河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1439- 【本】モーツァルトとナチス

2013-01-13 10:54:41 | 本と雑誌

Mozart20130113

モーツァルトとナチス

エリック・リーヴィー著
高橋宣也訳、白水社・4000円

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評>音楽学者 岡田暁生

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戦中・戦後の音楽の政治利用
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ナチス・ドイツによるワーグナーの政治利用はよく知られている。そもそもマッチョなヒロイズムを果てしなく煽(あお)るワーグナーの音楽こそ、ナチズムの原型そのものですらあるだろう。だがモーツァルトはどうか? そのロココ風の優美と官能と戯れとコスモポリタニズムは、一見ナチス的なものの対極にあると見える。そもそもザルツブルク生まれの彼はドイツ人ですらない。本来なら不道徳かつ不健全な退廃芸術の烙印(らくいん)を押されて上演禁止になっても不思議ではないところだ。だがナチスはなぜかモーツァルトを発禁処分にはしなかった。それどころか戦中の彼は、まるで「名誉ナチ党員のように持ち上げられた」。
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 モーツァルトのゲルマン化に嬉々(きき)と馳(は)せ参じたのが音楽学者たちである。大研究者たちの名前が次々に出てくる。彼らは戦中、至極真面目に「モーツァルトの音楽におけるドイツ性」を立証しようとした。またオペラの上演においては、ユダヤ人であるダ・ポンテのイタリア語の歌詞は、すべてドイツ語に翻訳されて歌われた。モーツァルト映画も作られた。とはいえベートーヴェンやワーグナーと違いモーツァルトは、どう小細工しようが、愛国心高揚には利用しようのないところがある。ナチスによるモーツァルトのアーリア化は、どことなく中途半端に終わった印象だ。
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 興味深いのはむしろ、戦後オーストリアによるモーツァルトの、ほとんど恥知らずな政治利用である。戦後のオーストリアが、あたかも自分たちはナチスの被害者であったような顔をし、戦後決算を曖昧なままにしてきたことは、よく知られている。ザルツブルクも含めオーストリアの多くの都市が、実際はナチズムの巣窟であったにもかかわらず、である。そしてモーツァルトの音楽は、まさにそのコスモポリタニズムの故に、戦後オーストリアが「自分たちはナチスとは違う」というポーズをとるための金看板として、利用された。国境を超えたオーストリア的友愛のシンボルへと、奉られ始めたのである。まったく政治による文化利用ほど度し難いものはない。
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