2019年3月23日(土) 4pm トッパンホール
瀬川裕美子 ピアノ リサイタル vol.7 オルフェウスの庭
バッハ オルガン・コラール 汝の玉座の前に今や歩み寄り BWV668 4
ブーレーズ ピアノ・ソナタ第2番(1948) 6-9-2-9
ピート=ヤン・ファン・ロッスム amour (2018) 世界初演 12
Int
ストラヴィンスキー ピアノ・ソナタ(1924) 3-5-3
近藤譲 三冬 委嘱新作(2019) 世界初演 7
バッハ パルティータ第6番ホ短調BWV830 22
(encore)
ブーレーズ 12のノタシオン 第2曲 0:30
バッハ コラール 我らの苦しみの極みにあるときBWV432 (弾き歌い) 1
以上
ピアノ、瀬川裕美子
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瀬川さんを聴くのは2度目。今年のテーマはオルフェウスの庭。これはパウル・クレーの絵の事ですね。
充実のプログラム冊子はとてもその場で読み切れるものではなくて、じっくりとあとで読むことに。
プログラムは6作品。最初と最後にバッハ。前半と後半に世界初演がひとつずつ。練られたプログラム、充実の演奏、納得の冊子、申し分ないもの。お目当てはブーレーズかな、などと思いつつ6つの庭に足を踏み入れてみる。
最初にバッハの庭。オルガン・コラール。
バッハ最後期の作品で、彼女の解説文を待つまでもなくかなり考えぬかれたというか、言いたいことが沢山ありそうな内容。ブーレーズを絡めた解説は面白いし深みを感じますね。バッハの音は太くて、重い。
ブーレーズの庭。一曲目で暗示させたブーレーズが2曲目。
12音の解体、それなのになぜ楽章は4つのままなのだろうという思いは、それはやっぱり、中に入らないと解体できないということなんだろう。充実の作品で何度聴いても飽きることがない。作曲家のインスピレーションや閃きの持続を感じる。一瞬ではなくて連続する閃き。この時代のやっぱり天才技。
瀬川さんのプレイは速めで、どんどん先に進んでいく。響きはとってもまろやか風味。極度な峻烈さを前面に出さずとも分解能を味わえる。終楽章のアップテンポは迫力ありましたね。加速、そして、ひとつ呼吸を置いてゆっくりと終止。機械に油が注がれたような瞬間でした。お見事でした。
12個の音の配列が、譜面にある内は分かりやすいが、一旦音になるとわからなくなる。鳴れば理解できる音楽ではなく、鳴ればわからなくなる音楽。感覚が真逆なものを意識することなく12音屋さんは作ってしまったのか。ブーレーズはどうなんだろう。今日の2番、たしかに、ワルトシュタイン聴こえませんか。
3曲目はロッスムの庭。amour愛、世界初演。
12分ほどの曲。上昇音形の進行、湧きたつハープのような響き。甘いメロディーも印象的です。
この作品を作ったご本人登場。
以上、前半3曲。休憩を置いて後半へ。
ストラヴィンスキーの庭。
ストラヴィンスキーのピアノソナタはクラッシックな型にはまっていてわかりやすい。このての作品は規模感あってもどんどん吸収できる。
演奏はまろやかさとメリハリの融合。頭の中できっちりと整理整頓できてる感じ。
後半二つ目は近藤の庭。
タイトルの三冬とは冬の三ヶ月、神無月・霜月・師走のこと。委嘱作品の世界初演。
途切れる音、ちょっとイメージがわかない。ピンとこないものがある。音楽ではないものへの思いも譜面に書いているような感じだ。
最後は再びバッハの庭。
パルティータは大きな作品。前半のブーレーズ、後半のストラヴィンスキー、両ソナタの空気圧を一気に解放感しているような趣きで、一気呵成な流れで素晴らしくノリの良い演奏。まろやかピアノ、リラックスバッハ。鮮やかでお見事。
以上6作品おわり。アンコール2曲。
アンコール2曲目はバッハの弾き歌い。昨年も声があったので驚くことはないけれど、知らないとびっくりだったかもしれない。彼女の歌は自由を感じさせてくれるところがあって、こういってはなんだがガチの解説プログラム冊子とは一味違うところを魅せてくれる。
そういえば、アンコール1曲目のノーテーション2番。これでも一声あったよね。なんだか晴れた感じ。
本編共々濃い内容のリサイタルでした。
それと、トークしないのよね。これがすごく良い。トークどころではないのかもしれない。集中力の要る仕事。
今年もありがとうございました。
おわり
2019年3月5日(火) 7pm 小ホール、東京文化会館
ベートーヴェン ピアノソナタ第1番ヘ短調op.2-1 4-5-3-4
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第1番変ホ長調op.1-1 8-5-6-9
ヴァイオリン、佐藤まどか、チェロ、藤森亮一
Int
ベートーヴェン ピアノソナタ第29番変ロ長調op.106 ハンマークラヴィーア
12-3+16+13
ピアノ、近藤伸子
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お初で聴きます。ベトソナシリーズの1回目という事で勇んで聴きに来ました。2曲目にピアノトリオが挟んであって、こうゆうプログラムビルディングは見たことが無い。
恥ずかしながらピアニストの事を知らなくて、そのままリサイタルに臨んだ。とは言っても始まる前にプログラム冊子は読ませていただいた。とりあえずのキーワードとしては、バッハと現音の生スペシャリストで、今回からベトソナに注力、と。
もう、これだけで、なにやら、情報のほとんどがインプットされた気になるから不思議なものだ。
この日のリサイタルは最後のハンマークラヴィーアを終えてご本人の一言があっただけで、言葉もアンコールも無い。凝縮の高濃度リサイタルであった。自分にはこのような舞台が一番むいている。
虚飾を排した29番は端正とも違う。力みの一切ないプレイはリラックスした演奏ではない。全く妙な言い方になるが、あえて言えば、経験ばかの正反対の演奏という話しだ。
実践したものだけ、やってきたものだけ得意に出来る。そうではなくて、そのような実践の積み重ねに加えて、分野を広げて本を読む、研究を重ねる、文献を知る、そういったことというのは、つまり、段々と、本を読むだけである部分、実践の世界を経験することが出来るようになる。本を読むという事は、行ったことの無い世界に、まるで行ったかのように色々な事を経験させてくれて、幅が広がる。もうひとつ例えると、今みたいに世界が狭くなる前の時代、外国に出て行って色々な事を経験し知ること。アメリカという一国に行っただけなのに、まるで何十か国も経験したような気持ちになる。あの世界観に似ている。
まあ、知的経験の多様性や深さを実感させてくれるプレイでした。現音フィーリングやバッハの感触を思わせてくれるベートーヴェン、そういった軽い話では無くて、同じ思いで弾いているなあ、という感じ。
近藤さんの他の演奏はこれまで聴いたことは無いけれど、何故かそうゆうふうに思わせてくれる演奏でしたね。バッハもシュトックハウゼンも見える。
といった具合で29番最初のひと押しから始まる。激烈な深さとさらりとした流れ、思わせぶりの全くないタメ、さりげないナチュラルな呼吸。殊更の巨大性は横に置き、しばし淡々と音楽は始まり第1主題後半の、四分音符と後打ち八分音符がまるでエコーのように響き冴えわたる。後打ち八分音符はまるで実体のあるエコーのように響く。明瞭でクリアな弾きは正確性からくるもので、まず、第一に、その正確性を求める、というのは正しいことだろうと思う。技巧と言ってしまえば身も蓋もないが、こういったあたりにバッハもシュトックハウゼンも見えてくる、言葉のトリックではなくて。
充実のパフォーム、第1楽章が済んだところでハンケチに手をやりひと拭き、と、何かに気がついたかのようにすぐに短い2楽章へ。そして3,4楽章はほぼ連続プレイ。なんか、ホントは全楽章このようにやりたかったのかもしれない。ハンケチの癖が出たのかもしれない、などと余計な事を思ってしまった。
