河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1341- マーラー4番、読響、上岡2012.1.25

2012-01-26 20:21:01 | インポート

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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
2011-2012シーズン(一覧)
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2012年1月25日(水)7:00pm
サントリーホール
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モーツァルト 交響曲第34番
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マーラー 交響曲第4番
 キルステン・ブランク、ソプラノ
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上岡俊之 指揮 読売日本交響楽団
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この指揮者はお初で観ます。
スコアは置いてあるものの見ることもなく、曲をかみ砕いて消化し、いったん自分のものとしてから表現している(勉強と経験かな)ので、再創造というアウトプットとしての説得力は大きいものがあります。再創造する際のこの指揮者の解釈が、流れるような音楽なのか、そうでないのか、また、別のおもむきを示すのか、それは指揮者による再創造の多様性といいますか、そのようなものがあるわけで、その人なりの考えと方向感をもって表現することになると思うのですが、その考えが思う方向に合えばそれはベクトルの方向感が一致しみごとな演奏となる。今日の演奏は、棒が空振りになるようなことはよもやありませんでしたが、その内容がバットの真芯でとらえたものなのかどうか、どうやらそうではなかったというのが第一印象です。
振り姿はクライバーとマゼールを掛け合わせたような感じで、前半のモーツァルトはクライバー寄り、後半のマーラーはマゼール寄りの似姿。たまたまそうなってしまったのか、それともまねの産物なのかわかりませんが、かなり目障り。前半のモーツァルトで大きく弧を描く振り様が不正確性の要素を増大させ不安定さが増すのならあのスタイルはやめた方がいいと思う。そうではなくあの振り姿があるからこそ音楽が生きるというのならそれはそれでいいことだとは思うが、残念ながら前者の様相を呈していた。クライバー風な振りは別に悪くありませんが、身ほど流れていたかというとそうでもなくて、インストゥルメント単位とかアンサンブル毎の音の出し入れのニュアンスは指示通りであり立体感はありましたけれど、それが音楽の流れとなってワクワクと前進していたかというとそんなことはない。見た目ほど流れていない。むしろ細かいニュアンスが音楽の前進性を押しとどめている。停滞した立体感。流れるような身振りとの間にぶれがある。指揮者の方向感が見えてこない。立体感はあるがモノフォニックな響きで、それほどポリフォニーの世界観に腰をいれていないところも気になる。これは後半のマーラーでも感じました。
とにかく、全体的にちょっと、わからない。
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後半マーラーの4番。一言でいうと、次の主題の節(ふし)を思い出せないぐらい経過句を伸ばしきってしまい、構築物としてのバランスを著しく欠いた個所が散見、四見!次の主題を探り当てるスリルの伏線なのだ、と言われれば返す言葉もない。
ディテールにやたらと光を当てすぎる昨今の演奏とはちょっと違うとはいえ、局所的には断片を取り出せば同じような表現であり、今どきのマーラー解釈の延長にあるといえるかもしれない。
でも、主題そのものではなく移りゆく経過句を耽溺したリタルダンドのべき乗で伸ばしきる。聴衆としては珍しい解釈を聴いたという実感はあるかもしれない。ユニークな解釈で音楽は停止し構築物としてのバランスは悪く、ひずみが許される宇宙で音楽鑑賞をしているような居心地で、中空に漂う音響。ほぼ無い状態のポリフォニーの遊び。マーラーだから許容できる世界かな。指揮者自身はこの曲に対する全体的な造形感はしっかりともっていると思います。でなければこんな演奏表現できません。
後半のこのマーラー、今度はほぼマゼールの振り姿そのもの。こんなにそっくりなのは見たことが無い。横にかきむしる棒ですね。あとは譜面(ふづら)の拍子を克明にビート風にスウィング。本当によく似ている。だからどうだということは無いのですが、マゼールの場合、スウィング棒、かきむしり棒のスタイル通りの鋭い音が、タイミング通りに出てくる。
上岡の棒は、音楽がリズムを持たないところでもしっかりと小節とオタマを実感させるところがあり生きた音楽を感じることが出来ました。ので、余計なところで余計なことはしなくてもいいのではないか。努力と溢れる才能を別のところ使っているのかな、才能の浪費なら残念。音楽の方向だけに磨いてほしいと本当に思いました。
端的に言って動き過ぎは出てくる音が不正確になる確率が高まる。その証拠に経過句への耽溺部分では動きを抑えて、込めた音になっており正確性が微妙な色合いの音色まできっちりと表現され、思いが成し遂げられていた。これが主要主題に対しても同じように込めた棒になることを強要してはならないが、自然にそのうち、そうなるだろう。か。
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ブランクの声はこの曲には合わないと思いました。まず太い。マーラーの交響曲では一番静かなこの曲には合わない。また、ハイでは押しきらないと声が出ないような感じで劇的要素の強いワーグナーとかシュトラウスのサロメ、エレクトラ向きかな。プッチーニならトゥーランドット。
マーラーのこの曲の場合、アウフタクトではいって小節のあたま(つまり歌詞の二音節目)でハイにもっていく曲想があり、ここをグサッとアクセント気味に歌われるとかなり違和感を持つ。メゾ域からの人なのかな、ソプラノ・リリコ・スピント風で、強く歌うと音程が安定するようなところがありました。棒のほうも合わせようとしているのか、はたまた自分のペースにしようとしているのかよくわかりません。双方前向きな努力は見えましたが結果を生むには至らなかった。演奏の向きがバラバラになってしまった。
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後半のマーラーが特にそうでしたが、部分のきめ細やかさや美しさが全体としてまとまりを見せていたかというとそうでもない。構築物としての造形がメインテーマとなるハイドン、ベートーヴェン、ブルックナーあたりはいまの演奏表現スタイルでは疑問です。特に3主題構成のブルックナーの場合、主題の転換が多く経過句への過度なこだわりはピサの斜塔になっちまいます。倒れていないからいいのではないかということもありますが、いつか倒れるものと持ち直すものでは大きく異なります。(倒れる瞬間をみたいという気持ちもなくはないのですが)
モーツァルトとマーラーしかまだ聴いていないので、余計で過剰な杞憂であればいいのですけれど。
オケピットにはいって振りまくりのほうが視界を気にせずに済みそうだし、この日も目をつむればいい音が出てきている、そんな感じ。
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何と言いますか、あれです、このブログ河童メソッドの副題どおりです。
たまに副題も眺めてくださいませ。
おわり

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2 コメント

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テニス全豪オープン観戦中に、息抜きに読ませてい... (16_cimsoc)
2012-01-26 21:05:09
テニス全豪オープン観戦中に、息抜きに読ませていただきました。長い文章ですが非常にわかりやすいです。専門的なことがわからなくても、感じられたことは十分に伝わってきます。
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16_cimsocさま (河童メソッド)
2012-01-26 21:28:09
16_cimsocさま
ブログを読んでいただきましてありがとうございます。
息抜きになるかどうか、お役にたててなによりです。今後もよろしくお願いします。
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