河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

610‐ 昔々 エド・デ・ワールトが振ったエルガー

2008-05-21 23:23:16 | 音楽

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前回のブログで、尾高忠明の指揮するエルガーの1番がとんでもなく素晴らしくて、

つい、

いつもの河童ワープがしたくなった。

いつもニューヨーク・フィルハーモニックことばかりではどうかということで、今日はこんなの。

ワールトが当時手兵のサンフランシスコ交響楽団をひきつれてニューヨークまでやってきました。

1983114() 8:00pm

カーネギーホール

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リャードフ/キキモラ

サン=サーンス/ピアノ協奏曲第4

エルガー/交響曲第1

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ピアノ、オラシオ・グチエレス

エド・デ・ワールト指揮

サンフランシスコ交響楽団

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今日は始まる前から眠かったが、このサン=サーンスは通俗的で眠気をさらに誘う。

それに比べて、さすがエルガーの曲はシックリしていて、ちょっと長すぎると思ったが、結構手ごたえあり。

特に指揮者のこの曲に対する思い入れ、愛情の深さがよく表れていて、丁寧でわかりやすい演奏となっていた。

曲は最初、ピアニシモで行進曲風のメロディーがゆっくり流れ、それが第1楽章の導入部になっているだけでなく、全曲を一貫して支配していて比較的聴きやすい。退屈するような曲ではない。

ワールトはこの曲に特別の思い入れがあるのか、共感、愛着の念が観えてくる。特に第3楽章アダージョ結尾部における幻想的な雰囲気には圧倒された。オーケストラに彼の意思が乗り移ったような、静かで独特な情緒を醸し出していた。

私がイギリス人であったならば、故郷を思うその愛国心からきっと泣いていたことだろう。

エルガーの曲にはそれぞれの故郷を思い出させる何かがある。

河童ノートにはこのような、わりと、本当にどうでもいいような駄文が短く刻まれている。

早い話が、わかっていなかったのだろう。

いま振り返るとワールトのエルガーなんて、あんまりありえないような気もする。

それで、ニューヨーク・フィルハーモニックのエルガーについては、実はアップだけしたことがある。

そのときは、前半の世界初演プログラム、シュトラウスのマルヴェンのことだけ書いた。

キリ・テ・カナワの歌、メータの棒。後半のプログラムはエルガーの1番だった。

マルヴェン マリア・エリッツァ

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