長いアダージョは型を感じさせる。やや、アカデミックな雰囲気を醸し出しつつ、深すぎず浅すぎずの押しはあっさりと実にシンプルに音がつながっていく。音楽がこんなにもあっさりとつながっていっていいものだろうか。きれいな響きで引き際がすっきりとしている。実体のある緊張感は邪念、雑念が無くてミュージックそのものだ。
このソナタ形式の表現がまた良くて、ここから展開、ここから再現、といった切り替えが殊更に見せることが無く、つまり、つなぎの卵や片栗粉無用の高純度な物体の自然接着を思わせるのだ。バッハや現音はこういったところにちらりと見えたのかもしれない。実にピュアな演奏。
終楽章のアプローチは、あまり聴いたことが無い異色のもの。何が違うかというと響きのバランスと音のはじけ具合、こんなに飛んではじけて、こんな楽章だっけと多少びっくり。ユニークな表現と思うのだが、出どころは自身であり、自分が身をもって作り上げたもの、その真実の表現という納得のアプローチだったように思う。
ということで、全く長さを感じさせない29番でした。
31番の嘆きの歌がこの29番のアダージョで垣間見える。結局のところ29番から32番まで、どっぷりとつながった音楽精神構造の同質性、そんなあたりのことも色々と感じさせてくれた。いい演奏でした。
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最初に演奏された1番。弾く前のじっくりと時間を置く姿が印象的。
瑞々しく駆け上がるステップは、ビリー・バスゲイトが地下鉄降りて駅の階段をステップして駆け上がり地上に出てくるような初々しくて、朝のすがすがしさを思わせる。ベートーヴェンのソナタは1番から魅力がたくさん。
近藤さんの演奏は四つの楽章が並列に配されたような聴後感。そしてすこし幅広に置かれた感じ。大人の表現でしたね。
次の二曲目はベトソナでは無くて、ピアノトリオ。
近藤さんが書いたプログラム解説を読むとわかるが、ベルリンで聴いたバレンボイムトリオの奇跡的名演に触発されてここに置いたと。
ベトソナリサイタルにこのような挟み込みは聴いたことが無い。新鮮な驚き。
3人の音と表現が充実の極み。冴えわたるビューティフル・パフォーマンスに舌鼓。それもそうだわ、なにしろ、ヴァイオリンがまどかさん、チェロは藤森さんときている。もはや、明白。何が明白かと言うと、彼らが持ち合わせている技術レベルが一段と高いのだろう。色々な事が彼らの水準という名のもとに易々とクリアされている。このデフォレベルの高さ感。
びっしりと、三人で隙間なく埋められた音の、この充実感。ベートーヴェンも大喜びだろうなあ。まどかさんの熱くて濃い表現、藤森さんの涼し気なクリスタルチェロサウンド、そして、近藤さんのひたすら感。ベートーヴェンもよくもまあ難儀な三重奏曲を書いてくれたものよ。作品1の1だって。
なんだか100倍得した気分。峻烈にして鮮やかな滑り、素晴らしくマーベラス。言うことなし。
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ところで、当夜のリサイタルのプログラム冊子解説は近藤さん自らが書いたもの。全部読みました。譜例を入れた解説で、その譜例は冊子とは別になっている。別の紙。だから読みやすいですね。
このプログラム冊子はよどみなく流れる、躍動感あふれる文体、実に素晴らしい書きっぷりと内容の濃さ。書いてるときはもしかして何も見ずに書いているのではないか。博学輻輳した知識が次から次へとあふれ出る。専門的な事を書いてありながら、読み口は、素人や単なるクラヲタにもよくわかるもので、音楽の世界にスルスルとはいっていける。境界を排したような書きっぷりで実にわかりやすく、カツ、素直に専門職分野の世界に入っていける。ほれぼれするもので、ベトソナの世界に益々のめり込みたくなる。納得の解説。
ということで、いいこと尽くめのリサイタル、心の底から楽しめて、カツ、勉強になった。ベトソナ小型スコアを自然と手に取りたくなるような、いいリサイタルでしたね。
上野の小ホールはほぼ満席。席種が自由席のみということで、ホールに着いた時には、列が小ホール手前の坂からロビーの売店まで延びていて、そこで一旦列が折れ180度ターンしてまだ続いている。これは大変。並ぶのはあきらめて最後にゆっくりとあきらめモードでエンプティシートを探す。たまたま、鍵盤側の前よりに空席がありラッキー、じっくりと聴けました。とにかく大人気なピアニストでしたね。才気爆発のかたと見うけました。
楽しい一夜でした。ありがとうございました。
おわり
2019年2月23日(土) 3:00-5:10pm 音楽ホール、川口総合文化センター・リリア、川口
シューベルト 音楽に寄せてD.547 3
シューベルト 野ばらD.257 2
シューベルト ただ憧れを知る人だけが(ミニヨンの歌) D.877-4 2
(ピアノソロ・ピース)
シューベルト 即興曲第2番変イ長調 D.935/op.142-2 5
シューベルト 即興曲第3番変ロ長調 D.935/op.142-3 9
Int
(ピアノソロ・ピース)
グリーグ ペールギュント 第一組曲op.46 5-3-3-2
シューマン 女の愛と生涯op.42 3-3-2-2-2-4-2-3
(encore)
シューベルト アヴェ・マリア 5
メゾ・ソプラノ、林美智子
ピアノ、田部京子
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昨年2018年に聴いた中嶋さんが歌う、女の愛と生涯、が素晴らしくて、今回はその曲お目当てで、お初でリリアにうかがいました。
2593- =女と男の愛の生涯= アラベスク、女の愛と生涯、テレーゼ、アデライーデ、エリーゼのために、遥かなる恋人に、中嶋彰子、小菅優、2018.8.2
今日も楽しみにしていました。が、
前半特にトークが長く、合わせて20分以上話ししていたと思いますが、長すぎです。
こうゆうものだと思えばいいのでしょうが、主役級が二人ご一緒に出ているのに、シナジー効果のないものとなったのはトークのせい、とでも思いたくなります。
それから、プログラム冊子にテキストが無い。対訳でなくても何か手掛かりが欲しい。折角のデュオ・リサイタル、ちょっと出鼻をくじかれた。
林さんは下から上まで安定していて声色の変化が無くて自然、作為という言葉を忘れさせてくれる。
喉安めにあたるところが無いピアノは弾きっぱなし。硬派と勝手に思い込んでいる田部さんのピアノ、素敵でしたね。
シューマンで歌と同じ節が重なるあたりでは配慮と主張がよくわかりました。
また、ソロ曲のシューベルトの即興曲2曲とグリーグ、大きな演奏でした。木質良質のホールで硬派な色彩が分解していくさまはお見事でした。聴きごたえ手応えありました。
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うかがったのはメインホールでは無くて音楽ホール。600人規模の客席数、ワンフロアのみで、後部に行くに従い上にしなっている。トリフォニーの1階と同じ仕様だが、リリアはもう少し角度が付いていて見晴らしが大変に良い。
それから、木質の色あい、音具合が魅力的。シックな色合い、柔らかすぎずに包み込むサウンド、クリアでまろやか、焦点が定まっていて聴きやすいもの。本当に気持ちよく過ごすことができました。
次回はもっとマジなの、聴きに行く。
おわり
2019年1月16日(水) 7:30-8:40pm HAKUJU HALL
スーパー・リクライニング・コンサート
オール・ラフマニノフ・プログラム
幻想的小品集op.3より第2曲 前奏曲嬰ハ短調 鐘 5
前奏曲集op.23より
第1番嬰ヘ短調 4
第2番変ロ長調 3
第3番ニ短調 3
第4番ニ長調 3
第5番ト短調 5
第7番ハ短調 2
ヴォカリーズop.34-14 (阪田知樹編) 6
楽興の時Op.16 7-4-3-3-3-6
(encore)
