河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1994- アレクサンダー・ロマノフスキー、ラフマニノフPfcon2、小泉、都響、2015.10.11

2015-10-12 14:06:11 | コンサート

2015年10月11日(日) 2:00pm 東京芸術劇場

カバレフスキー コラ・ブルニョン序曲 5′

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調 11′11′11′
 ピアノ、アレクサンダー・ロマノフスキー
(encore)ショパン 革命 3′

Int

グラズノフ 四季より 秋 11′

ボロディン イーゴリ公より、序曲、ダッタン人の踊り  10′12′

小泉和裕 指揮 東京都交響楽団


ロマノフスキーの演奏は今年の初めにノセダ&N響で2度聴いた。今回は都響の伴奏で。
ロマノフスキーの手は大きくてポーンポーンと跳ね上げる様な動き、それと深く押して美しいピアニシモを奏でるときもある。音は柔らかく、作為的な技巧をまるで感じさせない。淡々と進めていく。大きな手で柔らかなタッチ、鍵盤が音楽を求めているように指が吸い込まれていく感じ。昔聴いたホロヴィッツも手が大きくて、同じような響きだった。鍵盤に向き合う姿勢も似ている。姿勢をただし呼吸を整えてそれから、きれいな音で柔らかく大きく包み込む。
強弱で大きな波をつけていくというよりは、流れるようなフレーズが連鎖していく、呼吸がつながっていく。バスは明確、右手できらびやかさが。
この曲は各楽章がだいたい同じタイミングでサイズもコンパクト、プレイするほうも聴くほうも手垢にまみれたというわけではないが、なんだか小曲の域になってしまった雰囲気がしないでもない。
そのような思いとは関係なく、ロマノフスキーは淡々と独自の世界をひらきつつあるのでしょう、いい演奏でした。

いい演奏ではあった。
しかしあの伴奏はどうだろう。指揮者は一度もピアニストを見ませんでした。振り向きしぐさが最後に一度ありましたが、あれでは伴奏としてはお話にならない。冒頭ピアノソロから始まる曲とは言え、ロマノフスキーが指揮者の顔を覗き込みアイコンタクトを求めているのに、小泉はオケを向いてただ立っているだけ。ピアノの音が出れば棒を振りはじめるのは自明ながらどうかと思う。結局最後までこのような具合で、オーケストラとピアノは淡々と別の世界を歩み続けるというまことに珍妙なものとなってしまいました。
もし、指揮者やオーケストラが、おいらたちが格上で君のプレイの伴奏をつけてあげるんだから、みたいな気持ちがあったとすれば、それはゆゆしき事態といえる。極度の美化とおごりは滅亡を招く。

この日は一連のロシア物を並べた名曲コンサートでそれでかどうかわかりませんが2番コンチェルト。自分の好みとしては3番を、いつか聴いてみたいものです。名曲陳列コンサートでは難しい選択なのでしょう。


ルーチンワークで気持ちにゆるみが出ればそれはトップオケとは言えません。
全4曲、気持ちのはいっていない演奏で、いつもの短い演奏会の延長のような雰囲気のもと、グラズノフはいつぞやの全曲演奏時からのピックアップでしょうし、ボロディンでは序曲後のコンマスと指揮者の息の合わない具合がそこで拍手を聴衆に求めるためにこちらを向くという苦肉のアクションになったのでしょうし、ただ単に技巧で並べた演奏でルーチンワークを見下したようなプレイだったと思います。やる気パワーがこのようにまだら模様でムラがあり、シーズン通して気持ちのコンディションのレベルを持ち上げ続けるのは簡単ではないのでしょう。
ホールは満員御礼状態でした。
残念な演奏会でした。
おわり