河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1991- ラインの黄金、二日目、新国立劇場、2015.10.4

2015-10-04 20:23:30 | コンサート・オペラ

2015年10月4日(日)  2:00-4:40pm  Opera Palace、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ラインの黄金  2時間33分 approx.
  第1場 23′(間奏の前まで)
  第2場 50′(〃)
  第3場 27′(〃)
  第4場 43+10′

キャスト (in order of appearance)
1.アルベリヒ、 トーマス・ガゼリ (Br)
2.ヴォークリンデ、 増田のり子 (S)
2.ヴェルグンデ、 池田香織 (Ms)
2.フロースヒルデ、 清水華澄 (Ms)

3.ヴォータン、 ユッカ・ラジライネン (BsBr)
4.フリッカ、 シモーネ・シュレーダー (Ms)
5.フライア、 安藤赴美子 (S)
6.ファーゾルト、 妻屋秀和 (Bs)
6.ファフナー、 クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
7.フロー、 片寄純也 (T)
8.ドンナー、 黒田博 (Br)
9.ローゲ、 ステファン・グールド (T)

10.ミーメ、 アンドレアス・コンラッド (T)

11.エルダ、 クリスタ・マイヤー (Ms)

飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団


2015.10.1公演はこちら


ラインの黄金の2日目。
第2場中盤からほぼ主役になるローゲ、歌だけでなくキャラクターもばっちりきまっているステファン・グールド、素晴らしく張りのある黒光りするテノールで役柄的には悪知恵派だがヘルデン・テノールに相応しいのではないか。耐久面でちょっと持つかなと言った部分はありますが。
ローゲはこの劇ではヴォータンにコントロールされつつコントロールしているように見受けられますが、なぜヴォータンの言うことをここまできかないといけないのか、ニーベルハイムのアルベリヒは、寝返りをうったローゲと言いますから、もうちょっと勉強が要ります、こちらの。
ヴォータンをコントロールしアルベリヒを言いくるめ、巨人に渡す宝はいの一番、率先して運ぶ。巨人の弟は言うことをきかないなぁと兄の肩を叩きながらたしなめろというしぐさ。
と、ゲッツの演出ではローゲ中心に回っているように見えます。「ただ、1人だけ愛を断念した者に会った」と劇をどこまでも面白みを断ち切ることなく展開させていくワーグナーの戦略はもちろんあきれるぐらい観る者を惹きつけるもの、ここでのグールドのしぐさと歌はワーグナーとゲッツの意を100パーセント汲んでいるか如き一体感、素晴らしすぎてうなるしかない。
地底のアルベリヒとローゲのかけあいは、ローゲと同じくスーツ姿になったアルベリヒの負けで決着がつくわけですか、ヴォータンにはしゃべらせず一人で作戦を実行していく。口車みたいなものだが何度見て面白いもの、字幕の効用も大きいですね。グールドの表情や動きを見ていれば字幕が無くても大半は理解できるとはいえ、やはり効用です。
アルベリヒは椅子に座って足をあげたり首から突っ込んでいかないといけなかったりと動きが激しい、同じくローゲも最初と最後は走り回らなければならない。あれで歌い続けるのは大変です。
ローゲもアルベリヒも全力投球ですね。

第4場で地底から出てきたアルベリヒ、ローゲ、ヴォータン。
アルベリヒはヴォータンに指環を取られるとき右手首から先がもげてしまい床に。こういった小出しのオリジナリティはおそらくジークフリート、神々の黄昏あたりでつながりのある形で出てくると思いますが、それは2年後3年後の上演で、きっともう忘れてしまっている。
4つまとめてできないなら、1年目R、2年目RW、3年目RWSGとやってくれればわかりやすい。


ラインの乙女3人衆も初日より格段に声に張りがあり、アンサンブルが揃っている。舞台での動きになれてきたのかコツがつかめたのか、動きに余裕がないと歌のほうを目いっぱい歌うのは出来ないはずで、だいぶ良くなりました。

飯守、東フィルも巨大編成で全力投球、音に隙間が無くなりました。ダイナミックかつ滑らかさもあり、それにニーベルハイムでの高速運転もアンサンブルが乱れないのは初日と同じ。

