2015年10月1日(木) 7:00-9:40pm Opera Palace、新国立劇場、初台
新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996
ラインの黄金 2時間35分 approx.
第1場 25′(間奏の前まで)
第2場 50′(〃)
第3場 25′(〃)
第4場 45+10′
キャスト (in order of appearance)
1.アルベリヒ、 トーマス・ガゼリ (Br)
2.ヴォークリンデ、 増田のり子 (S)
2.ヴェルグンデ、 池田香織 (Ms)
2.フロースヒルデ、 清水華澄 (Ms)
3.ヴォータン、 ユッカ・ラジライネン (BsBr)
4.フリッカ、 シモーネ・シュレーダー (Ms)
5.フライア、 安藤赴美子 (S)
6.ファーゾルト、 妻屋秀和 (Bs)
6.ファフナー、 クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
7.フロー、 片寄純也 (T)
8.ドンナー、 黒田博 (Br)
9.ローゲ、 ステファン・グールド (T)
10.ミーメ、 アンドレアス・コンラッド (T)
11.エルダ、 クリスタ・マイヤー (Ms)
飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団
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新国立としてはキース・ウォーナーのトーキョーリングに続く2回目のリング・サイクルの制作、その初回第1弾はラインの黄金。
今回、ニュープロダクションとは言っても2000年いっぱいで亡くなったゲッツ・フリードリヒの最後のプロダクションの活用で、1996年に既にヘルシンキのフィンランド国立歌劇場で初演済み。
飯守さんはゲッツの他の作品演出も含めて私淑しているというより、もともと一緒に仕事をした敬愛する先輩格の人という感じなのだと思う。披露するタイミングとして今シーズン初日に合わせたあたりやる気満々、満を持してということでしょう。
今回のリング・サイクルはこのラインの黄金に続き、来シーズンにワルキューレ、来々シーズンはジークフリート、神々の黄昏、といった具合で、3シーズンで完結させるようです。
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音が出る前にアルベリヒが登場、このようなスタイルは既に1988年クプファーがバイロイトでやっていたことでもあり、そして1996年といえば今からおよそ20年前。この種の演出は今ではやりつくされており、そういう意味では、演出は陳腐になり音楽だけが残る、という現象の通過点を見ているような気持になってくる。ただ、色々観ている人たちにとっては過去の通過点をあとで見ているような具合であっても、ここが起点の人もいるので、いいわるいの話では全くない。
アルベリヒがステージ前方に現れ、舞台の大きい目のような中に映る木のシルエットを見ている。始まりとしては大仰なフリで、またかという人もいるかもしれない。どっちにしても最初の見得のようなもので、リングではこのラインの黄金でしかできないようなものでもあるし、このフリから始まる作品はもっと大仰であり、前奏での力負けはない。
幕が開きラインの乙女、そして川を表わすものは横に長い線のLED光(たぶん)が前後する。20年前ならば蛍光灯だったかもしれない。そのような具合はあるが奇抜さというより、もはや底辺に流れるドイツ的オーソドックスなスタイルが基盤をなしていると感じる。
この第1場、ちょっと長く感じた。物語の冒頭の場としてポイントになるところではあるが、ちょっとだれました。
ラインの乙女もアルベリヒも動きが激しいせいか、正面席で観ましたけれども声が必要以上に大きくなったり小さくなったり波がある。特にラインの乙女は、例えば昨年聴いたコンサートスタイルの東京春祭の出来とは歌い手が同じ違うといったこと以上に良いものとは言えなかった。動けて歌える歌手が必要です。
アルベリヒは場数を踏んでいるのは明らかで職人の域、やはり動きに問題ありとはいえ、ポイントをおさえた歌唱時の静止などは経験の積み重ねのたまものでしょうね。
いずれにしても、導入の第1場ではありますが25分が長かった。
右サイドに置いてある仰向けの顔の石像の様なもの、あれはなんだったのかしら。
