流れと厚み、シューベルトを聴く醍醐味。スケルツォは目をつむると結構ずれたりしているが都度、小節頭を合わせて調整してくるのあたりむしろオケの自発的な積極性を思う。
ワイケルトの音楽的流動感、オケの積極的パフォーマンス。シナジー効果も満点。晴れやかで鮮やかなライトブルーサウンドがホールを満たした。

アンコールのロザムンデは一変、愁いを含んだ秋雨のようなウエット感。実に美しい演奏。
いい演奏会でした。
おわり