河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

608- 征爾 第3楽章でしこをふむ 2008.5.16

2008-05-18 19:36:32 | 音楽

小澤征爾の棒はよく観ているような気がしていたが、よく考えるとそうでもない。

宇野さんみたいに明らかに嫌いといった評も見受けられたりするが、こちらとしてはそうでもない。

もう723才だろうし、まだまだ元気ではあるが、もしかすると第2の充実気なのかもしれないし。。

この前、渋谷の塔レコでいつものようにCDを物色していたら、スピーカーから流れてくるショスタコのとんでもない怪演第5番に驚き、思わずキャッシャーのところにいってその演奏中のCDを見てみたらなんと小澤の名前があった。斉藤記念オケという高性能オケ相手に悶絶解釈をおこなったようだ。

斉藤記念オケというのは、Orchestra after Saito となるのだろうか。そうするとオーケストラに名前がない。

実際のところはSaito kinen Orchestraのようだが、禁煙オーケストラのようで、テンポラリーのオケとはいえ、斉藤さんに関係ない人たちにとっては人名オケというのは少なからず違和感がある。

ということで、小澤征爾の棒さばきをみにいきました。相手は新日フィルです。特別演奏会と銘打っていて、値段も日本のオーケストラのいつもの倍です。どうせ倍なら、ということで2階センター最前列で拝見しました。2階の場合、招待客は2列目あたりに陣取っているようなので河童はただの金払う客ということになります。

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2008516()7:15pm

サントリーホール

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モーツァルト/ディヴェルティメントK.136

モーツァルト/オーボエ協奏曲

チャイコフスキー/交響曲第6番 悲愴

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オーボエ、古部 賢一

指揮、小澤 征爾

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チャイコフスキーの6番の第3楽章はいつきいてもやりすぎの曲。こんな曲が4楽章形式の第3楽章にあるなんて。。爆曲すぎる。

しかし、欧米の聴衆と異なり、日本人はこの第3楽章が終わってもフライングブラボーはおろか、身動きひとつしないで第4楽章を待つことができる特殊な人種だ。ワーグナーを観ているときの化石のような姿と似ている。

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小澤の振る第3楽章の音楽は、むやみに音楽を駆り立てることはしないが、自然なのりが素晴らしく、すべるような弦、なだれ込むコントラバス、咆哮するブラス、立体的な音響構築物を魅せてくれる。

後半の自然加熱の中で小澤の足にも思わず力がはいる。

小澤の棒は、といっても指揮棒はもたなくなってしまったが、いつも基本に忠実である。半歩先を進む棒。それでいて先を急ぐようなあわただしさにもならない。ここらへんやっぱり凄いと思う。

爆発する第3楽章は、とんでもない急降下をみせて終わるが、小澤はこのあとアタッカですぐに第4楽章にはいる。

曲想ががらっとかわる第4楽章だけに、ここは一服置いてほしい。聴衆のフライング拍手をせき止める意味合いも少なからずあるかと思うのだが、この国でやっている間は心配無用なんだ。アメリカあたりだと今でも曲が終わったと思い帰り支度を始めたりする例もあるが、ここらへん、日本人の化石状態を少しは見習ったほうが良い。

ということで第3楽章第4楽章のアタッカは軽い違和感を覚える。バレンボイムがベートーヴェンの第7番を全楽章続けて演奏するのとは少し意味が違うと思う。

小澤が冷静でも音楽は勝手に盛り上がりをみせる第3楽章の雰囲気のまま、第4楽章にはいってしまうと、第4楽章にはそれなりの例えばブラスの咆哮があるわけだが、どうも第3楽章のモードがそのまま乗り移ってしまうようなところがある。全く違う音楽が妙に駆り立てられた音楽となってしまうが、それが小澤の意図するところなのだろうか。

たしかに、ふちどりが明確になり、もやもやがなくなり、クリアな悲愴第4楽章には違いないが。

いずれにしてもエキサイティングな第3楽章が終わってしまうと、第4楽章そのものがコーダみたいな感じ。バーンスタインの驚異的な粘着演奏とは天と地ほど異なる。

この曲を何度演奏しているか知らないが、第1楽章の例の第2主題の入りは息をのむような美しさだ。こうゆうところはオーケストラが変わるたび、また同じオーケストラでも久しぶりの演奏のときは入念に練習をおこなっているのだろう。何しろ曲の肝だけにはずしてはいけない。ここをいかに美しく演奏するかがこの曲のポイントなのだ。

湯気がたつような艶やかでまろやかな響き、そしてただ音楽がそこらあたりに漂っているようななんともいえないとろみトロトロの情緒。言葉では表せない。小澤はやはりつぼにはまればすごい。柔らかさから剛直なものまで全てを彼は表現できる。

前半の一曲目。モーツァルトのディヴェルティメントの第2楽章中間部のピアニシモは作為を通り越して、自然な驚きが聴衆の耳を誘う。ハッとする解釈でありその意外性が成功している。音楽はより立体的になり小曲どころではなくなる。

二曲目のオーボエ協奏曲。これまた明確でクリアな音楽を楽しめた。

おわり

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