ここは素晴らしい処op.21-7 (阪田知樹編)
ピアノ、阪田知樹
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阪田さんを聴くのは昨年2018年のシューマンのコンチェルト以来のこと。
2555- トリスタン、シューマンPC、阪田知樹、チャイコフスキー4番、ラザレフ、日フィル、2018.5.12
また、スーパーリクライニング企画を前回聴いたのは一昨年2017年のダニエル・シューでした。
2344- ベトソナ31、シューベルト4即興曲、トロイメライ、ダニエル・シュー、2017.5.17
この企画は座り心地も演奏も最高ですね。
阪田さんのオール・ラフマニノフ・プログラムはみっちりと隙間なく1時間、アンコール入れて1時間を越える長丁場を休憩取ることもなく、もの凄い集中力で聴かせてくれました。
昨年のシューマンはデリカシー満点で素敵な演奏でした。今日のラフマニノフは、力強くて太い線、それにウェットな流れがきらりと光る。身体が前後に激しく揺れ、右腕左腕が高く舞う、絶妙なタッチと息づかい。お見事なもんですなあ。シューマンとは別の面を見ました。多彩な響きに魅了されました。
前奏曲からのピックアップと楽興の時は圧巻。前奏曲の長調短調の色合いがくっきりと鮮やかに表情付けされていて味わい深い。軽いポーズの中に深い呼吸とコンセントレーションの高まり、それが聴くほうに移ってくる。この空気感。堪能しました。
また、楽興の時は巨大。スケールの大きなプレイ。とめどない流れが次から次と押し寄せてきて、一息もできない。圧巻。
第4曲の音響的盛り上がりは一つのクライマックス。各ピースの独立した動きはそのクライマックスに負けず劣らず濃いものでラフマニノフの作り出す陰陽にグイグイと引き込まれた。デミネンドやデクレシェンドはこれみよがしなところが無くて、ナチュラルに使い分けられていそうだ。計算を感じさせるところが無くて自然な息づかい、曲想にマッチしていて作品の大きさや幅を感じさせてくれる。大きな作品と演奏でしたね。楽興の時。各ピースのつながりもよく聴こえてきました。
ヴォカリーズとアンコールのここは素晴らしい処、阪田さんの編曲もの。音楽の表情がグッと変わりロマンチックでムーディーなところが魅力的。作曲もするという事でどのような作品があるのかわかりませんが、今日のような編曲ものを聴いてみるとそれとなく肌触りがわからなくもない。作品を聴いてみたいものだ。楽しみですね。
充実の濃密リサイタル、存分に楽しめました。
ありがとうございました。
おわり
2018年12月15日(土) 1:30pm ミューザ川崎
オール・ベートーヴェン・プログラム
ピアノ・ソナタ第8番ハ短調op.13 悲愴 8-6-4
ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調op.27-2 月光 8-2-7
Int
ピアノ・ソナタ第21番ハ長調op.53 ワルトシュタイン 11-5-9
ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57 熱情 10-8+8
(encore)
11のバガテルop.119より第3番 2
ピアノ、アブデル・ラーマン・エル=バシャ
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昨晩、一昨日とビッグな企画。
2649- バッハ、ショパン、ラフマニノフ、24の調の前奏曲、第一夜、アブデル・ラーマン・エル=バシャ、60歳記念2夜連続ピアノ・リサイタル、72の前奏曲、第一夜、2018.1.13
2650- バッハ、ショパン、ラフマニノフ、24の調の前奏曲、第二夜、アブデル・ラーマン・エル=バシャ、60歳記念2夜連続ピアノ・リサイタル、72の前奏曲、第二夜、2018.1.14
今日はそれとは別の企画もの。ベトソナ有名どころを4曲。
響きファースト。それを壊すものはあってはならない。縦ラインは完全一致。出は一つしかない。だから、きれいな響きになる。
弾き始めのコンセントレーションが最高潮に達したところで、指が鍵盤に落ちる。寸分の狂いもなくどの指も同じタイミング。
沢山入ったほぼ満員のホールに悲愴の第一音が響き渡る。ああ、なんて素晴らしいんだ。下降しながら上昇するライン、諦めの中の光なのか。
ゆったりとすすむ中間楽章。どのような思いで作られたのか、天才のインスピレーション、これを聴いて楽譜屋に飛んで行ったピアノ愛好家はたくさんいたことだろうね。メロディーメーカーとしてのベートーヴェンを強く感じる。
メロディーラインのエンドフレーズはわりと間を作りながら進む。ドラマの事はベートーヴェンに任せているのかもしれない。タッチはむしろ軽い。激烈なベートーヴェンではない。響きが他のものでかき消されてはいけないのである。
ひたすら沈殿していく月光第1楽章。正確なタッチで弾かれる3連符は実に清らかだ。心が落ち着き鎮まっていく、大変にゆっくりした楽章が済んで、インディアンサマーのような光が短く有って終楽章へ。全く激しくないし揺れない。ひたすらタッチへの固執なのだろうか、そこから湧き出るものがあるとピアニストは確信があるのだろう。瑞々しい響きに感服するのみ。
大きな2作品という手応えを感じながら休憩。
後半まずはワルトシュタイン。
音の粒がひとつずつ克明に見える。シンフォニストの面目躍如たる第1楽章は、何度聴いても交響曲のようだ。それがエル=バシャの鮮やかなタッチで濁りが消えて美しく響く。メロディーランが浮き彫りになって、蛇腹が一つずつくっきりと見える演奏。それぞれのラインが別の強弱を作りながら進行。見事なもんですな。
中間楽章は前出し的な雰囲気はサラサラなくて本当にコクのあるもので、なにか夢でも見ているよう。憧憬。
終楽章は川面投げる水切りのタッチ。石が飛んで行った後に残る点々とした水面(みなも)の模様、あのような模様が音になって次々と湧いてくる。なんて美しいんだ。
熱情に文字のような激烈さは無い。ピアニストが求めているものではない。運命動機のあとのフレーズの流れが心地よい。ツボですね。
シンプルな和音がただ連続する中間楽章、もしかすると、こういったところがエル=バシャの真骨頂なのではないかと思わず構えてしまう。深い。あのタッチでこう弾かれるとグイッと、ドンドン惹かれていく。素朴とかシンプルとか、そういった世界ではないのですね本当に。
以上の4曲にアンコールひとつで休憩入れて2時間少しオーバー。作品が一層大きく見えた内容でした。これで、テンペストも聴きたかったなどと言いたくなるから、客のわがままはキリがない。
充実のリサイタル、ありがとうございました。
おわり
2018年12月14日(金) 7pm 小ホール、武蔵野市民文化会館
(演奏順)
嬰ヘ長調、変ト長調の3つの前奏曲
1 バッハ:平均律クラヴィア曲集第巻より第13番前奏曲BWV 882 4
2 ショパン:24の前奏曲より第13番Op.28-13 3
3 ラフマニノフ:10の前奏曲より第10番Op.23-10 4
嬰へ短調の3つの前奏曲
4 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第14番前奏曲BWV 883 4
5 ショパン:24の前奏曲より第8番Op.28-8 2
6 ラフマニノフ:10の前奏曲より第1番Op.23-1 3
ト長調の3つの前奏曲
7 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第15番前奏曲BWV 884 2
8 ショパン:24の前奏曲より第3番Op.28-3 2
9 ラフマニノフ:13の前奏曲より第5番Op.32-5 2
ト短調の3つの前奏曲
10 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第16番前奏曲BWV 885 4
11 ショパン:24の前奏曲より第22番Op.28-22 1
