河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1438- シリアスなカリスマ棒、大野和士、小山実稚恵、読響、ラフマニノフ3番コンチェルト、アルプス

2013-01-11 01:00:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
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2013年1月9日(水)7:00pm
サントリーホール
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ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
 ピアノ、小山実稚恵
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シュトラウス アルプス交響曲
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大野和士 指揮 読売日本交響楽団
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やっぱり世界レベル棒は観た目も中身も、ちがうなぁとあらためて実感。小沢が若かった頃の八面六臂の活躍時代の棒も世界棒だった。そんなことを思い出した。
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大野は少し太ったような気がするが動きは冴えている。
自分の胸の前でガチッガチッときめていくあたりは若い頃のジュリーニの雰囲気、あすこまで過激な振りまわし棒ではないが、似てなくもない。また棒を持った右腕の押し出しはカラヤンやノイマンに似ている。ノイマンは少し硬かった。
左腕はフレーズにメリハリをつけるときに雄弁な動きとなる。ブーレーズのチョップのようだ。ときに交通整理的な気配もある。たとえどんなにこんがらかっても次のフレーズからきれいにスタートできる。等々。
一言で言うとオペラ棒。
克明な拍子取りは、リズムをとるための正確な拍子振りというよりも音楽を駆り立てる為の一要素でもありそうだ。ムーティなどと同じスタイル。
リズム取りをやめて滑らかなフレージング表現や、ときに棒を震わす感情表現はレヴァインなどもやる。音の流れに間を作っていくというより、頂点に向けて、ためを作っていきながら大きな流れを表現、圧巻。
アルプスの頂点で、腕と棒を下に押し下げていく、観た目の棒さばきに屈服する。
それと、節まわし的なフレーズの入りに微妙に腕で「こぶし」をつけていく。これなどオペラの振り。
同じオペラ振りでも、昨年の来日指揮者で言うと、ティーレマンの釘を抜く様な下から上への硬い動きとは正反対。ゲルギエフはもっと柔らかいが、釘を抜いてもう一度打ち込むあたりでようやくマリンスキーの第一音目がでてくる。これなどとも明らかに正反対。
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それから、笑わない、にやけない。オケにこびない。迎合しない。音楽だけに集中していくので、ステージに乗ったオーケストラに緊張感が降り注がれる。明らかに空気感が変わる。このオーケストラは古くはチェリビダッケや、現在のミスターSのように空気が変わることの意味を経験してきているのでよくわかっていることと思う。
空気が変わるというのはオーラが出るということかもしれない。
いずれにしてもシリアスなカリスマ棒であって世界レベルのオーケストラもこれなら納得でついてくるだろう。オーケストラを一瞬で掌握できる力を持っている。


アルプス交響曲というのは、チューバ2本揃えた、あとは推して知るべしの巨大編成。吹奏楽コンクールの自由曲約8分間の編曲にも耐える。
登るときも下るときも主旋律が下降音型という不思議な曲で、スペクタクルでありながらどことなく物憂げなところがある。標題音楽の中に心象風景を感じる。
大野の前にスコアはない。50分の間、いたるところ完全に指示が行き届いておりました。彼の演奏ヒストリーは知らないが、十八番なのは間違いないところ。さきざきのオーケストラで振っているのではないか。
縦を揃えてパーンとやるのではなく流れを作っていく演奏。聴く方としても一音一音味わいながら聴くことができる。ウィンドの中心的なソロ、ホルンの高音フレーズ、すそ野の草花の味わい。融けた氷のしずく。
弦の雄弁な表現。大海の波のようでもある。曲は山関係だが。
ブラスの圧倒的吹奏はなにかアイスバーン的だ。フレージングは滑らかだが粘着質にならず。ためを意識的に明確に作って劇的な表現となるが、変にねばりっけのある演奏とはならない。先に進んでいく。
表面的なパースペクティブ効果は曲から自然に出てくるので、流れを大野が作る。弦がうねりを作る。響きは大野の棒の先から見事に出てくる。これまで十分に消化したものの再構築。素晴らしい。尋常でない指示を見ているとこれまで胃袋4個分ぐらい消化してきているのではないか。
後半、終曲「夜」に至る前のオルガン・サウンドにはお尻が振動したが、なにか祈りのようでもある。大標題音楽の終曲はアルプス壁画を観るシュトラウスの心象風景であり静かな感動とともに終わる。大野の両てのひらが5センチほど動き曲は消える。ここで初めて長いゲネラル・パウゼが現われました。
お見事。
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前半はラフマニノフの3番コンチェルト。
自分でイメージする理想の一夜プログラムビルディングはこんな感じ。
ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 pf、ホロヴィッツ
ラフマニノフ 交響曲第3番
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この協奏曲はよく聴くと冒頭のゆれる小舟のような序奏に続いて出てくるピアノの主題が全てであとはそれの変奏のように聴こえる。
ピアノは最初から最後まで弾きっぱなしで緊張感の保持が大変だと思う。
ホロヴィッツはこの曲を何度も演奏、録音していて、そのみずみずしさと駆り立てで際立っている。手の大きさが見えてくるような演奏ですから。
この日の小山の演奏もみずみずしい。深く鍵盤を彫り、ときに水平に流れていく。表現が多彩で息をつかせない。
第1楽章後半少し緊張の糸が弛緩したような気がしたが気のせいだろう。この曲は緩んだら持ち直すのが大変だ。こっちのせいだな。第1楽章が終わればあとは終わった様なものだ。流れに身をまかせることができる。
第3楽章の終わりの前の、祈りのコラールのような響きが魅惑的で何度も聴いた曲だ。ここを小山さんはきめてくれました。
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大野はスコアめくりまくり。でも味わい深い。要所を締めるというか、ツボを心得ているというか、なんとも言えない曲との一体感。そしてピアニストとの呼吸。やっぱり棒が素晴らしい説得力を持って迫ってくる。
ラフマニノフ特有の最後の丸め込むようなエンディングをものの見事にきめて、音が終わっても腕と棒が振るえているあたり、演技ではない音楽感情の高揚感の押しとどめを自分でやっているようにも見え、この集中力、打ち込みがすごいですね。巨匠の芸風。
実力の指揮者だなぁ。
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ということでこの日は大野の棒を、お初のP席から隈なく観ました。
終わり


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