河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1413- ウィーン弦楽四重奏団フィリアホール・イン・青葉台2012.11.16

2012-11-19 20:00:00 | インポート

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2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2012年11月16日(金)7:00pm
フィリアホール
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ハイドン SQ第39番ハ長調Op.33-3, Hob.Ⅲ-39「鳥」
モーツァルト SQ第17番変ロ長調K.458「狩」
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★ 休憩時間“ウィーン伝統菓子”のサービスつき。
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シューベルト SQ第14番ニ短調D810「死と乙女」
(アンコール)
モーツァルト SQ第19番「不協和音」より第2楽章
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ウィーンSQ
 第1ヴァイオリン=ウェルナー・ヒンク
第2ヴァイオリン=フーベルト・クロイザマー
ヴィオラ=ハンス・ペーター・オクセンホファー
チェロ=フリッツ・ドレシャル
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弦楽四重奏、何年ぶりにきくのか、前回いつ聴いたのか覚えていない。メモにもなかなか表れてこず。
青葉台までは結構な時間がかかりますが、せっかくのいただきものでしたので無駄にせず、の精神で。
まず、このホールはお初です。500人規模ということでコンパクト、一階ステージ奥から最後方の席までの距離より、土間から天井までの距離の方があるのではないか。そんな感じです。ホール音は少し明るめで、落ち着いている。たぶん、小編成オケなんかよりも室内楽の方がしっくりしていそう。二階に座りましたが席幅がなく窮屈な一面も。
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前半の鳥、狩。今更呼吸がよくあっているなんて書いてもしょうがありません。水準が維持されたまま、アンサンブルにとどまることなく、各楽器それぞれの節まわしはわりと自由にやっている、余裕の演奏でそれが一つのスタイルにさえなってしまっている。一言で言うとそういったところか。こうゆうのを味わい深いっていうのかも。
チェロのヴィヴラートがかなり強烈ですね、気になるということはありません、この楽器が安定感を示さないと始まらないわけで。
スタッカート的な音楽の喜びよりも、密な流れが心地よい。変化を求めるという言葉自体あまり意味を持たないのかなと思います。形式感へのこだわりはなくそれらは歴史の流れから言うとむしろ音楽が前進する材料として必然的に出てきたものであり肩ひじ張らずに聴けと言われているような気がしました。ベートーヴェンがこのようなものでは物足りなかったというのはもはや明白とさえ言えると思います。
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後半の死と乙女は前半とは異なります。ドラマチックで音楽の持つ劇的効果を、形式感を持たせながら(形式表現を使いながら)表現する。前半とはまるで違う世界。これはやにっこいニ短調ですね、フランク、ブル9、第九、シュマ4、たしかにやにっこい、ニ短調。
気合を入れないと没我できない。
同じシューベルトの未完成はロ短調ですが、ムラヴィンスキーの絶演だとなにか死の淵から地獄を垣間見てそして上を向くと救済があった、そんな劇的なあたりは死と乙女と何か相関する部分を感じる。ただウィーンSQはそのようなものに特に光りをあてた演奏ではない。ぴったりとあったアンサンブルであるが、研ぎ澄まされているか、鋭い突っ込みがあれば相応の観点で面白く楽しめたような気もします。でもそれはこの四重奏団の性格を変えるといったところまで踏み込まないといけないわけで、それはこっちのわがまま。
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このホールの沿革を見ると、バブル期後半崩壊あたりに出来たようですね。約20年の歴史。初めて入りましたがホールスタッフの多さ、扱いのコネり具合など良く慣れたもので、おそらく年数というより回数を重ねている、比較的演奏会開催回数が多く場なれ、客扱いなれしている。こちらは安心してうろうろできる。
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休憩時間にウィーンの伝統菓子、リンツァーシュニッテン、一個配分のところ、お腹がすいていたため2個いただきました。失礼しました。おいしかったです。ありがとうございました。
(かたやビュッフェの400円コーヒーは全くいただけませんね。サントリーホールがその元凶(たしか)となったか全国各地、「ベラボーなコーヒーを飲んでブラボーの声は出ない、この値段で委員会」、チケット価格も含めサントリーの価格設定の真似をするのではなく、味のレベルを上げてほしいものです。(といっても真似するほどおいしくはないが)
今のところタリーズのブレンドショート300円の敵にもなれないなあ。(私はタリーズの回し者ではありませんがタリーズカードは持ってます。))
おわり