12 ラフマニノフ:10の前奏曲より第5番Op.23-5 4
変イ長調の3つの前奏曲
13 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第17番前奏曲BWV 862 2
14ショパン:24の前奏曲より第17番Op.28-17 3
15ラフマニノフ:10の前奏曲より第8番Op.23-8 4
嬰ト短調の3つの前奏曲
16 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第18番前奏曲BWV 863 2
17ショパン:24の前奏曲より第12番Op.28-12 1
18ラフマニノフ:13の前奏曲より第12番Op.32-12 1
Int
イ長調の3つの前奏曲
19 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第19番前奏曲BWV 888 2
20 ショパン:24の前奏曲より第7番Op.28-7 1
21 ラフマニノフ:13の前奏曲より第9番Op.32-9 4
イ短調の3つの前奏曲
22 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第20番前奏曲BWV 889 3
23 ショパン:24の前奏曲より第2番Op.28-2 4
24 ラフマニノフ:13の前奏曲より第8番Op.32-8 1
変ロ長調の3つの前奏曲
25 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第21番前奏曲BWV 866 2
26 ショパン:24の前奏曲より第21番Op.28-21 2
27 ラフマニノフ:10の前奏曲より第2番Op.23-2 4
変ロ短調の3つの前奏曲
28 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第22番前奏曲BWV 867 2
29 ショパン:24の前奏曲より第16番Op.28-16 1
30 ラフマニノフ:13の前奏曲より第2番Op. 32-2 4
ロ長調の3つの前奏曲
31 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第23番前奏曲BWV 892 2
32 ショパン:24の前奏曲より第11番Op.28-11 1
33 ラフマニノフ:13の前奏曲より第11番Op.32-11 2
ロ短調の3つの前奏曲
34 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第24番前奏曲BWV 869 5
35 ショパン:24の前奏曲より第6番Op.28-6 3
36 ラフマニノフ:13の前奏曲より第10番Op.32-10 6
ピアノ、アブデル・ラーマン・エル=バシャ
●
同企画、前夜に続き二日目。
2649- バッハ、ショパン、ラフマニノフ、24の調の前奏曲、第一夜、アブデル・ラーマン・エル=バシャ、60歳記念2夜連続ピアノ・リサイタル、72の前奏曲、第一夜、2018.1.13
昨晩からの永遠の繋がり。聴くほうの位相の具合がさらに深まり、バッハとショパンはもはや溶解して一つのようだ。ラフマニノフはやっぱり先をみている。不思議な引力があちこちに感じられる3ピースずつのセット。
綺麗な音は昨晩と変わらない。二日あわせて72曲、全部暗譜弾き、作品を暗譜で弾く、それにもまして、弾く順番を記憶するほうが大変なのではないかと余計な心配をしたくなる。ストーリーが出来上がっているのだろう。物語のようなものかもしれない。いずれにしても、離れ業。永遠の普遍のドラマが極めてまれな形で表現されることになった。ひとつの作品を二日かけて聴いた聴後感もある。満足感が大きい。ライヴ・パフォーマンスでの幸せな遭遇。
浄められた二日間でした。
ありがとうございました。
おわり
2018年12月13日(木) 7pm 小ホール、武蔵野市民文化会館
(演奏順)
ハ長調の3つの前奏曲
1 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第1番前奏曲BWV846 3
2 ショパン:24の前奏曲より第1番Op.28-1 1
3 ラフマニノフ:13の前奏曲より第1番Op. 32-1 1
ハ短調の3つの前奏曲
4 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第2番前奏曲BWV 847 1
5 ショパン:24の前奏曲より第20番Op.28-20 2
6 ラフマニノフ:10の前奏曲より第7番Op.23-7 2
嬰ハ長調、変ニ長調の3つの前奏曲
7 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第3番前奏曲BWV 872 2
8 ショパン:24の前奏曲より第15番Op.28-15「雨だれ」 5
9ラフマニノフ:13の前奏曲より第13番Op.32-13 6
嬰ハ短調の3つの前奏曲
10 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第4番前奏曲BWV 873 6
11 ショパン:24の前奏曲より第10番Op.28-10 3
12 ラフマニノフ:幻想的小品集より第2曲前奏曲「鐘」Op.3-2 3
ニ長調の3つの前奏曲
13 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第5番前奏曲BWV 850 1
14 ショパン:24の前奏曲より第5番Op.28-5 1
15 ラフマニノフ:10の前奏曲より第4番Op.23-4 5
ニ短調の3つの前奏曲
16 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第6番前奏曲BWV 851 1
17ショパン:24の前奏曲より第24番Op.28-24 3
18ラフマニノフ:10の前奏曲より第3番Op.23-3 3
Int
変ホ長調の3つの前奏曲
19 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第7番前奏曲BWV 876 2
20 ショパン:24の前奏曲より第19番Op.28-19 2
21 ラフマニノフ:10の前奏曲より第6番Op.23-6 4
変ホ短調の3つの前奏曲
22 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第8番前奏曲BWV 853 4
23 ショパン:24の前奏曲より第14番Op.28-14 1
24 ラフマニノフ:10の前奏曲より第9番Op. 23-9 2
ホ長調の3つの前奏曲
25 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第9番前奏曲BWV 854 4
26 ショパン:24の前奏曲より第9番Op.28-9 1
27 ラフマニノフ:13の前奏曲より第3番Op.32-3 2
ホ短調の3つの前奏曲
28 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第10番前奏曲BWV 855 3
29 ショパン:24の前奏曲より第4番Op.28-4 3
30 ラフマニノフ:13の前奏曲より第4番Op.32-4 5
ヘ長調の3つの前奏曲
31 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第11番前奏曲BWV 856 1
32 ショパン:24の前奏曲より第23番Op.28-23 1
33 ラフマニノフ:13の前奏曲より第7番Op.32-7 3
ヘ短調の3つの前奏曲
34 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第12番前奏曲BWV 857 3
