河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2255- ブルックナー5番、小泉和裕、都響、2017.1.10

2017-01-10 23:49:19 | コンサート

2017年1月10日(火) 7:00pm サントリー

ブルックナー 交響曲第5番変ロ長調 (ノヴァーク版) 20′18′13′23′

小泉和裕 指揮 東京都交響楽団


15小節目からの強奏。弦が次小節に移る前の16分音符2個がまるで聴こえない。16小節目のラッパの入りが早すぎて、弦の16分音符がかき消されている。他のインストゥルメントを感じながらのアンサンブルが出来ていないし、それともうひとつ、弦そのものの力感不足。のっけの第1主題からブルックナーのフォルムが出来ず。興に入る前から醒めた。浅い。硬い。
ラッパは終始、鉄板に叩き付けるような音で、あれだけ早い入りだと五月蠅いだけのものとなってしまう。まぁ、このオケの特質が顕著に出てしまった。このどっしり系の作品には向いていないオケ伝統サウンドなのかもしれない。一日二日で変わるようなものでもないだろう。現代もの系には素晴らしい表現力、機動力をみせるこのオケ、柔軟性が欲しいところです。

小泉棒は全般にわたり速めのテンポ。
第2楽章の副主題だけ幅広でスロー、それ以外は速めの運び。快活と言っていいほど。
ひとつの主題の中でテンポが揺れ動く。主題間に経過句が無いので主題そのもののテンポを動かしてブリッジの役目もさせようということなのかな。作為的な流れの創意はブルックナーのフォルムの事より、こういってはなんだが、年齢を意識してしまった逆説的恣意的な快活さが垣間見える。つまり意識された若返り。気持ち次第で作品の形が変わってしまう可能性大。

それと、この曲をひとつ特徴づけているピチカート、強調は無くてむしろ、か細い。重厚さ表現を横に置くのならこのピチカートを流れのほうに活用できそうな気もする。

昨年12月最終第九公演の不安定さが、年を越してこの日まで続いている感じで、技量的にも問題あり公演。フィナーレの5個の打撃音、痛々しいほどの自信確信の無さ。流れをつかんでない、一体どうしたことか。
おわり