河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2387- 浄夜、ハルサイ、ノット、東響、2017.7.22

2017-07-22 21:06:00 | コンサート

2017年7月22日(土) 3:00pm ミューザ川崎

シェーンベルク 浄められた夜  31′

Int

ストラヴィンスキー 春の祭典  15-17′


ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団


眼前に迫るメタリックな機能美は圧倒的。過去にこのような音を出すオーケストラは国内にはなかった。機能的なオケらしいサウンドカラー。それやこれや全部しびれた。
ハルサイ1部は殊に素晴らしくて一糸乱れぬパワフル演奏に片時も耳を離せない。ストラヴィンスキー特有の空虚な弱音ハーモニー、強奏でのスカッとするブラスセクションの咆哮、決まりまくりのパーカッションの鳴りの素晴らしいこと。ストリングからパーカスまで立体的な奥行き感。この彫琢、練り上げられた美しさ。ほれぼれする。パーフェクト・パフォーマンス。
2部は作品的に1部よりパワーダウンすると常々感じるのだけれども、この日の演奏では全くそのようなことに気をまわさせてくれない。めくるめく情景が次から次へと見事に移り変わり息のつく間もない。
技術力の誇示は、後半大詰めのカオスを作り上げるには故意作為にスライドさせてずらしていくことでも出来るんだよと、もはや全てが余裕の表現のように聴こえてさえくる。
1部と2部の異なる風景、この凄まじきド迫力のモースト・パワフル・パフォーマンスの奥からベリベリとくっきりと二つの眺めを見ていくことが出来る。何もかもが声にならない大した演奏でした。

ノットの前に譜面は無し。拍の呼吸をよく感じさせてくれるもので大余裕などというのもおこがましい。むしろ無くて自然。頭の中に譜面がレントゲン写真のようになびいているのだろう。
右腕、左腕、体がよく動く。そし左足が雄弁。右足を支点にし、三つの動きはまるで魔術。もちろん別々のところに指図しているわけでオーケストラの応答は尋常ではない正確さ。計算されつくした嵐のような激しさ。メカニカルに優れているこのオケの能力を計算し尽くし、双方極限演奏を実現。これぞオーケストラを聴く醍醐味。開いた口がふさがらない。
細身のノット、背中は滝汗でお尻まで流れているけれども黒の正装であるためあまり目立たない。一仕事終えた感はしっかりと感じ取ることが出来ました。このコンビ、どこまで素晴らしくなることやら。


前半に置かれたシェーンベルク。
濃厚で鋭い弦、申し分ない、浄夜。
眼の前にやや硬めに黒光りするストリングサウンド。締まったもので剃刀シュートが一度に何本も飛んでくる感じ。弦のみの東響サウンド、これも魅力的。
席が前でちょっと型がよくわかりませんでした。12-8-6-4、ベースがバック中央に4本。他の弦はそれぞれ半分ずつ右左にセット。左右対称と見えました。
メカニカルで幾何学的、これならばこのオーケストラの機能美をさらに押し上げる。作品とオーケストラという生き物その両方を知り尽くしたノットならではの冴えた試み。サクセスフル。
タイトルにふさわしいサウンドが、最初から最後まで鳴り響き、あっという間に浄夜が過ぎていった。暗い中に光源を感じさせない明るみが全体に射す。名状し難い色彩感、精緻に満ちた名演であった。

ノットは、譜面はあれど、見たり見なかったりでそもそも手触りで何ページ目はここといったことがごく自然にわかっているのだろう。時折めくれる譜はノットの指に吸い寄せられているように見えた。


この2曲、このコンビならではの絶好調、ビューティフル演奏。満足しました。
おわり

フェスタサマーミューザ2017 オープニングコンサート