35 ショパン:24の前奏曲より第18番Op.28-18 1
36 ラフマニノフ:13の前奏曲より第6番Op.32-6 1
ピアノ、アブデル・ラーマン・エル=バシャ
●
今日と明日は表題のリサイタル二夜連続、その翌日は別の主催でベトソナ・リサイタル、あわせて三日連続でエル=バシャのプレイを聴くことに。
今日と明日の公演は、バッハの平均律クラヴィア曲集の第1巻と第2巻から24曲、ショパンの24の前奏曲、ラフマニノフの前奏曲13曲と幻想小作品集より第2曲前奏曲「鐘」、
以上の24+24+(23+1)を二夜で演奏。作曲者の束で弾くのではなく、同一調の束で弾く。1曲ずつ、バッハ→ショパン→ラフマニノフ、といった具合でこれの繰り返し。
他所でも試みられたものであるらしいが、まことにレアで画期的なものと言えよう。
5月のLFJでショパンの2番コンチェルトを弾いたエル=バシャさん、有楽町の国際フォーラムの一番デカいホールで、いやはやなんともはや最悪の場所。今回はコンパクトなホールで落ち着いた演奏、聴くほうも同じ。
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3個で一つの交錯が永遠に続く様な雰囲気で、その束ごとの色模様の変化、というよりもありようが独立した色彩、三つの中で作品の引力を感じる。バッハ、ショパンは清く静謐、ラフマニノフは前を見ている。バッハの引力が強い。リセットボタンを押されるような趣きもある。
半音ずつずれていくことに敏感ではなくて、むしろ、気持ちやテンションの高まりの傾斜が音調の上り具合と同じなのかもしれない。つまり、全部同じ調に聴こえる。というのは言葉のアヤが過ぎるが、受け入れて享受するとはそんなことかなとも思う。
エル=バシャの縦ラインの合い具合は異常とも思えるほど潔癖、緊張が最高潮に達したところで、弾きおろす縦ラインは一つしかない。全てのハーモニーがそうだった。このたった一つの縦ライン、ザッツ、これだから、あのような透明で清らかな響きになるのだろう。もう、答えはそれしかない。見ていても明らかにタッチへの集中度が桁外れだし、揃い切った音の美しさはパーフェクト。彼が求めて表現するものは、一種、別のドラマ性、このようなプレイで、ドラマを魅せる。いや、こうゆう表現はいわゆるドラマ、ドラマチックなもの、そういったものとは違うんだよ、と言われれば、そうだと納得するしかないのだが、なにやら、普遍的であることのドラマ性を考えさせてくれる。普遍ということへの気づきをさせてくれる。音楽に共通するもの、この三つの作品のなかに一筋共通して響き合うものがあって、それが永遠の先を見据えながら進んで行く。普遍的なものが永遠を魅せてくれる。このドラマ。
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このような順序での聴き方はCDをパソコンに取り込んで編集すればいとも簡単にできるだろう。ただ、そこまでの思いつきは閃きかも知れないし、経験の賜物なのかもしれない。バッハ48曲から24曲ピックアップについては、まあ、素人にはわからないもので、そういったこともあれこれ含めて、生でエル=バシャの創造プログラミングを感じ、再創造に感嘆するしかないのである。
長くなるかと思ったが、休憩入れて2時間に収まるリサイタル。永遠とは短いものかもしれない。
明日は第二夜。
おわり
2018年9月25日(火) 7:00pm 小ホール、武蔵野市民文化会館
ドビュッシー ベルガマスク組曲 第3曲 月の光 5
ドビュッシー 映像第2巻 4-5-4
シューマン 幻想曲ハ長調op.17 13-7-10
Int
ドビュッシー 前奏曲第2巻 第7曲 月の光が降り注ぐテラス 4
ドビュッシー 映像第1巻 5-6-3
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57 熱情 10-5+8
(encore)
山田耕筰(スティーヴン・ハフ編曲) 赤とんぼ 2
エリック・コーツ バイ・ザ・スリーピー・ラグーン 3
ピアノ、スティーヴン・ハフ
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映像を前半後半に置きそれぞれシューマン、熱情にカップリング。映像の前に洒落たピースを置く。
音楽を越えたオーソリティ、権威という雰囲気が漂う中、月の光から始まったリサイタル。ドビュッシーをこのようなタッチで因数分解するから、自然に積分されていく。時間の経過推移でそう感じるのではなくて、そういった出来事が響きの中に同時にあるように聴こえてくる。徐々にとか段々という言葉では表しにくい。
映像はいろんな音がパラパラとまじりあった時、美味な煮凝り風な束となり格別な味わい。水際立ったドビュッシーに続き、ガラリと曲趣を変えてまずはシューマン。
フォルムを感じさせたかと思う間もなくしだれ柳風に崩れていく。そういったものが交錯する毎に全体像が見えてくる。大人の演奏という趣きがあって、言いたいことはこのピアノから、といった雰囲気を醸し出す。圧巻のプレイでした。
思いの外、強靭なタッチで強烈なシューマンはその前の映像とコントラストが強い。濃淡込めた音楽に大きな幅を聴いた思い。
後半の映像第1巻はみずみずしいタッチ、鮮やかな色彩、情景が浮かぶようだ。とりわけ3曲目のムーヴメントはメカニカルな中にウェットなデリカシーを感じさせる余裕のプレイでした。スバラシイ。
次の熱情はシューマンに増して激しさに拍車がかかる。抜き差しならぬ激しい熱情。ハフの透徹した冷静な目がメラメラと燃え上がる激烈なプレイ。どでかいダイナミクス、振幅、太細、自在のタッチ。
初楽章の幾何学模様が極めて美しい。アンダンテのシンプルな連続和音は行書体から草書体へという際どさがスリリング。ハーモニーの運びと水際立ったリズム、そして、先に延ばして思考の森をかき分けるような独特な音価レングス、相手に考えさせる音楽は、聴衆というものを意識したものだろう。自然のカタルシスといったあたりのことを感じますね。言葉にならない終楽章は蛇腹のようなうねりが次から次へと、目がまわりそうだ。
表現の広がりも見事な熱情、濃い内容でした。
確立されたマイワールドは登場とともに感じるもので、集中力といった話というよりもむしろ、再創造の思索に入っていく趣きで、ステージは再創造の場、ピアノのプレイは思索、ハフの脳内の庭の広がりを見ることが出来ました。
おわり
2018年9月23日(日) 11:00am - 4:30pm コンサートホール、オペラシティ
ベートーヴェン 創作主題による6つの変奏曲ヘ長調op.34 12
ベートーヴェン エロイカの主題による15の変奏曲とフーガ変ホ長調op.35 23
Int
ベートーヴェン ピアノソナタ第21番ハ長調op.53ワルトシュタイン 11-4+9
Int
ベートーヴェン ピアノソナタ第22番ヘ長調op.54 5-5
ベートーヴェン ピアノソナタ第23番ヘ短調op.57 熱情 9-7+7
Int
ブラームス パガニーニの主題による変奏曲イ短調op.35 22
ショパン ピアノソナタ第3番ロ短調op.58 9-2+13
Int
ドビュッシー(横山幸雄 編) 牧神の午後への前奏曲 10
ラヴェル 夜のガスパール 6-6-9
(encore)
横山幸雄 バッハ=グノーのアヴェ・マリアの主題による即興 5
ピアノ、横山幸雄
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昨年2017年の同日に同企画を聴いたときは、他の演奏会があって途中退席。
2415- ベートーヴェン・プラス Vol.4 横山幸雄 ピアノ・リサイタル、2017.9.23
今年は全部聴きました。午前から夕方までの満腹プログラム。ベトソナは中盤戦のラインナップ。これらをメインに聴きに来たとはいえ、それ以外の作品もなかなか乙なもの。