1412- パーフェクト公演、ゲルギエフ&マリインスキー NHK音楽祭2012.11.15

2012-11-19 01:30:00 | インポート

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2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2012年11月15日(木)7:00pm
NHKホール
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メシアン キリストの昇天
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シベリウス ヴァイオリン協奏曲
 ヴァイオリン、レオニダス・カヴァコス
(アンコール)
バッハ パルティータ第2番よりサラバンド
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プロコフィエフ 交響曲第5番
(アンコール)
ワーグナー ローエングリン、プレリュード
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素晴らしいプログラムと演奏。見事な集中力と緊張感。
私にとって 夢見心地の中にいるような2時間45分の演奏会でした。
メシアンの澱みと輝き、シベリウスのぶ厚くも巧みにコントロールされた咆哮、そしてプロコフィエフにおける滑らかさと荒々しさ。
多彩な表現は考えられ練り上げられており、クラクラとめくるめく音色やダイナミクスの変化に悶絶。素晴らしい演奏でした。
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一曲目のメシアンが始まるや否や、指揮者の右手にあるあれはなんだという話になりました。立てた小指と同じぐらいの長さの爪楊枝のようなものが右指でつままれ指揮棒のように動いている。最近のはやりなんでしょうか。噂どおりではありますが。
キリストの昇天27分。並々ならぬブラスセクションのハイテンション。ゲルギエフとこの歌劇場の関係はもう四半世紀にもなるはず、にもかかわらず毎度このテンションの高さには恐れ入る。これがこの指揮者のカリスマと呼ばれる一つの側面を表しているのかもしれない。
はたからみていると棒のわかりにくさはますます極端化し、最近の例でいうとティーレマンの倍ぐらいのしゃくりあげの揺り戻しあたりで音がようやく出てくる。これを見るだけで一つの芸でも見るようなおもむき。このわかりにくさがオケのハイテンションの一役を担っているところもあろう。でも、あすこまで極端だと、オケの音がようやく出てきたときが音楽の始まりで、もはやこのオーケストラの芸風といってもよく、ゲルギエフとは切っても切れない。とにかく出の遅さは特筆に値する。ゲルギエフが後かオケが後か。
それにしても素晴らしいブラスセクション。メシアンの意識された澱みの響きをものの見事に表現。音は敷き詰められペーヴメントのようになり、それは昔のレニングラード・フィルの雨に濡れた石畳とは異なるけれど、川面に見える浮草のごとき同じ自然な向きでまとまり流れる。なんと素晴らしい響きであることか!これでトゥーランガリラなどやられたらたぶん、失神する。
近くで見ているとそれぞれのアンサンブルとしての動きは非常に密なれど、ほとんど指揮者あっての響き合わせのように感じる。澱みの表現がこれだけ雄弁だともはや解放は不要というか聴かなくてもわかる。
そして弦のぶ厚くも透明な響き。深く碧い透明な海の底でも垣間見るような魅力的なサウンドはロシア特有なものであるけれど、どうすればあのような音になるのかな。
メシアンは響きです。自分が求めていたメシアンはこのようなものだったのかと。
それにしても見事な棒さばきだなぁ。緊張感を強いる、それでいて開放させる。この極意!
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前半一曲目のメシアン30分弱やって、普通の巷のコンサートだとここで休憩。しかし、ゲルギエフはもう一曲置きます。それもメシアンより長い。聴く前からわかっているとはいえ、すごいよね。