右寄りの席だと神様一家のステップがよく見えません。センターから左寄りの席がいいと思います。

一歩下がって二歩前進、#神様ダンス

以上、二日目


1990- マーラー 2番、パーヴォ・ヤルヴィ、N響、2015.10.3

2015-10-04 11:51:16 | コンサート

2015年10月3日(土) 6:00pm NHKホール

マーラー 交響曲第2番ハ短調 復活 22′、11′+11′+5′+33′

ソプラノ、エリン・ウォール
アルト、リリ・パーシキヴィ
合唱、東京音楽大学
パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


ちょっと慎重に行きすぎた感と持ち味の張り詰めた感の区別がつかない。

オケピットの上までオケがせせりでてくるのは音場的にはいいと思いますが、今日のような配置だと拡散してしまう部分もありますね。
おわり




1989- モーツァルトObCon、モワネ、マーラー1番、下野竜也、読響、2015.10.3

2015-10-04 11:41:47 | コンサート

2015年10月3日(土) 2:00pm みなとみらい

モーツァルト オーボエ協奏曲ハ長調 7′8′5′
 オーボエ、セリーヌ・モワネ
(encore) 
バッハ 無伴奏フルートのためのパルティータ より アルマンド 4′
Int
マーラー 交響曲第1番ニ長調  17′8′11′21′

下野竜也 指揮 読売日本交響楽団


マーラーはギクシャクしていてツボどころがないというか、もう少し何とかなりそうな気がしますけれども、幻滅しました。これまでの得意分野での振りスタイルと同じ型だとこうなるのでしょうか。引き出しがもう少しあるのかと思ったのですが。
要は理系の振りで、型通りで、まるでつながっていかない。譜面どかしてもきっちりと振れるようになるか、それとももうGM振らないとか、なにか打開策がいるレベル。
最後のところでテンポを強烈に上げるのは最近よく聴くスタイルです。

20世紀ものの作品や現代オペラなどに圧倒的な理解と聴衆への浸透を図っている指揮者で、もう、それだけですごいものです。が、この日のGM聴いて、もしかすると聴衆がわからないものを相応に分解していければ、少しぐらいわからないあたりでモヤモヤと明瞭感に欠けてもなんとかなる、と、そっちの得意分野にさえ懐疑的なものを抱いてしまうような演奏でした。GMがただ合わないというだけでなくてですね。ありていに言えば底が見えたという話です。ショックです。
おわり




1988- ダナエの愛、東京二期会、準・メルクル、東フィル、2015.10.2

2015-10-03 01:08:15 | コンサート・オペラ

2015年10月2日(金) 6:30-9:55pm 東京文化会館

東京二期会 プレゼンツ
シュトラウス 作曲
深作健太 プロダクション

ダナエの愛  (舞台上演日本初演)
 第1幕 37′
 Int
 第2幕 44′
 Int
 第3幕 67′

キャスト(in order of appearance)
1.ダナエ、 林正子 (S)
2.ポルクス王、 村上公太 (T)
3.クサンテ、 平井香織 (S)

4.ゼメレ、 山口清子 (S)
4.オイローパ、 澤村翔子 (Ms)
4.アルクメーネ、 磯地美樹 (Ms)
4.レダ、 与田朝子 (Ms)

5.ミダス、 福井敬 (T)
6.ユピテル、 小森輝彦 (Br)

7.メルクール、 児玉和弘 (T)


二期会合唱団
準・メルクル 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団


演奏会形式ではなく舞台としては、この日が日本初演。演出は深作健太、映画監督・脚本家・演出家。
舞台での日本初演がこの日ですから、世界的にも上演がかなり限られているものだろう。そのような中でひねりをいれた演出だと、観た経験がレアなだけにわかりにくい部分も出てきそうな気配があったのですけれど、色々とおもしろいところはありつつ、シーンは音楽に合わせた象徴的なスタイルを前面に出したもので、それなりにわかりやすかったと思います、第2幕までは。
見た目は1,2幕は基本的に同じつくりであまり動かない。3幕はそれに若干手を加えたような感じ。
第一印象は、幕毎に段々良くなるオペラ。