まずはベートーヴェンお得意の変奏曲もの2作品。
思いの外、柔らかタッチで始まり、変奏切り替えは切れ味よく進む。いつまでも聴いていたい。変奏曲の面白みがにじみ出る演奏で、リラックスして満喫できた。やはり、エロイカは規模ありますね。
休憩を入れて次は、ワルトシュタイン。
最初ちょっと、音の運びが怪しい雰囲気ありましたけれどもすぐに立ち直る。第1楽章はアクセルかけまくりではなくて、なんというか、激しさに解を求めないもので、味なもの。
終楽章の頭の水切りのようなタッチが絶品、いい演奏でした。
お昼休みを入れた長い休憩の後、22番と熱情。
22番は2楽章だけの小品のように聴いてはダメ。やはり、興味が一段と湧くのは第1楽章の終わりかたですね。ここは人それぞれ感が大変にあって、極限の劇性を持たせたバレンボイムのが芝居ががっていて、20代の1回目のベトソナ全集から既に、オペラティックでドラマチック、いかにもいかにもといった究極モード。これにはまってしまうと、それが基準になってしまう恐さがありますね。
横山さんの22番は全体的には煮凝り風にこってりとまとまっていて、バレンボイムみたいに破滅的なコーダをする感性の人ではない、もちろん無いのだが、あらためてそういった割とさわやかな芸風を感じさせるものであった。
続いて、熱情。
中間楽章が味わい深い。何度も演奏してきた作品なのだろうが、じっくりと向き合う姿が音楽を深める。全般に転調が滑らかで魅惑的。深淵を覗き込むようなプレイ。
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ここまででベートーヴェンが終わって休憩。ブラームスの変奏曲とショパン3番。インターバルを挟んだ中ではこの2作品のまとまり規模がデカい。
聴くほうもだいぶ疲れが出てきた。ブラームスは淡々と進む。
続けてショパン。
ソナタという枠組みでのフォルムはその通りなのだが、一旦、それぞれの楽章の中に入っていくと形が溶解していってショパン独特のちりばめられた音の流れが美しい。アレグロ、スケルツォ、ノクターン、ロンド、それらはフレームのネイミングととらえつつ、それぞれの中身に耳を傾け埋没する。
素晴らしくさばきのいいショパンで、腕が鍵盤に同化している。聴きごたえ満点。
最後の休憩を挟んで締めはドビュッシーとラヴェル。
編曲物の牧神は同一音のロングフレーズがオケのようにシームレスに続いていかないのが弱みに出た感じで、尻つぼみな印象。ラヴェル風な響きの印象ありましたね。脳内補てんで頑張る。
夜のガスパール。メカニカルに正確であればあるほど言葉の本来の意味での印象的な響きが醸し出される。情景が浮かんでくる。ダークな色彩感のムード、キラキラよりもクリーミーで柔らかいタッチの横山さんの腕さばき、見事なものでしたね。
朝11時から夕方4時半まで、存分に楽しめました。
おわり
今宵は、女性・男性、それぞれを通して恋人への想いや愛に想いを馳せます。シューマンは、「女の愛と生涯」という歌曲集を通して、女性(妻)が夫(未来、空想)と出会い、結婚し、最後に死別するまでのことを想い描き、ベートーヴェンは、「遥かなる恋人に」を通して、ベートーヴェン自身が死ぬまで愛した女性へのラブレターを想い描いたと言われています。
時代を経ても変わらない、「女と男」の「移ろいゆく恋」、「変わらない愛」をお聴きください。
中嶋彰子
2018年8月2日(木) 7:00pm ヤマハホール
シューマン
アラベスクハ長調Op.18 7
ピアノ、小菅優
女の愛と生涯op.42 (字幕付き) 3-3-2-3-2-4-2-5
ソプラノ、中嶋彰子 ピアノ、小菅優
Int
ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第24番ヘ長調op.78テレーゼ 5-3
ピアノ、小菅優
アデライーデop.46 (字幕付き) 7
ソプラノ、中嶋彰子 ピアノ、小菅優
バガテル エリーゼのためにイ長調WoO.59 3
ピアノ、小菅優
連作歌曲 遥かなる恋人にop.98 (字幕付き) 15
ソプラノ、中嶋彰子 ピアノ、小菅優
(encore)
シューベルト 野ばらop.3-3 D257
ソプラノ、中嶋彰子 ピアノ、小菅優
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恋心、お互いの人生、メッセージが素敵な中嶋さんプロデュース、女と男の愛と生涯、と銘打ったリサイタルは、この洒落た副題に2曲目のシューマンにおのずと重心がいくかと思いきや、それはリサイタル全編に塗りこめられたものだったなあと、終わってふーと一息つきながら顧みる。
前半シューマン、後半ベートーヴェン。1曲目、何は無くともまずはプレイ。小菅さんの弾くアラベスク。今晩の作品の副題を眺めてみるとこの曲だけ副題に中嶋さんのメッセージが表にあらわれていないけれども、ヴィークへの思いが伝わるものなのだろう。
小菅さんのコンセントレーションは第1音の前に既に曲が始まっているかのようだ。始まる前のざわついた心を一気に鎮めてくれる。素晴らしい集中力でいつものピアノのさばきがとっても素敵。曲想の変化はメリハリ有り、強く透明。
中嶋さんが登場して小菅さんとトーク。そのあと、女の愛と生涯。
全8曲約25分。ステージ後方に字幕が出るので、ジックリと詩を眺めながら中嶋さんの歌に浸る。
この歌詞の意味合いや色合いを思い浮かべながら、だからこそできる歌による人生の一面を心底描写、歌と想いとテクストが一体化したもので深い。声色が自在に変化、そしてパースペクティヴの効いた彫りの深い歌い口が味わい深い。深いに過ぎる。
若いときの心ときめく、デリカシー滴るシューマンの音楽のアヤ。中嶋さん歌は端々まで神経がゆきわたっていて、シューマンの細胞が透けて見えるようだ。
7曲目まで暗さは無いテクストにもかかわらず、独特の憂いのようなものが全体にそこはかとなく漂う。
苦しみは最後の8曲目だけにあらわれる。それまでは終わりの始まりではなかった、人生を過ごしてきたのだと、過ごす人生を描いたものだと知る。心を込めた最終ピースにはなにか、こう、明るさのようなものが漂った。歌い終えて目に手がいった中嶋さんの、苦しくも、少し先が見えてくるような歌だった。
伴奏の小菅さんはいつもよりやや引き気味モードの伴奏。中嶋さんの歌に寄り添うプレイ。歌によく絡まる。そして各ピース、中嶋さんが歌い終えた後のエンディングまでのピアノ。これが実に味わい深い。なにひとつおざなりにせずじっくりと余韻を聴かせてくれる。これもまた素晴らしい。
いやあ、シューマンの神髄を見たような気がした。
●
後半はベートーヴェン。まず小菅さん十八番のベトソナから。
熱情と告別に挟まれたうちの一つ、テレーゼ。オンリー2楽章の10分に満たないソナタ。まずはいきなり小菅さんの本領発揮。頭4小節のアダージョカンタービレ序奏を始める前の深くて長い間。合わせて10小節分もあったのではないか。長い序奏だった。この序奏が効きました。作品の全体像がものすごく大きく見えた。
序奏から気分は流れるような第1主題と3連符の第2主題。自在なアゴーギク、ベートーヴェンだ。さばきが鮮やかで美しい。惚れ惚れするプレイだ。
第2楽章は練習曲のような雰囲気は一切なくて前楽章の第2主題のモードをさらに高揚させていく。休符の間と、細かい音符の動きの息づかいが素敵でした。
聴けば聴くほどに深いテレーゼ、良かったですね。
また、二人でちょっとしたトークがあって、次はアデライーデ。
男声がアデライーデに呼びかける歌。中嶋さんの一色の声色で通したモースト・ビューティフル・ベートーヴェン、ややキーンな中にザラリとした肌触りの質感を漂わせて歌う絶品の歌唱。ベートーヴェンのアデライーデは、もはや、ワーグナーの源流を聴く思い。本日の白眉。なんて素晴らしいんだ、アデライーデ。
小菅さんの伴奏はベートーヴェンになってややエキサイティングになりつつも、ここは飽くまでも中嶋さんの歌唱と心得ていましたね。
本当にいい演奏だった!!