この日のシベリウスはちょっと後先逆になりますが、第3楽章の主題に絡めて魅惑的なチェロのソロが2回でてきました。ゲルギエフはこの曲の版の相違に関心があるようで、もしかして普段聴くのとは違っていたのかもしれない。ほかの箇所では特に気になるところはありませんでしたけど。
カヴァコスというヴァイオリニスト兼(指揮者)はお初でお目にかかります。場数をたくさん踏んでいるような余裕のしぐさなんですが、見た目とは逆になにかインターナショナルでないようなものを感じました。ローカルっぽいと言ってしまっては語弊がありますが、ゼロから作り上げた語り口のように感じました。シベコンには相当な自信をもっているように見受けられます。
容貌と似たような細身の音でその長髪のようなしなやかさをもっている。独特のシベリウス。ゲルギエフも若干抑え気味だったと思います。要所での咆哮はものすごかったがあくまでもヴァイオリン協奏曲です。
第1楽章17分の緊張感と音楽の構成感、縁取り感覚、息をのむゲルギエフの圧倒的な曲作りです。緊張感を保ったまま見事な演奏をおこなうオーケストラをバックにヴァイオリンが清く響くさまはもはやそれだけで感動的。素晴らしい。
第1楽章17分、第2楽章11分、第3楽章8分。
協奏曲の常で楽章を重ねるほどに尻つぼみ的になったりしますが、そもそも、運動の第3楽章は短くなる。普段なら感じない構成バランス、この日は第1楽章の張りつめた緊張感があまりにもすごくて、後半曲の弱さみたいなものを感じてしまうぐらいでした。
このシベリウスの協奏曲、なんど聴いても飽きません。最後の三つの打撃音に絡みつくソロ、お見事でした。
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プログラム後半はプロコフィエフの5番。
14分8分13分10分。
こんな完璧でエキサイティングな演奏聴いたことがありません。
深くて碧い弦の滑らかさと、それに対比するようにブラスと飛び跳ねるパーカッション。一見粗野とも思えるパーカッションの響き、ダイナミクスそれ自体が生き物のように咆哮を繰り返す。弦の滑らかさも極限状態。
前半のプログラムよりもさらにオーケストラはありえないレベル。
ダイナミクス、めくるめく音色変化(へんげ)、ありとあらゆる表現が極度に拡げられてプロコフィエフの面白さをものの見事に表現。トリッキーで嘲笑うようなプロコフィエフ、これを表現するには作曲者を越えて驚かさなければならない。
重くてふっきれない第1楽章や第3楽章にこれだけひき込まれるとは。めまぐるしく変わる音の魅力とともに、旋律の関連性も明確で曲としてのつながりを表現。全部同じ節でできているように聴こえてくるから不思議だ。
空虚でシニカル性さえ感じさせる終楽章が非常にエキサイティング徐々に加熱してくる。この楽章の序奏の後のヴァイオリンのチリチリした主題が、繰り返されると段々と興奮状態へ。これはプロコフィエフの意図していなかったものかもしれないが、ショスタコーヴィッチなどとは明らかに異なる諧謔性。こちらの興奮の色も少しは異なるかもしれない。
ゲルギエフの多彩な表現は驚くべき高みに達していると思いました。
この演奏、興奮しすぎて何を書けばいいのだろう。
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アンコールでよもやワーグナーが鳴り響こうとは思いませんでした。プロコフィエフのロメジュリなら話は楽ですが、ローエングリンの前奏曲です。また、ある程度長丁場覚悟。
弦の響きは最初に書いた通り魅力的なもの。そしてブラスの息の長い咆哮は緊張を保持したまま清奏される。プロコフィエフの運動の後にこのような整理体操こそふさわしいかもしれませんね。確かに氷河の束がまとまって動いているような感じ。
すこしだけ、2006年の同組み合わせによるリングサイクル(2回)思い起こしました。前回の来日ではパルジファルもやっておりますし、少なからず彼のワーグナーは聴いている。
長いアンコールですけれど緊張感を保ったままのマリインスキーの演奏はお見事の一言に尽きる。
おわり