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ニューヨーク・フィルハーモニックの任期をこの年終えたメータが、その年欧米ならシーズン・オープニングから2か月ほどして、遠の昔から気持は手兵のイスラエル・フィルをひきつれて来日をはたした。イスラエル・フィルの来日は5度目。
本当にパッとしないプログラムを持ってきた。
12回公演だがこのプログラムだけ聴けば十分だろう。
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1991年11月23日(土)7:00pm
東京芸術劇場
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マーラー/交響曲第6番 悲劇的
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ズービン・メータ指揮
イスラエル・フィル
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アップした写真のキャッチコピーに、神が宿る瞬間、とある。
いろいろと意味のわからない造語乱語が入り乱れている昨今ではあるが、当時から錯乱はあったようだ。全く意味不明。誰がこのような刷り込みをするのであろうか。
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当時、弦のオーケストラ、と言われ弦の素晴らしさをそれなりに認識していた聴衆ではあったと思う。それでは弦以外はだめかというそんなことはない。調子がいい時と悪いときがある、むらがあるということだろう。普通のオーケストラである。
艶やかな弦の素晴らしさ、泣き節の素晴らしさは、前にも書いた。あれ以上のものを知らない。指揮者のおかげが大だが。これ。
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1979年8月20日
ザルツブルク、フェストシュピールハウス
メンデルスゾーン/交響曲第3番 スコットランド
レナード・バーンスタイン指揮
イスラエル・フィル
NHK-FM 1979.12.14
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この素晴らしい泣き節は指揮者のおかげだが、概ねこのような感覚が定説的に流布していたわけだ。
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ということでいつもの通り話がそれました。
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イスラエル・フィルの音は思いのほか太い。ブラス、ウィンドは濁り気味かもしれない。ピッチが揺れる。機能的なオーケストラが栄えるこの時代、とりたてて神が宿る瞬間はなかったようだ。
当時の流行は猫も杓子もマーラーである。いつか私の時代が来る、といったらしいマーラーについにその瞬間が現れた時代のはじめであった。聴衆は実演でもある程度は聴き慣れしており、大昔、日本のオーケストラがまともに演奏はできないだろうなどと言われた6番だって普通に聴けるようになっていた。だから耳ぐすねしてその大曲を待っていたわけではない。ただ、ほかのプログラムがあまりにもパッとしなかったので、やっぱりマーラーかなぁ、という感じで聴きに行った記憶がある。
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つぶれ気味というか、ブラスの踏ん張りが、ピッチのあった透明なサウンドの積み重ねなのか、ただフォルテシモを重ねただけの音なのかを、いたって普通の聴衆も知っており、どちらかというと後者よりの音のでかさにびっくりした。
メータ自身この当時まで、日本の聴衆のことはよく知らなかったのだと思う。ぞんざいとまではいかないが、早い話、覚悟のない演奏だったようだ。
はたから見てもともと聴衆に迎合するような雰囲気を持っていない指揮者であり、日本人の、我々がこれだけ喜んであげているんだから少しは反応してよ、みたいな感覚にことさら媚びる感性は持ち合わせていない。そんな感じが強いものだから聴衆のほうもアラさがしに走ったのかもしれない。もちろん、マーラーが既に食傷気味だった人もいたのかもしれない。
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最後の打たれないハンマーにたどりつくまでのフレーズ、ブラスがクレシェンドをしながら下降していくものすごい爆音のなか、ひたすら弦が登りつめるその様の凄まじさは、まさしく筆舌に尽くし難い音楽であるが、その局面における弦の張りつめるも滴り落ちるような美しいサウンドの魅力はなにものにも代え難い。たしかにそこには輝けるストリングがあった。
その前の第3楽章のアンダンテの夢見るような溶けてしまいそうなこの世のものとも思えない響き、そこにも確かにあった。ホルンなどかなりきわどいが、楽譜に刷り込まれた音符が浮き上がってくるような弦の響きに幻惑されずにはいられない。
なんとも絶妙にして自然な響き。熱を帯びた響きではないがまとまって艶やかに動き回るサウンドはそれ自体一つの個体が独立したさまを魅せながら漂う。
いいところも悪いところも一つ一つ浮かび上がるオーケストラであったようだ。
おわり
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