河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1665- プロメテウスの創造物、わたしは改めて太陽の下に行われる虐げのすべてを見た、トレーケル、運命、インゴ・メッツマッハー、新日フィル、2014.7.18

2014-07-18 23:51:09 | コンサート

2014年7月18日(金)7:15pm トリフォニー

ベートーヴェン プロメテウスの創造物、序曲5′

ツィンマーマン
わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た(japan premiere)
キャスト(in order of appearance)
第1の話者(伝道師ソロモン)、松原友
伝道師ソロモン、ローマン・トレーケル
第2の話者(カラマーゾフのイワン)、多田羅迪夫

Int
ベートーヴェン 交響曲第5番 7′8′5′10′

インゴ・メッツマッハー 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


日本初演のツィンマーマン、リブレットに沿い実測タイミングを書いておきます。
第1シーン+間奏 4′
第2シーン+間奏 8′
第3シーン+間奏 2′
第4シーン+間奏 4′
第5シーン+間奏 5′
第6シーン 7′15″
(*この第6シーンでは6分ぐらい演奏したところで、メッツマッハーが指揮台に座る、そのまま2分ほど演奏が続き、最後15秒ほど調和したコラールがあって終わる)


5日前と同様、ベートーヴェンのプログラムにツィンマーマンがはさまれている。この企画素晴らしすぎる。シリーズ2回目。

プロメテウスは慣らし運転だが前回のエグモントと同様、充実の演奏。
そして2曲目のツィンマーマン、旧約聖書とドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟のストーリーが二人の語り手により弧を描くように語られる。ユニークすぎる。一秒たりとも目も耳も舞台から離れてはいけない。
伝道師トレーケルは黒衣装、長身痩躯で風になびく骸骨のようだ。カラマーゾフの話者は曲者イワン。
異様な音楽展開はドラマなのかどうか判然としない、二人の語りは腕を開いたり足踏みしたりと奇抜な動きをまじえつつ進行。なんだかとんでもない世界に足を踏み入れてしまったような。ト書きにあるように最後、指揮者は指揮台に座り込む、激しく暗い音楽と真の天才的なひらめきの音楽。何をどういえばいいのかわからない。作曲家の病んだ脳みその裏側を覗きこむような曲、素晴らしいというのだろうか。病んでも解決や救済はいるというのか、最後の15秒は突然バッハのコラールがブラスにより響き渡る。名状し難い病理の世界なのか、精神の安定と解決の響きなのか。こんなに楽しくない音楽は無いだろう。
カラマーゾフの兄弟を読んでいれば少し楽。

ツィンマーマンの毒気が抜けないうちに始まった後半の運命は、全般的にちょっと乱れてしまいましたが、ダレたわけではなく前半の緊張感が維持されたもので引き締まっていたように思います。音のうねりもあったと思います。
出だしは、メッツが早くやろうという感じでしたが、モジャモジャコンマスはゆっくりしたもので、息が合わないというよりメッツに無視されているのがいやなのかもしれない。メッツはハーディングと違い、モジャモジャさんを頻繁にちら見したり抱きついたりしない、ほとんど見向きをしない、これは悪気があってしているわけではなく、メッツにとってコンマスはそこにデフォで存在し相応の役目を果たすものという前提でしかないものだからかということだと思いますよ。役割分担という考え方が明確なのであってドライと言えばドライ、ただ、無理して割り切っているという感覚はない。指揮者とコンマスの天然の相違は困ったものですが、ここは当然コンマスがメッツの意思をくみ取り全体に伝えるようにするべきです。そういう役目のポジションなんですから。

ということでこの運命、メッツがあれだけ急き立てているのに、そのラインに乗ってこない。だからますます急き立てアクションになる。それの繰り返しで、コンマスがもっと意を汲んでプレイすればぐっと決まるのに。密な連携が取れていない。
それでもこれだけ快活な演奏となったのはメッツの強引さが功を奏したものであるのかもしれません。
次回からはそりこみコンマスでいいかとおもいます。
おわり