コクのあるエリーゼのために。均質で情に流されない。譜面の中からベートーヴェンの情感がにじみ出てくる。溢れ出るメロディーメーカー・ベートーヴェン。
遥かなる恋人に。
連続歌唱の6ピース。なにかちょっと身体か軽くなり浮いたような気持ちとなる。ワーグナーの源流節はアデライーデほどには無い。諦めの昇華なのだろうか。いつでもベートーヴェンはその時々の悟りのようなものを感じさせてくれるものだ。
中嶋さんの入念な歌唱にはしびれましたね。小菅さんは演奏の間のトークよりも早く弾きたいという気持ちがアリアリと。ピアノでトークしたいんです、そんな感じが溢れていましたね。
とっても素敵なリサイタルの夕べ、満喫。
満を持して、色紙とCDを持ってうかがいましたが、サイン会は無いとの事で空振り。女の愛を語りにギンブラだったのかしら。ご一緒したかったわ。
好企画、素敵な佳演、ありがとうございました。
おわり
2018年6月15日(金) 7:00-9:15pm 第一生命ホール
オール・ベートーヴェン・プログラム
《マカベウスのユダ》の主題による12の変奏曲ト長調WoO45 11
チェロ・ソナタ第2番ト短調Op.5-2 15-8
Int
チェロ・ソナタ第1番ヘ長調Op.5-1 17-7
《魔笛》から「娘か女房か」の主題による12の変奏曲ヘ長調 Op.66 9
チェロ・ソナタ第4番ハ長調 Op.102-1 8-7
(encore)
シューマン 幻想小曲集Op.73 第3曲 4
シューマン おとぎの絵本Op.113 第4楽章 5
ピアノ、小菅優 チェロ、石坂団十郎
●
チェロ・ソナタというよりもピアノソナタwithチェロといったおもむき。作品の傾向がそうだからというのもあるし、まあ、小菅さんの独壇場でした。演奏、主導権、全部、ですね。
1番2番は異色というか、若くてしっかりとしたフォルムで、そこまでしたからその後の作品が生まれたのかもしれないのだが、若さの中に息苦しさを覚える。2番の序奏は5分越え、ここまでしないといけなかったんだろうねベートーヴェンは。ホント、興味尽きないコンポーザーではある。
ピアノが目まぐるしく活躍する中、気がつくといつの間にかチェロが合わせて奏でられていた。そんな瞬間が続く。小菅さんの表現の幅は圧倒的ですね。空気がはずんでいる。お見事なプレイ。
1番と4番の間に置かれた魔笛の変奏曲は作品番号66なんですね。ということは67の前なのか、でも、初期の変奏曲なんですよね。
2番と1番を聴いた後だと4番はホッとしながら緊張感解いて聴ける。りきむことなく書き上げた筆のタッチが心地よい。音楽の表情が自然。
石坂チェロは総じてしなやか。みずみずしい切れ味もあって小菅のピアノとよく合っている。ピアノを邪魔しない、という妙な言い回しがしたくなるチェロ・ソナタの夕べでした。
ありがとうございました。
おわり
2018年5月5日(土) 10:00-10:55am シアターイースト、東京芸術劇場
ヘンデル - スカルラッティ
ヘンデル 調子のよい鍛冶屋 ホ長調HWV430(ハープシコード組曲第5番から) 5
スカルラッティ ソナタ ホ長調K.531 +2
スカルラッティ ソナタ ロ短調K.27 +4
スカルラッティ ソナタ ニ長調K.145 +8
スカルラッティ ソナタ ニ短調K.32 +6
ヘンデル(ケンプ編) メヌエットHWV434(ハープシコード組曲第1番から) +4
J.S.バッハ(ヘス編) コラール 主よ、人の望みの喜びよ +4
ヘンデル シャコンヌHWV435(ハープシコード組曲第2番から) +12
(encore)
ショパン 幻想即興曲 5
ピアノ、アンヌ・ケフェレック
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前日はエル=バシャ、ラルス・フォークト、そして今日は朝からケフェレック、実にいい朝です。ご本人も昨晩の最終公演のフォークトを聴いておりましたね。
今年のLFJは池袋の場所まで手を広げて、このリサイタルは本当にいいキャパのホールでゆっくりと聴くことが出来た。
ヘンデル、スカルラッティ、バッハ、45分の連続演奏。切れ味、粒立ち、水際立ったタッチ、そして切なさの域まで達したような溢れる情感のヘンデル、スカルラッティ、バッハ、あまりの鮮やかな演奏に心が浄められた。最後のヘンデルのシャコンヌで、今日一番の強いタッチがありました。連続演奏による気持ちの集積があったのかもしれない。一連の流れがあまりに見事過ぎる演奏でしたね。宝石のようなプレイでした。
おわり
LFJ2018-T321
2018年4月12日(木) 7:00pm 小ホール、東京文化会館
シューベルト・サイクル Ⅴ
ピアノ・ソナタ第7番変ホ長調D568 9-7-4-10
ピアノ・ソナタ第14番イ短調D784 12-4-6
Int
ピアノ・ソナタ第20番イ長調D959 16-8-5-11
(encore)
ピアノ・ソナタ第6番ホ短調D566第3楽章 5
ピアノ、エリーザベト・レオンスカヤ
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シューベルト6回サイクルのうち5回目。この前、サイクル2回目を聴いて、今日もう一度お邪魔しました。
2527- シューベルト、ピアノ・ソナタ、9、15、18、エリーザベト・レオンスカヤ、2018.4.6
登場も引き際もあっさりとしたもので、構えることなくすーぅと弾き始めるやいなやシューベトの世界にすぐに引き込まれていく。
7番は2楽章の短調が美しい。ウェットなたたずまい。その余韻を引き継ぐマイナーモードの3楽章。物憂げに引き継いでいる、ひきずることなくやや骨太に進めていく。
これで十分の30分作品。次の14番は3楽章構成で、もはや、1楽章足りないという感覚。
この終楽章は激しいですね。宙に浮くような感覚の作品、これも申し分なく楽しめた。
後半は大曲、遺作の一つ。
なんというか、天国的な長さの作品ではあるのですけれども、その1,2楽章で言いたいことはほぼ言い尽くしていると思うので、弛緩することなくここを乗り切るのは奏者にとって容易なことではないだろうね。シューベルトの頭2楽章は難所。
と、大体いつも感じるのです。レオンスカヤのピアノというのはこのロングな楽章たち、息の長い音楽、遠くにある着地ポイントを弾き始めるときから実はわかっていて、一点のぶれもなく、その遠くの着地ポイントに正確に着地する。それはまさにシューベルトの思いと同じ。ここが素晴らしい。もはや、一心同体。聴いているが一瞬たりとも弛緩することなく聴けるというのはこの大きな流れをつかませてくれるから。聴衆もアクティヴな聴き方がもちろん望まれる。客のアドレナリン噴出のお手伝いもしてくれている。
テンションが徐々に高まっていく。抜けるような終楽章の歌。スバラシイ。別世界の高みに連れて行ってくれる。なにやら、晴れやかですらある。心地よいフィナーレ。
シューベルトの極意を殊更スキルを前に出すことなく、あっさりと高みまで運んでくれる。凄いピアニストですな。
