河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1659-≪独立宣言238年 自由の女神128年≫2014.7.4、and NYP 172年

2014-07-03 23:54:50 | インポート

1659-≪独立宣言238年 自由の女神128年≫2014.7.4、and NYP 172年
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ブロードウエイはパインストリートを越え、右にトリニティーチャーチを仰ぎ見ながら、ウォールストリートをやり過ごし、レクターストリートをスキップすると、まもなくバッテリーパークに着く。そこから見るやや遠目の、スタチュー・オブ・リバティーは今日もしっかり立っている。
昔、地下鉄コートランド駅、アレキサンダー・デパートの上に天までとどくビルがあった頃、その天から睥睨したながめは絶景であった。右にハドソンリヴァー、その先にニュージャージー、左にイーストリヴァーを見ながら、そして正面やや左にスタッテン・アイランド、やや右に、スタチュー・オブ・リバティーを展望することが出来た。ジャンプするとどこまでも飛んでいけるような気がした。そのビルも今は無い。
アメリカが独立宣言をしたのが1776年。独立百年記念で自由の女神をフランスから寄贈されたのが1886年。百年記念と言いながら、110年たっていた。だから自由の女神寄贈100年祭は1986年。このお祭りのとき、レーガン大統領はたしか空母だか戦艦だかを降りなかったはずだ。当時リビアのカダフィがマンハッタンの地下鉄に爆弾を仕掛ける、などといった噂がニューヨークに流れていたのだ。100年祭で世界中からたくさんの船が来てお祝いをし、自国の、島のような空母、戦艦なども山のように寄港した。しかし、レーガンは確か上陸しなかった。いずれにしろ独立記念日と自由の女神寄贈とは百年単位+10年という割と中途半端な数値である。
バッテリーパークでのお祭りは、ウォールストリートから近いこともあり会社が済んでから行ってみた。空母の巨大さはアンビリーバブル。あとはジャンクフードと自由の女神オブジェを頭に乗せ、ビールで酔った。

ニューヨーク・フィルの最初の公演は1842年アポロ劇場においておこなわれた。思えば長い歳月が経ったものだ。ざっと172年。数々の指揮者がオーケストラとともにあった。未来の音は聴くことが出来ない。しかし音を出すことによってしか未来は創造出来ない。未来を創造するのは夢・希望に膨らむ若手プレーヤーをおいて他にない。河童に出来ることは残念ながら昔の音を思い出すということだけだ。
指揮者と歌い手、変な話、亡くなると両方ともあっという間に忘れ去られてしまう。例えばギュンター・ヴァントの盛り上がり。あれは一体なんだったのか。その意味では聴衆は冷たい。今、ここで、音楽を発する演奏家が大事なのである。この冷たい現実はしかししっかり受けとめなければならない。音楽をする喜びとともに聴かせることが出来る喜び、両方感じたい。
作曲家は未来の音を予言する。聴衆にとっては予期せぬものだから張り切って聴けばいいものを、その根性がなくなってきている。駄作が増えたのではなく、予期せぬ音楽の広がり緊張感についていけなくなってしまったのだ。最近の河童は半世紀前のいわゆる当時の現代音楽も何故か懐かしい。誰か音楽の行き先を教えて欲しいものだ。Too ripeした音楽はどこへ向かっているのであろうか。
(**ストリート、年、などは記憶だけで書いています)
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掲載写真は約100年前のもの。トリニティーチャーチを南西方向から。
チャーチ先の左から右にある道路がブロードウエイ(左がアッパー、右はバッテリーパークへ。チャーチ先から奥への道路がウォールストリート。手前の広場は予約待ちが地面に重層しているらしい著名人の墓たち。)

(RV3)


1658- ベンジャミン、曙光、リンドベルイ、ウア、グリゼイ、周期、クセナキス、ジャロン、板倉康明、

2014-07-03 23:44:32 | インポート

1658- ベンジャミン、曙光、リンドベルイ、ウア、グリゼイ、周期、クセナキス、ジャロン、板倉康明、東京シンフォニエッタ2014.7.3
2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年7月3日(木)7:00pm ブルーローズ、サントリー
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ジョージ・ベンジャミン 曙光 20′
マグヌス・リンドベルイ ウア 14′
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ジェラール・グリゼイ 周期 14′
ヤニス・クセナキス ジャロン 16′
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板倉康明 指揮 東京シンフォニエッタ
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全部知らない曲、例によって曲ごとの配置換えに時間がかかる現代音楽、これはどこのオケでも同じ。正味の演奏時間は短いものです。
そもそも自然界に逆らっているというか、馴染まない曲が多い現代の音楽ですから、1曲の時間そのものが短い。長く出来ない。構造を作れないと換言してもいいかと思います。ストーリーのあるものは金がかかるのでこれまた出来ない。問題だけ浮き彫りになるようなところもありますが、そんななかでこのように時代の音楽を続けていくというのは、並大抵のことではないと思われ、その努力に頭が下がります。
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ベンジャミンの曙光、音が何やら底の浅い濾過装置の上の方で音が飛び跳ねる感じ。
リンドベルイのウア、編成はvn, vc, cb, cl, bscl, 電子楽器。なんというか、機械の主音ではなく副音(派生音)のきしみで鳴っているようなところがあり、音楽とは少し違うかもしれない
グリゼイの周期、演奏の中に演奏者によるジェスチャーが入り込むという面白い動きあり。
クセナキスのジャロン、クセナキスが聴いていて1番安心するという妙な気持、時代は流れていく。
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以上、短い曲が4曲、1曲あたり千円の4千円コンサート。
プレイヤーのスキルレベルが高い演奏でした。クセナキスは小型オケサイズに膨れるが、響き自体はむしろこじんまりとした印象。概ね満足。
今の時代音楽は甘くていまいちなのが多いですが、今日のコンサートの時代音楽はみんな何か機械油のようなものを求めて鳴っている。生きたエネルギーを感じる曲でした。
おわり