幕が上がるといきなり牢屋みたいな格子の部屋の中にさらにくさりにつながれたダナエが横たわっている。借金に追われている父のポルクス王はちょっと元気が良すぎる気もするが、活動的だから借金も増えるのだろう。
ミダスがミダスの使者、ユピテルがミダスとなって出てくるのでちょっと混乱するが、字幕を追っていればだいたいわかる。
林ダナエはきれいな声で斉唱。今一つ声に伸びがなく、これだ、という決め手に欠ける。最終的には終幕30分の絶唱となりましたけれど。
福井ミダス(ここではミダスの使者)は、これはワーグナー他のときも同じことをいっているのであまり繰り返しませんが、喉が横広といいますかそのような幅の声で、それにビブラートがかなりかかります。自分の持っているテノールのイメージとは少し異なります。
1幕大詰め、舞台奥が割れ階段の上から黄金のまるで、マグマ大使の様な衣装のユピテル(ここではミダス)が下りてきて、ひと声あり、幕。
シュトラウスの音楽はかなり渋め、メルクル棒がきれいにそろえてすすんでいくのでこれはこれでわかりやすい。共感の棒ですね。


2幕は1幕と同じセットで、真ん中はベッド。
この幕ではミダスがダナエに触れ黄金になってしまうのですが、ミダスとダナエの二重唱、そしてユピテルの独唱が圧巻。
舞台はダナエが黄金になるあたりの光の具合がいいです。それから舞台手前で両手を差出し黄金色に光るミダスの手、象徴的な場面です。
ダナエ、ミダスの二重唱は3幕までひきずっている感触で、同じような重唱が続くがもはやこれは前置きみたいなもので、優に30分を超えたと思われるミダスとユピテルの対話。ここが圧巻でした。

第2幕まではシュトラウスの持っているしなやかな音楽が、ヴェルディ的にうなって幕、そんな感じでまことに不思議な音楽の流れ。


その2幕エンディングの二重唱をひきずった終幕は、廃墟の中、投棄された冷蔵庫、壊れかけた傘立ての前でダナエとミダスの熱い二重唱、ユピテルは槍も含めなぜか完璧なヴォータンスタイル理解できない、メルクールはガイガーカウンター片手にオレンジ色の放射能防護服、それを脱いだら聴診器をぶら下げた医者モード、ダナエとユピテルの30分に及ぶ圧巻の対話二重唱のあとの幕切れではミダスが背中に大根やらごぼうやら背負って廃墟の奥から出てきて、ダナエとハッピーエンド。

第1幕終盤のユピテル扮する黄金のミダスが現れた時は、この演出はマグマ大使的方向に行くのかなと思ったのだが、結局この奇怪な第3幕はフクシマ後の廃墟と後で知る。
この第3幕は1,2幕の演出とまるで馴染まないだけではなくて、オペラの底辺に流れるなにかそのようなものもまるでないものであって、フクシマの問題提起がオペラダナエと一致する線も点もないと思う。
オペラの前史としてではなく2幕の後、カタストロフィが起きたということなのだと思うが、あえていうならば、この3幕まででは解は無い。演出をした方が追加の幕として第4幕を例えばパントマイム的に解決方法を示すといった趣向があったなら奇抜ながら創作の妙を感じたかもしれない。日本での舞台初演でそこまでリスクを冒すこともないと思うが、冒したと同じぐらい不可解な演出ではありました。


シュトラウスのややウェットな歌の伴奏メロディーを透明に流れるように、メルクル棒はそこにとどまることなく波が高くなったり低くなったり、音楽がうねっていく。素晴らしく生きた演奏でいい味付けでした。
特に、30分におよぶダナエとユピテルの対話2重唱、見事に美しい準メルクルの伴奏棒、なにも言うことはない。

メルクルCDの無理配布あり

ありがとうございました。
おわり




 