シューベルト、ますます味わい深くなる。ありがとうございました。
おわり
東京・春・音楽祭2018
2018年4月6日(金) 7:00pm 小ホール、東京文化会館
シューベルト・サイクル Ⅱ
ピアノ・ソナタ第9番ロ長調D575 8-6-5-5
ピアノ・ソナタ第15番ハ長調D840レリーク 17-9
Int
ピアノ・ソナタ第18番ト長調D894幻想 20-9-4-9
(encore)
三つのピアノ曲D946より第1番 6
ピアノ、エリーザベト・レオンスカヤ
●
スペシャリストにしてオーソリティのシューベルトを満喫。にじみ出る威厳、それはそれとして、表情の変化、豊かな色彩、みなぎる力、陰影、いろんなものが全て彼女の中に内包されていてそれらが次々と表に出てくる。聴いているほうはその多彩さに耳を奪われる。素晴らしいシューベルトでした。
シューベルトのフォルムはだいたい決まっていて、ピアノ・ソナタだと第1,2楽章で言いたいことは大体言い尽くしていると思っているのだが、レリークみたいにその代表格のような1,2楽章のみの巨大ソナタでさらにその思いを強くする中、これまた巨大な18番D894を今日の様なプレイで聴かされると、やっぱり、粒立ちが良くて魅惑的なスケルツォトリオ、透明な律動が鮮やかなフィナーレも素晴らしすぎて、その完成度の高さに唖然とし感銘がさらに深くなるというものだ。
巨大な1,2楽章は一音ずつ噛み締めて聴く。噛めば噛むほど味わいが出てくる。指一本の単旋律の流れとハーモニーの進行が境目なくシームレスにナチュラルに流れてく。正確な音価、精度の高いプレイは基盤、その上にシューベルトの憧憬の音楽が奏でられていく。正面突破のシューベルト。素晴らしい。このような演奏で聴いているとD894の立ち位置がよくわかりますね。
レリークはシンフォニーの未完成のようなことだったのだろうか。巨大な1,2楽章で本当に言い尽してしまっているようで、彼にとって定形式の3,4楽章を創作する力よりも次の作品を創作するほうに力点が移ってしまったのかもしれない。この前半2楽章にバランスする後半2楽章を作るのは容易ではないとは、たしかに、思う。
1曲目の9番はあまり聴くことが無くて、型へのウエイトが高く、調は揺れ動いていく。このソナタも大きいもので手応え十分。形が把握できるまで次に進まないというか、理解に時間をかけられるのでこれはこれで中身を味わう時間が沢山あって、いいですね。
総じて、スペシャリストの仕事は手堅くてそして自由、実に味わい深いですなあ。作品への愛着、いつくしんで撫でているようなプレイ、そこはかとなく漂い広がるシューベルトモード。作曲家の境地が浮き上がってくる。このような生演奏で聴いてこそ頭の中に刻印されるシューベルトの計り知れない体験。
おわり
東京・春・音楽祭2018
2018年3月19日(月) 7:00pm トリフォニー
ショパン 2つの夜想曲op. 27(ナショナル・エディション) 4-6-
スクリャービン ピアノソナタ第3番op. 23(ベリャーエフ版) -5-3-5-5
ショパン 子守歌op. 57 (ナショナル・エディション) 4-
ドビュッシー 2つのアラベスク第1番(デュラン社) -4-
ドビュッシー 前奏曲集第1巻より第8曲「亜麻色の髪の乙女」(デュラン社) -3-
ドビュッシー 喜びの島(デュラン社) -5
Int
ショパン 前奏曲op.45 (ナショナル・エディション) 4-
ショパン ピアノソナタ第2番op.35 (ナショナル・エディション) -7-7-5-2
ショパン スケルツォ第3番op.39 (ナショナル・エディション) 8
(encore)
ショパン 幻想即興曲 4
ラフマニノフ 楽興の時op.16より第4番 3
バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻第1番ハ長調 5
ピアノ、上岡敏之
●
新日フィル定期会員向けのスペシャルリサイタル。指揮者でありピアニストである上岡さんのピアノの夕べ。現在、新日フィルを率いて絶好調、佳演、美演を連発している上岡、瞠目すべきは、自身の指揮のみにとどまらず、このオーケストラに何か忘れていたものを思い出させ、招聘指揮者達による定期公演も軒並み素晴らしい演奏を繰り広げることとなり、この指揮者の存在の大きさにはうなるばかり。ここでさらにひとつ、自身のピアノリサイタルを開くという、いやはや絶好調とはまさにこういうことを言うのであろう。才能というのもおこがましいがそういったものを目の当たりにできる聴衆は幸せと言わなければならない。
かぶりつきの席で思う存分楽しませてもらいました。
ショパンが葬送付きを含む5曲、ドビュッシーが3曲、スクリャービンのソナタ、それにアンコールが3曲。満喫しました。脂のノリがいい演奏で細からず太からず、いつもの指揮とはやや異なるおもむきで、波風の立て具合もほどほどに、一緒にエンジョイできました。客同士の一体感というか垣根がうまく取り払われたいいリサイタルでしたね。
ピアノ・ソナタとしてはスクリャービン3番、ショパンの2番葬送付き。スクリャービンの堅い様式、ショパンの自在な形、わけても葬送から音を切らずにフィナーレに突入するパッション。様式感であれ自在さであれ、それぞれのフォルムの良いところをさらに味付けして押し出していくプレイで、音楽がとまらない。両者4楽章構成のソナタをプログラムに配した意図があるのかとも思ったのだが、それぞれの特徴を押し進めるプレイにそちらのほうに強く興味がいった。
プログラムはこの二つのソナタのフィナーレが済んだところでポーズがあるだけで、他はすべて連続演奏。音を切らずにそのまま次のピースに移るような気配が濃厚でプログラミングの妙がうまく生かされている。周到な並べ方なのだろう。
ですので、前半プログラム、ショパンの子守歌が済んだところで間髪入れずドビュッシー3曲につながっていく。実に自然、語り口のうまさもありますけれども、こういった周到で自然さを感じさせてくれる流れ、気持ちが先につながっていくし、なんだか落ち着くところもある。
ドビュッシーの3ピースはスクリャービンのやや濁ったその上澄みを掬って濾したような贅沢な響き。ソフトでキラキラと透明、あまり聴くことのないドビュッシーサウンドに舌鼓、おいしかったですね。
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この日のスミトリは3階席を閉じていたようですがほかの席は沢山入っていたと思う、最前列を頂きましたのであまり確認は出来なかったけれど。
ホールの照明を落として、ピアノだけにスポットライト。シックで落ち着いたリサイタル、上岡さんは指揮のときと同じスーツ。指揮でもリサイタルでも声を発することはないのだけれども、目と手、雄弁ですね。音楽の使徒という気がする。弾きが進むにつれて鍵盤に吸い込まれていくように上からかぶさっていく。
アンコールは3曲。バッハで締めてくれました。いいリサイタルでした。ありがとうございました。
おわり