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第2場は登場人物が8人いてごたごたします。新国立の豊かな奥ゆきの活用がありませんから、あまり無い横幅で8人が動き回るので多少窮屈。誰がロールなのかわからない歌唱ですから、みなさん自分の役目をそれぞれきっちりこなしていく感じ。
替わって、しぐさと衣装の面白さがあります。宇宙服を着たような巨人兄弟、ボクサーのドンナーはエアーボクサーというかシャドーボクシングに余念がありません。最終的にはあのグローブの一撃で鬱陶しい空気を払いのけることになりますね。フローは他人事のように巨人とヴォータンのやりとりを見ている。
宇宙服の方は、第4場ではスーツ姿で戻ってきますが、この2人のしぐさはこの2場ではコミカルなものです。まともなのは、最初に槍を持っていなかったヴォータン、それにフリッカ、それにフライアあたりです。
ローゲはスーツに赤いマントとネクタイ、それと赤いサングラス。もう、火、そのものですね。グールドのローゲはキャラクターがきまっていて、また、大きなしぐさではないのですけれど、その動きで状況が明確にわかる。声の張り具合、動きともにツボにはまったものでした。次の3場ニーベルハイムでもほぼ主役モードにふさわしいものでした。
飯守の棒は次の第3場の猛速などあり、結果的にはこの2場のフライアのリンゴ欲しい局面でのスローモーション的な味わいは薄れていて割とさらっと通過。
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2場から3場への動きは新国立ならではの上下移動を活用したもの、地下のニーベルハイムは視覚的に容易に受け入れられるもの。ただここも奥ゆき活用があまり無く上の舞台のだだっ広さに比べて地下は狭い印象。
アルベリヒにこき使われているミーメ、彼とローゲの会話、そしてローゲがアルベリヒに頭巾で出来ることを煽る。蛙は少し大きすぎましたが、とはいっても大蛇は舞台をいっぱいに使って口と歯しか見えませんでしたからちょうどよいサイズの蛙とも言えなくもない。
ローゲの歌唱とウィットにとんだしぐさは策士そのものであり、それはヴォータンも認めていて、リンゴ不足とは関係無く何もすることが無い感じ。
問題はここでの飯守の過激な(俊敏な)棒、テンポの出し入れはアコーディオンの蛇腹のようだし、特に猛速はついていけないほど。舞台だけ見ているとよくわからないものですが、とにかくのテンポ。このような飯守の解釈は初めて聴きました。なにかに駆り立てられているようにも聴こえてきましたけれど。伸縮自在で説得力はありました。
ハープ6本、16型(たぶん)で立錐の余地のないピット。座って演奏するのが困難ではないのかとさえ見える。とにかく鳴り続けるオケにはブラッシュアップの余地は多くあると思いますが、3場の猛速箇所の合いっぷりだけ聴いていると指揮者ともどもかなり積んできたもののはず。
この場ではPAの鳴りがでかかった。
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最終の場は2場と同じ。
ここは少し音楽が緩んだ空気をはらんで欲しいと思うところです。緊張感から神様の余裕みたいなものがみえるといいのですが、そうもいかない。
ヴォータンがアルベリヒから奪い取った黄金は巨人兄弟に渡さないと人質フライアは返してもらえない。黄金を積んでも、まだ隙間があるからそこから愛しのフライアが見えてしまうとファーゾルト。頭巾も取り上げられ、リングも欲しいと、リングは渡さないというヴォータンに、突然あらわれたエルダの言うことをきいてリングも渡す。エルダのクリスタ・マイヤーは短い歌唱でしかないのですが、その声の角張らない柔らかさ、余裕の風格、他を圧した感がありました。
兄弟喧嘩でファーゾルトの妻屋さんがうつぶせに、そして最後までうつぶせで出ずっぱりです。
ボクサー黒田のドンナーのグローブの一撃で奥に縦に虹が現れる。
ツイッターでは、神様ダンスといっていましたが、個人的には昔から、はないちもんめ、といっています。5人によるその神様ダンスが舞台右サイド、後ろ向きにステップされ虹の橋に向かい入城、この終結音楽を聴いているといよいよリングが始まるという雰囲気を醸し出しながら、エンド。
幕が下り、カーテンコール、幕が上がり、まだうつ伏せのファーゾルト妻屋を起こしに行くヴォータン、もしかして寝ていたのかな、まさか。
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以上、初日公演。
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