1987- ラインの黄金、初日、新国立劇場、2015.10.1

2015-10-02 12:20:47 | コンサート・オペラ

2015年10月1日(木)  7:00-9:40pm  Opera Palace、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ラインの黄金  2時間35分 approx.
  第1場 25′(間奏の前まで)
  第2場 50′(〃)
  第3場 25′(〃)
  第4場 45+10′

キャスト (in order of appearance)
1.アルベリヒ、 トーマス・ガゼリ (Br)
2.ヴォークリンデ、 増田のり子 (S)
2.ヴェルグンデ、 池田香織 (Ms)
2.フロースヒルデ、 清水華澄 (Ms)

3.ヴォータン、 ユッカ・ラジライネン (BsBr)
4.フリッカ、 シモーネ・シュレーダー (Ms)
5.フライア、 安藤赴美子 (S)
6.ファーゾルト、 妻屋秀和 (Bs)
6.ファフナー、 クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
7.フロー、 片寄純也 (T)
8.ドンナー、 黒田博 (Br)
9.ローゲ、 ステファン・グールド (T)

10.ミーメ、 アンドレアス・コンラッド (T)

11.エルダ、 クリスタ・マイヤー (Ms)

飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団


新国立としてはキース・ウォーナーのトーキョーリングに続く2回目のリング・サイクルの制作、その初回第1弾はラインの黄金。
今回、ニュープロダクションとは言っても2000年いっぱいで亡くなったゲッツ・フリードリヒの最後のプロダクションの活用で、1996年に既にヘルシンキのフィンランド国立歌劇場で初演済み。
飯守さんはゲッツの他の作品演出も含めて私淑しているというより、もともと一緒に仕事をした敬愛する先輩格の人という感じなのだと思う。披露するタイミングとして今シーズン初日に合わせたあたりやる気満々、満を持してということでしょう。
今回のリング・サイクルはこのラインの黄金に続き、来シーズンにワルキューレ、来々シーズンはジークフリート、神々の黄昏、といった具合で、3シーズンで完結させるようです。


音が出る前にアルベリヒが登場、このようなスタイルは既に1988年クプファーがバイロイトでやっていたことでもあり、そして1996年といえば今からおよそ20年前。この種の演出は今ではやりつくされており、そういう意味では、演出は陳腐になり音楽だけが残る、という現象の通過点を見ているような気持になってくる。ただ、色々観ている人たちにとっては過去の通過点をあとで見ているような具合であっても、ここが起点の人もいるので、いいわるいの話では全くない。

アルベリヒがステージ前方に現れ、舞台の大きい目のような中に映る木のシルエットを見ている。始まりとしては大仰なフリで、またかという人もいるかもしれない。どっちにしても最初の見得のようなもので、リングではこのラインの黄金でしかできないようなものでもあるし、このフリから始まる作品はもっと大仰であり、前奏での力負けはない。

幕が開きラインの乙女、そして川を表わすものは横に長い線のLED光(たぶん)が前後する。20年前ならば蛍光灯だったかもしれない。そのような具合はあるが奇抜さというより、もはや底辺に流れるドイツ的オーソドックスなスタイルが基盤をなしていると感じる。
この第1場、ちょっと長く感じた。物語の冒頭の場としてポイントになるところではあるが、ちょっとだれました。
ラインの乙女もアルベリヒも動きが激しいせいか、正面席で観ましたけれども声が必要以上に大きくなったり小さくなったり波がある。特にラインの乙女は、例えば昨年聴いたコンサートスタイルの東京春祭の出来とは歌い手が同じ違うといったこと以上に良いものとは言えなかった。動けて歌える歌手が必要です。
アルベリヒは場数を踏んでいるのは明らかで職人の域、やはり動きに問題ありとはいえ、ポイントをおさえた歌唱時の静止などは経験の積み重ねのたまものでしょうね。
いずれにしても、導入の第1場ではありますが25分が長かった。
右サイドに置いてある仰向けの顔の石像の様なもの、あれはなんだったのかしら。
.

