河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2269- メシアン、彼方の閃光、カンブルラン、読響、2017.1.31

2017-01-31 23:17:49 | コンサート

2017年1月31日(火) 7:00-8:30pm サントリー

メシアン 彼方の閃光 8-7-4-2-14-6-4-12-4-3-11 duration, one and a half hour-long

1.栄光あるキリストの出現 8′
2.射手座 7′
3.コトドリと神と婚姻した都 4′
4.刻印された選ばれし人々 2′
5.愛の中に棲む 14′
6.7つのトランペットを持った7人の天使 6′
7.神は人の目から涙をあまさず拭いたもう 4′
8.星たちと栄光 12′
9.生命の樹に棲む多くの鳥たち 4′
10.見えざる道 3′
11.キリスト、天国の栄光 11′

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


曲の巨大さとそれを見事に表現した演奏の素晴らしさ両方でエポックメイキングな一夜となりました。
作曲家本人が最後の大曲という思いで書いた作品と思う。初期の傑作トゥーランガリラのような躍動感は無く、モノトーン、モノリズムな世界で、執拗な息の長さと解脱したような淡泊なモードが綯い交ぜになっている。
この曲のクライマックスはどこにあったのかと問われれば、指揮をした渾身の共感振りカンブルランの棒の思いも合わせ、ウィンド、ブラスの第1楽章、それにストリングにゆだねられた最終楽章。この外枠二楽章であったと確信する。
破天荒な超スロー演奏となった第5楽章の際立ったカンブルラン表現はあまりに素晴らしい、弦による息もできないほどの静寂さ。次の6楽章のブラス、パーカスによる咆哮とのコントラスト。これら楽章の色調がそのまま外枠の二つの楽章にあてはまる。特に終楽章の静謐は圧倒的で、カンブルランの情感を強く感じた。第5楽章にないものがここにある。この終楽章、カンブルランの棒はいつになく珍しくも、といっては語弊があるかもしれないが、泣けてくるような天国棒。打点ポイントを殊更に示すことなく、少し震えつつ、にもかかわらず、読響のアンサンブルはパーフェクトにカンブルランの意をくんだものとなっていて、唖然茫然。お見事というほかない。メシアンのファイナル境地、極まれり。壮絶な演奏でした。

素数楽章数による構成は第6楽章に中心点があるといったものでもなくて、対称性といったものから解放されており、また、トゥーランガリラの様な節目楽章、楽章の束などとも違う。全体的なフレーム感は殊更意識するものではなくて響きの親近性や自由さを聴いていけばいいような具合ですね。配列も最後のメシアン境地で自由。
副題のうち、1,4,6,7,11楽章は黙示録からのもの。

何しろ演奏が素晴らしかった。精緻で最上のアンサンブル。音色バランスが整っていて、極上のパフォーマンス。これがあればこそ作品の真の姿が見えてくる。カンブルランがオーケストラに移植したメシアン極意、本当にエポックメイキングな演奏!、天国のメシアンも蓋が開くぐらい喜んでいるに違いない。
鳥の声の同一変速拍子振りの繰り返しは、かぶりつきで見れば氷解のほれぼれする棒さばき。
分散したストリングのバランスは耳、命の、もはや、均整という言葉では言い得ないお見事さで、かぶりつきで聴く最上バランスは極上ウィスキーのその上澄みを一口含むときの味わい。
第6楽章の咆哮はCDからではなかなか全容が分かりにくいものだが、実演生聴きだと、音が奥にひずんだようなCDサウンドとはまるで違う、生のオーケストラサウンドを聴く醍醐味。

カンブルランの演奏はCDで出ているSWRsoとのものも今日の読響の演奏も、同じくオーソリティ指揮者ミュンフンチュン&バスティーユ、ラトル&ベルリンフィルなどと比べると全体で15分前後ゆっくりしたもので。だいたい60分越えちょこっとあたりの演奏が常識的なテンポといったCD群とは完全に一線を画している。
思い入れの深さ強さということもあろうがそういったことではなかなか推し量れない。今日、カンブルランの解釈を聴いて、2年ほど前、同オケを振った際のアイヴスの答えのない質問、あの異常なテンポ、他演奏と比較して軒並み2倍かかった演奏でしたけれども、あれがオウヴァーラップ。彼はひとつの長いフレージングをプレイする時、最初の一音から最後が見えている。一つの束の扱いに長けている。一つのフレーズの全体イメージを持続させることに長けている。響きを実感しながら、オケバランスを長時間にわたり均整のとれたものに出来る耳を持っているのだと。これだけのテンポ設定をしても崩れないし、聴いているほうはなんら違和感がない。あのテンポ設定は彼一流の、作品表現の一つの方法であって、この進め方が表現のテンションを高めながら演奏行為をさせていくための一つの手段になっている。
現音オーソリティの因数分解は、複雑トリッキーで短いオタマだらけのものも、メシアンの様な作品でも、同じく答えを出せる平衡バランス極意棒なんだと、まぁ、色々と皮膚感覚的な受け身聴衆ですけれども、オンリー現場での味わいはこのようなところです。
スーパーパフォーマンス、ありがとうございました。

次、またまた、大作が待ち構えていますね。
おわり

PS
このあとサントリーホールは2月6日から8月末まで改修工事の為、閉鎖される。どのような音になることやら。