河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2649- バッハ、ショパン、ラフマニノフ、24の調の前奏曲、第一夜、アブデル・ラーマン・エル=バシャ、60歳記念2夜連続ピアノ・リサイタル、72の前奏曲、第一夜、2018.12.13

2018-12-13 23:00:17 | リサイタル

2018年12月13日(木) 7pm 小ホール、武蔵野市民文化会館

(演奏順)
 ハ長調の3つの前奏曲
1  バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第1番前奏曲BWV846  3
2  ショパン:24の前奏曲より第1番Op.28-1  1
3  ラフマニノフ:13の前奏曲より第1番Op. 32-1  1

ハ短調の3つの前奏曲
4  バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第2番前奏曲BWV 847  1
5  ショパン:24の前奏曲より第20番Op.28-20  2
6  ラフマニノフ:10の前奏曲より第7番Op.23-7  2

嬰ハ長調、変ニ長調の3つの前奏曲
7  バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第3番前奏曲BWV 872  2
8  ショパン:24の前奏曲より第15番Op.28-15「雨だれ」  5
9ラフマニノフ:13の前奏曲より第13番Op.32-13  6

嬰ハ短調の3つの前奏曲
10 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第4番前奏曲BWV 873  6
11 ショパン:24の前奏曲より第10番Op.28-10  3
12 ラフマニノフ:幻想的小品集より第2曲前奏曲「鐘」Op.3-2  3

ニ長調の3つの前奏曲
13 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第5番前奏曲BWV 850  1
14 ショパン:24の前奏曲より第5番Op.28-5  1
15 ラフマニノフ:10の前奏曲より第4番Op.23-4  5

ニ短調の3つの前奏曲
16 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第6番前奏曲BWV 851  1
17ショパン:24の前奏曲より第24番Op.28-24  3
18ラフマニノフ:10の前奏曲より第3番Op.23-3  3

Int

変ホ長調の3つの前奏曲
19 バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第7番前奏曲BWV 876  2
20 ショパン:24の前奏曲より第19番Op.28-19  2
21 ラフマニノフ:10の前奏曲より第6番Op.23-6  4

変ホ短調の3つの前奏曲
22 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第8番前奏曲BWV 853  4
23 ショパン:24の前奏曲より第14番Op.28-14  1
24 ラフマニノフ:10の前奏曲より第9番Op. 23-9  2

ホ長調の3つの前奏曲
25 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第9番前奏曲BWV 854  4
26 ショパン:24の前奏曲より第9番Op.28-9  1
27 ラフマニノフ:13の前奏曲より第3番Op.32-3  2

ホ短調の3つの前奏曲
28 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第10番前奏曲BWV 855  3
29 ショパン:24の前奏曲より第4番Op.28-4  3
30 ラフマニノフ:13の前奏曲より第4番Op.32-4  5

ヘ長調の3つの前奏曲
31 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第11番前奏曲BWV 856  1
32 ショパン:24の前奏曲より第23番Op.28-23  1
33 ラフマニノフ:13の前奏曲より第7番Op.32-7  3

ヘ短調の3つの前奏曲
34 バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻より第12番前奏曲BWV 857  3
35 ショパン:24の前奏曲より第18番Op.28-18  1
36 ラフマニノフ:13の前奏曲より第6番Op.32-6  1


ピアノ、アブデル・ラーマン・エル=バシャ


今日と明日は表題のリサイタル二夜連続、その翌日は別の主催でベトソナ・リサイタル、あわせて三日連続でエル=バシャのプレイを聴くことに。

今日と明日の公演は、バッハの平均律クラヴィア曲集の第1巻と第2巻から24曲、ショパンの24の前奏曲、ラフマニノフの前奏曲13曲と幻想小作品集より第2曲前奏曲「鐘」、
以上の24+24+(23+1)を二夜で演奏。作曲者の束で弾くのではなく、同一調の束で弾く。1曲ずつ、バッハ→ショパン→ラフマニノフ、といった具合でこれの繰り返し。
他所でも試みられたものであるらしいが、まことにレアで画期的なものと言えよう。

5月のLFJでショパンの2番コンチェルトを弾いたエル=バシャさん、有楽町の国際フォーラムの一番デカいホールで、いやはやなんともはや最悪の場所。今回はコンパクトなホールで落ち着いた演奏、聴くほうも同じ。


3個で一つの交錯が永遠に続く様な雰囲気で、その束ごとの色模様の変化、というよりもありようが独立した色彩、三つの中で作品の引力を感じる。バッハ、ショパンは清く静謐、ラフマニノフは前を見ている。バッハの引力が強い。リセットボタンを押されるような趣きもある。
半音ずつずれていくことに敏感ではなくて、むしろ、気持ちやテンションの高まりの傾斜が音調の上り具合と同じなのかもしれない。つまり、全部同じ調に聴こえる。というのは言葉のアヤが過ぎるが、受け入れて享受するとはそんなことかなとも思う。

エル=バシャの縦ラインの合い具合は異常とも思えるほど潔癖、緊張が最高潮に達したところで、弾きおろす縦ラインは一つしかない。全てのハーモニーがそうだった。このたった一つの縦ライン、ザッツ、これだから、あのような透明で清らかな響きになるのだろう。もう、答えはそれしかない。見ていても明らかにタッチへの集中度が桁外れだし、揃い切った音の美しさはパーフェクト。彼が求めて表現するものは、一種、別のドラマ性、このようなプレイで、ドラマを魅せる。いや、こうゆう表現はいわゆるドラマ、ドラマチックなもの、そういったものとは違うんだよ、と言われれば、そうだと納得するしかないのだが、なにやら、普遍的であることのドラマ性を考えさせてくれる。普遍ということへの気づきをさせてくれる。音楽に共通するもの、この三つの作品のなかに一筋共通して響き合うものがあって、それが永遠の先を見据えながら進んで行く。普遍的なものが永遠を魅せてくれる。このドラマ。


このような順序での聴き方はCDをパソコンに取り込んで編集すればいとも簡単にできるだろう。ただ、そこまでの思いつきは閃きかも知れないし、経験の賜物なのかもしれない。バッハ48曲から24曲ピックアップについては、まあ、素人にはわからないもので、そういったこともあれこれ含めて、生でエル=バシャの創造プログラミングを感じ、再創造に感嘆するしかないのである。

長くなるかと思ったが、休憩入れて2時間に収まるリサイタル。永遠とは短いものかもしれない。
明日は第二夜。
おわり















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