第2場は登場人物が8人いてごたごたします。新国立の豊かな奥ゆきの活用がありませんから、あまり無い横幅で8人が動き回るので多少窮屈。誰がロールなのかわからない歌唱ですから、みなさん自分の役目をそれぞれきっちりこなしていく感じ。
替わって、しぐさと衣装の面白さがあります。宇宙服を着たような巨人兄弟、ボクサーのドンナーはエアーボクサーというかシャドーボクシングに余念がありません。最終的にはあのグローブの一撃で鬱陶しい空気を払いのけることになりますね。フローは他人事のように巨人とヴォータンのやりとりを見ている。
宇宙服の方は、第4場ではスーツ姿で戻ってきますが、この2人のしぐさはこの2場ではコミカルなものです。まともなのは、最初に槍を持っていなかったヴォータン、それにフリッカ、それにフライアあたりです。
ローゲはスーツに赤いマントとネクタイ、それと赤いサングラス。もう、火、そのものですね。グールドのローゲはキャラクターがきまっていて、また、大きなしぐさではないのですけれど、その動きで状況が明確にわかる。声の張り具合、動きともにツボにはまったものでした。次の3場ニーベルハイムでもほぼ主役モードにふさわしいものでした。
飯守の棒は次の第3場の猛速などあり、結果的にはこの2場のフライアのリンゴ欲しい局面でのスローモーション的な味わいは薄れていて割とさらっと通過。
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2場から3場への動きは新国立ならではの上下移動を活用したもの、地下のニーベルハイムは視覚的に容易に受け入れられるもの。ただここも奥ゆき活用があまり無く上の舞台のだだっ広さに比べて地下は狭い印象。
アルベリヒにこき使われているミーメ、彼とローゲの会話、そしてローゲがアルベリヒに頭巾で出来ることを煽る。蛙は少し大きすぎましたが、とはいっても大蛇は舞台をいっぱいに使って口と歯しか見えませんでしたからちょうどよいサイズの蛙とも言えなくもない。
ローゲの歌唱とウィットにとんだしぐさは策士そのものであり、それはヴォータンも認めていて、リンゴ不足とは関係無く何もすることが無い感じ。
問題はここでの飯守の過激な(俊敏な)棒、テンポの出し入れはアコーディオンの蛇腹のようだし、特に猛速はついていけないほど。舞台だけ見ているとよくわからないものですが、とにかくのテンポ。このような飯守の解釈は初めて聴きました。なにかに駆り立てられているようにも聴こえてきましたけれど。伸縮自在で説得力はありました。
ハープ6本、16型(たぶん)で立錐の余地のないピット。座って演奏するのが困難ではないのかとさえ見える。とにかく鳴り続けるオケにはブラッシュアップの余地は多くあると思いますが、3場の猛速箇所の合いっぷりだけ聴いていると指揮者ともどもかなり積んできたもののはず。
この場ではPAの鳴りがでかかった。
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最終の場は2場と同じ。
ここは少し音楽が緩んだ空気をはらんで欲しいと思うところです。緊張感から神様の余裕みたいなものがみえるといいのですが、そうもいかない。
ヴォータンがアルベリヒから奪い取った黄金は巨人兄弟に渡さないと人質フライアは返してもらえない。黄金を積んでも、まだ隙間があるからそこから愛しのフライアが見えてしまうとファーゾルト。頭巾も取り上げられ、リングも欲しいと、リングは渡さないというヴォータンに、突然あらわれたエルダの言うことをきいてリングも渡す。エルダのクリスタ・マイヤーは短い歌唱でしかないのですが、その声の角張らない柔らかさ、余裕の風格、他を圧した感がありました。
兄弟喧嘩でファーゾルトの妻屋さんがうつぶせに、そして最後までうつぶせで出ずっぱりです。

ボクサー黒田のドンナーのグローブの一撃で奥に縦に虹が現れる。
ツイッターでは、神様ダンスといっていましたが、個人的には昔から、はないちもんめ、といっています。5人によるその神様ダンスが舞台右サイド、後ろ向きにステップされ虹の橋に向かい入城、この終結音楽を聴いているといよいよリングが始まるという雰囲気を醸し出しながら、エンド。
幕が下り、カーテンコール、幕が上がり、まだうつ伏せのファーゾルト妻屋を起こしに行くヴォータン、もしかして寝ていたのかな、まさか。


以上、初日公演。