1977年1977年聴いたコンサートより書いてます。
前回ブログ881-の続き
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1977年11月13日(日)19:00
普門館
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ベートーヴェン・チクルス第一夜
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ベートーヴェン/交響曲第1番
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ベートーヴェン/交響曲第3番
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ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベルリン・フィル
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このときの感想をメモにとってあるので、ほぼ、そのままアップします。
以下です。
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まず、ここは音楽会用のホールではない。“p”はまだしも、“f”はそれほど強く鳴らず、どうしようもない。ばかみたいに広いホールである。
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カラヤンは嫌いだった。が、なぜ嫌いだったのかよく考えたら理由は何もなかった。今まで、くだらない雑誌の批評にいかに自分が毒されていたかよくわかった。
最初にその姿をみて感じたことは、背中がしゃきっと伸びていたことだ。前の来日の時の姿をテレビで見ていやに腰が曲がっていたのでおどろいたことがあるが。
しかし、そんなことは関係ない。
ベルリン・フィルはなんとカラヤンの動きに即した音を出すのだろう。終始、両手は滑らかな動きをするが、出てくる音もまた角のない、とろけるような音を奏でるのである。
“f”はちょっとこのホールでは判断できないが“p”およびアンサンブルはほかのオーケストラはほとんど問題にならないくらい上手であると簡単に書けるほど、安いアンサンブルではない。開いた口がふさがらないとはまさにこのことだ。あんなに個々人がゆらゆらと動きながら音楽を奏でるオーケストラを見たことがない。
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たしかに手慣れた感がなくもないが、それが悪い方向に向かっているとは必ずしも言えない。抜群の表現力である。
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さて、第1番であるが、ホールのせいでダイナミックレンジが異様に狭まっているが、繊細さで最高の表現力を見せる。第1楽章は非常にゆっくりした序奏から、するりと軽やかな第1主題に入る。音はやや明るく、現代の音となっている。第2楽章は予想通りやや速めであり、カラヤンの今までと同じような表現であると思う。
第3楽章はおそく入念。ベルリン・フィルのアンサンブルはものすごい。いくら音が明るく、カラヤンがそのような性格であったとしても、ベルリン・フィルの純ドイツ的な性格はいかんともしがたい。フルトヴェングラーであろうがカラヤンであろうがベルリン・フィルの音である。音色は変わるが音の性質は変わらない。
第4楽章はひたすら最後の音に向かって突き進む。
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エロイカは、聴き逃せないもののひとつである。この黒く光るような音はベルリン・フィル特有のものだ。カラヤン、ベーム、フルトヴェングラー、そして、クリュイタンス、誰が指揮してもこのような黒く光る音が出てくる。
第1楽章、カラヤンは例のごとくものすごい爆進力で進んでくる。しかしそのスピードは第2主題にきてゆっくりとなり繊細を極めるようになるのである。あのスピードの加減にはまいってしまう。だけど第1主題の速さにはついていけない。重いよろいを着たドイツ兵が風のように走り抜けるのはいかにも不自然である。ここはスケルツォ、トリオじゃない。
第2楽章、ベルリン・フィルのアンサンブルは最高度に発揮される。ピッチを合わせるのも簡単な技ではないのに、一見やすやすと“p”のハーモニー、“f”の和音を同じような感覚で奏でてしまう。
第3楽章、これは第1番の第3楽章と違って完全なスケルツォで表現している。ホルンの抜群のアンサンブルと響き。
第4楽章も軽快に事は進んでいく。僕には音が流れるだけで満足だった。
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カラヤンとチェリビダッケは音楽のつくりがまるで違うが、お互いに最高の演技力をもっている。そして芸術を表現するに必要な演戯力も。
おわり
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といった酷い文だが、今ならこれをメモ書きとしてイメージを膨らませて10倍ぐらいの量の文章をかけそうだ。いつか楽しみに。